あの雨のように

浅村 英字

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六時間目

違和感

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 疲労が一度に来たのか、気が着くと枕の上に頭を乗せていた。見える時計は、もう十一時を過ぎようとしていた。昨日までの疲れがここまで出ているとは思わなかった。体を起こして、リビングに向かうと母が朝食の片付けをしていた。

「おはよう」

「おはよう辰矢。大分疲れてたみたいね」

 母でなくても、いつもの俺の生活リズムを知っていれば疲れが出ているのは分かるだろう。

「うん。流石にね」

 母の顔は、我が子の成長を見るものではなく、心配そのものだった。

「大丈夫だよ。疲れはあったけど、無理はしてないから」

 安心する母の声を聞き、テレビに視線を向ける。ろくな情報は何一つなく、今日は暇だと予感する。

「辰矢は今日何もないの?」

「特に何も・・・あっ」

 あった。携帯を取りに戻り、メッセージ内容を確認する。

『場所は映画館一階のカフェでもいい?』

『分かりました』

 三時からとなれば、余裕だが今日はゆっくりしたい。でも、確か最近そのカフェは、期間限定のスイーツが販売され始めたはずなんだよな。

「辰矢、お昼ご飯どうする?」

 昨日までの疲れか、足が普段よりも重たく感じる、お腹すいた。
 午後一時、外出のために着替えを済ませる。まだ早いが、先に出て待っておくべきか、かなり頭を悩ませていると、妹の声が扉の向こうから俺を呼ぶ。

「お兄ちゃん、えっ!?どっか行くと?」

「そうだけど、何かあった?」

 妹の顔は何かを諦めた感じがある。努力する以前の俺と似てなんでも顔に出てしまう癖は、きっと稲垣家の血筋なのだろう。

「まだ時間があるから、何かあるならやるけど?」

 俺の記憶の中の大半、いやほとんどが病院の中のものである。そのため、他の兄妹よりも、妹のために何かをしてたという実績は極端に少ない。

「俺に何かあるんだろ?」

「いや、出かけるなら大丈夫」

 妹の後姿を見ると、何か欲しかったということは理解できた。

「何か本買ってこよっか?」

 俺の予測が当たったのか、はずれたのか、気分が良くなっているように思えるが、すぐに戻った。

「なら、早めに戻ってくるつもりだから、その後にでも買いに行く?」

 雪菜の気分も良くなったみたいで、俺も一安心する。もっていこうと考えていた荷物を再整理し、バッグを持つ。

「辰矢、出かけるの?」

 玄関に向かう途中、後ろから母に呼ばれ少し戸惑う。

「え?あ、うん。日が暮れる頃には帰ってくるつもり」

 そう言って、俺は家を後にする。
 午後二時直前。俺は前回同様、映画館下のカフェでカフェオレと『期間限定』と書かれてお店から推されているマンゴームースを頼む。
 いつもなら、本を読みながらドリンクとデザートを待つのだが、今日は読むものも持ち合わせていない。変わりに持ってきたタブレットとワイヤレスキーボードを接続させる。パスワードを入力し、あるサイトに文章を入力する。

「お待たせしました。カフェオレとマンゴームースです」

 どこにでもいそうなカフェの制服を着た店員さんが、注文の品をテーブルに置く。そんな彼女に一礼した後、再び入力を開始する。

「今日は、本を読んでるんじゃないんですね」

 イヤホンをはずして、俺は何と言ったのか聞いてみた。

「いや、稲垣くんいつも本を読んでるから珍しいなって」

「え、どこかで会ったことありましたっけ?」

 俺かこのカフェに来たのなんて、五回にも満たないくらいだろう。そのうち一回は響空と会った時だったか。それで『いつも』も『毎回』もないだろう。それに俺が名乗った覚えもない。名札もついてないし。

「あれ?分からない?」

 女性はマスクで顔の半分を隠し、目にかからない程度のパッツン前髪に、お店のロゴの入った帽子。背丈も一般的で彼女が誰であるか分かる情報は、無に等しい。それなのに、自分のことを誰か分からないのか?なんて野暮なことを言われても困る。唯一の判断材料の目元には、しっかりメイクしてあるし。

「同じクラスの『佐藤 未来』だよ」

 『佐藤 未来』彼女は『サトミ』と名字と名前を合わせた一般的なあだ名をつけられていたはず。

「あぁ、バイト?お疲れ様」

「うん。先生たちには内緒でね」

 そう言って、マスクを戻して笑う彼女は、とても可愛く見えた。真っ当に生きている人より、少し危険を犯している人のほうが良く見えているのだろう。うちの高校はバイトは基本的に禁止だからな。

「分かってるよ。それよりその目は何?」

 可愛く見えはしたが、目をキラキラさせて何かを欲している姿は餌を待っている子犬のようだった。テレビでしか見たことないけど。

「いや、まずこの時間に一人で来て、それを頼む人なんていないからさ?」

 続きを言うのが面倒だから察してくれ、と表情以外からも伝わった。

「・・・バイト中だろ?」

「そうなんですけど、お客様の方から『食べきれないかもだから、一口どう?』と言われれば、話は別ですよ」

 カフェオレの二口目までは可愛かった笑顔が、今は少し怖く感じた。そもそも俺と佐藤さんはそこまで仲がいいという訳ではなかったはずだし、そんなことを言う客がいるのかも怪しい。まあでも、これからのことを考えたら一口だけで済むなら安いものなのかと、諦める。

「分かったよ。一口どうぞ」

「本当に?!やったぁ!それじゃお言葉に甘えて、頂きます!」

 スプーンを差し出すと、一瞬の迷いもなくムースをマスクの下に運んだ。

「食べたな?」

 スプーンがまだ口の中に一部残している段階で脅し始めれば、彼女を逃すことはないだろう。

「俺の注文したムースを、客がまだ一口も食べてない物をバイト中に食べてんだ。俺のお願いを一つくらい聞いてくれるよな?」

「何、その言い方。犯罪者みたいな・・・」

 半歩利き足を下げ、俺の顔を睨む。

「その目はやめろ。別にヤラしいことは言わん」

「じゃあ何よ?」

「今日これからのことは誰にも言わず、すぐに忘れること」

 ヤラしくないとは言ったものの、言い方は警戒されると理解していた。

「すいません、まだですか?」

 警戒の現われか、沈黙の時間があった気がする。それくらいしか感じさせないくらいのジャストタイミングで、別の客からの声がかかった。ため息をつき、一口目と同じ時間を過ごす。

「お待たせ。待ったよね?」

 気が着けば待ち合わせの時間五分前になっていた。

「いえ、僕も少し用があったので」

 テーブルの上にあったはずの容器も片付けられ、パソコンとカップだけが残されていた。結果としてよかったのか悪かったのか、それを理解するほどの経験値を持ち合わせていなかった。

「それで、何を見るんですか?」

「コレッ!」

 映画を見て、もう帰ってもいい。そう思っているのに、なぜ俺はここで一人立っているのだろう。周りは俺が着ることのない洋服と、女性の店員と客ばかり。

「彼女さんですか?」

「え?あっ、違います。僕はただの後輩です」

 店員さんは、俺の感情を読み取ったのか、カップルであることを予想してきた。

「二人で出かけて、女性の洋服を見に来てもらうって、絶対脈アリですよ。告白したらいいじゃないですか」

 この店員さんにも、俺に先輩はもったいないと思われているのか。そんな人のことを好きだという先輩の思考が分からない。

「残念ながら、その人にはもうフラれているんですよね」

 カーテンの向こうから先輩の暗い声が聞こえた。その先輩の発言で店員さんの目が見開くのが分かった。

「美女と野獣って感じですよね。・・・どう?似合う?」

 カーテンを気楽に開け、白のワンピースをまとう先輩の姿が俺を含めた店内の数人の視界に入る。

「とても似合ってますよ!」

 店員は商品を身にまとった姿に興奮したのか、身にまとった事に興奮したのかはさておき、美女は納得できても、野獣はないだろ。俺から告白したわけじゃないし。

「辰矢くんは?」

「いいんじゃないですか?先輩持ってそうですけど」

「よく知ってるね」

「そりゃ先輩くらい可愛かったら、白のワンピースでも大丈夫そうですから」

 一瞬赤くなった顔が見えた気がした。

「好かれてるんですね」

「何か裏がある方がしっくり来るでしょ」

 店員さんはノリが良かったみたいだ。

「そんな事ないよ!私は辰矢くんのこと好きだよ?」

「はいはい。その服、買うんですか?買わないんですか?」

 先輩は、別の服に目を止めてまた同じ部屋に入った。早く帰りたい。

「あれ・・・」

 耳に僅かな声が聞こえた。聞いたことのある声。もしかしたらよく聞く声かもしれない。

「どうしたの?辰矢くん」

「いや、ちょっと・・・、すいません。なんでもないです」

 気のせいならそれでいいだろうと、自分に言いつけて僕らは帰路に立つ。
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