おまえの死体(ちゃば)でお紅茶を淹れてやりますわぁぁっっ!!

腎臓の猫

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 僕は走った。
 一刻も早く、あの人に顔を見せたい。
 安心させたい。謝りたい。
 作戦とはいえ、ぶしつけな態度をとってしまったことを。
 セバスは走った。

「お嬢さまっ」
 僕の声に反応して、髪の金色が大きく揺れる。
 一、二滴。
 しずくが小さく光って床に消える。
 ゆがみながら瞳に映っているのは、パソコンの配信画面。
 瞳は、夏まっ盛りの海のように光を帯びている。

「セバスチャン……よかった……」
 独り、お嬢さまはポツンとパソコンの前に座っていた。
「わたくしはおまえを信じていましたわ……それでも、完全にあのアマのものになってしまったのではないかと、不安で不安で」

「たしかに危ういところでした。
 でも、僕は何度洗脳されようが戻ってきます。
 とっさの機転で、ヤツの失言をカメラに収めることすらしましたから」
 ひざまずき、いつもどおりの礼をしてハンカチを差しだした。
「セバスめはただいま戻りました」

 お嬢さまに対して言葉を重ねる必要はないな、と思った。
 いくつもの言葉を重ねずとも、お嬢さまは僕を信頼してくれている。
 その事実だけで充分だ。
 涙を拭いて、お嬢さまは立ちあがった。

「ここからが本当の勝負ですわ。
 セバスチャンに対する二度の洗脳に、燃やしたお屋敷に、お姉さまの病院代……
 全部、あの京都女郎クソアマに償いをさせてやりますわ」

 マホは遠くから僕らを眺めていた。
 暗がりで表情は見えなかった。
 声をかけようかと思ったところで、
 またしても、あの憎い声が耳に入ってきた。

「なるほど。それもあんさんの作戦どすかぁ」
 心底満足げな笑みを浮かべて。
 アイツ、どうやって抜けだしてきたんだ……。

「二回も洗脳したなんてぇ心外どす。
 セバスはん、あんさんも役者さんどすなぁ。
 とんだ茶番やったんどすなぁ?」

 背後にはゼロイチがいた。
 顔を見て察した。
 生気を失って、目はもはやなにも見ていない。
 アイツにまた洗脳されたのか、
 それともデ○スの効果時間に限界があるのか。
 どちらにせよ、いまはゆっくり考えているほどの余裕はない。

「うるせえですわ……!
 おまえは……本当に……ツラの皮が厚っいですわねぇぇ?」
「お嬢さま、落ちついてください。
 手を出せば最後でございます。
 その殺意は、どうかキーボードとマウスに」
「ふ、ふふっ。あんさん、ふふっ。
 振り向きの短さは気の短さやいいますが、ほんまなんどすなぁ」

 顔をまっ赤にして殺意を抑えるお嬢さまに、京は続ける。
「あっらぁ? おっかしいどすぇ。
 〝猿とマウスはケツ赤し〟てぇことわざあるくらいやのに……
 あれは新種どす……」
「聞いてはなりません、お嬢さま。
 おいきさま、窮地に追いこまれたからってまた場外乱闘か?」
「ふふ、精神攻撃はFPSの基本どすぇ」
「………………!!!!!!!!!!」

 どうする。
 すべて僕がしくんだ作戦とはいえ、さすがに火が大きくなりすぎた。
 こんなになるのは想定外だった。
 お嬢さまの怒りが、手に負えないほど膨らんでいる。
「お嬢さま、いったんあちらへ。ヤツはわたくしが――」

 うつむいて唇をかみながらうなるお嬢さまに、僕は言葉をかけようとした。
 が、突然うなりが止まって、
 お嬢さまは僕の言葉をさえぎって手を上げた。

 それから二度、大きく息を吐くと、
「もうその手にはノりませんの」
 自分にも言いきかせるかのようにハッキリと口にして、顔を上げた。

 ただ立っていただけ。
 お嬢さまはただ立っていただけだ。
 それなのにその姿の、手から足の先、瞳にいたるまで、
 青々とした意志が輝いて見えた。

 これは……!
「アンガーマネジメント……!?!?」
 僕のマッチポンプ作戦によって、京に償わせてやるという確固たる意志が何倍にも膨れあがり、お嬢さまをひとつ上のステージへと導いたのだ!

「あれま。お猿さんや思うとりましたらお小娘じょうさんやったんどすなぁ?」
「ええ、おかげさまで文明人へと進化できましたわ。
 わたくしはいま、最っっっ高に沸騰あったまっていましてよ!」
 もう、京の言葉はお嬢さまの心の芯に届かない。

 ちょうどそこへ、京を追ってきたらしく、
 さっきトイレにいた人間がゾロゾロと集まってきた。

「お湯が用意できれば、あとお紅茶に必要なものはひとつだけですの」
 僕だけでなく、集まってきた人間も、
 その場にいる全員が思わず黙ってお嬢さまの言葉を聞いていた。

「ときにご存じですこと? イギリスにはこんな言いまわしがありましてよ」
〝おまえの茶葉で紅茶を淹れる〟

「はぁ……? どんな意味どす?」
「おまえのものはわたくしのものって意味ですの」

 お嬢さまはスカートのフチをつまみ、
 片足を斜め後ろの内側に引き、
 もう片方の足の膝を軽く曲げた。

「お嬢さま、まさか……!」
「ええ、セバスチャン」

 カーテシーと呼ばれる、その動き。
 英国の上流階級がする、最上級の敬意を表す動き。
 これをお嬢さまがするということは、つまり――



「おまえの死体ちゃばでお紅茶を淹れてやりますわぁぁっっ!!」



 例えば〝ご覧になられる〟〝おっしゃられる〟
 ――いわゆる二重敬語。
 過剰な丁寧さが逆に嫌味になってしまうのと同じく、カーテシーも……。

同氏諸君みなさま、いまこそ反逆のときですのっっ!!」
 そしてお嬢さまが群衆に向けてはらりと振りかえったその瞬間、
 しんと静まりかえっていた会場に、荒波のごときざわめきが広がっていき、

「うぉうぉっ、よくわかんなーけどおいら感動したあ!」
「アア、ッぱ、洋モンはァ最高だゼェッ!」
 気づけばその盛りあがりは、
 京が『死ねどす』を言ったあの日などとは比べものにならないくらいにまでなっていた。

「よくもこのわたくしにチートの冤罪なぞふっかけてくれやがりましたわねえ。
 正々堂々、徹底的に最後の一滴の一滴ベストドロップまで搾りとってさしあげますわぁ~~っっ!!」
「おお、こわこわどすなぁ!
 お姉さん失ってぇこれ以上失うもんない、無敵の小娘ひとってぇとこどすなぁ??
 ええ加減、うちがくこと教えたげますぇ!!」
 盛りあがる群衆の中心で、お嬢さまも京も高笑いしていた。

 煽春あおはるかよ。
 こうして、大会は後半戦へと突入した。
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