【完結】訳あり追放令嬢と暇騎士の不本意な結婚

丸山 あい

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帝都の大学

準礼装の

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 ビルネンベルクのお供で、帝都から一日かけて南の街道沿いの街にキルシェは来ていた。

 コンブレンというこの街は、街道だけでなく帝都から下ってくる運河が通過することもあって、首都州ではかなり大きい街である。他の州都に匹敵すると言ってもいい規模。

 これほど離れた場所へお供することは、これまで2、3回あったぐらいで、本当に稀なこと。今回は、この街の郊外にある教会で見つかった粘土板の解読の手伝いに駆り出されたのだ。

 ビルネンベルクは言語学を教える立場であり、こうして遺物を調査、研究をするのも彼の仕事のひとつ。

 帝国には、公用語としての言葉と、官吏が綴るための言葉があり、前者は昔から変容すれど使われてきた土着の言葉で、後者は蓬莱の言語が元とされる。

 これら以外に、古語がある。失われた言語とされるそれは、読める者はほとんどいない古の言葉。ドゥーヌミオン・フォン・ビルネンベルクは現在、それを主に扱う権威だ。

 赤い葡萄酒をくゆらせるようにして眺めるビルネンベルク。ネツァク州は葡萄酒の発祥の地で、彼は食事には必ず葡萄酒は欠かさない。

「__もういいのかい?」

 キルシェもご相伴に預かる際には、彼に倣って頂くが、一杯だけである。それを飲み終えたのを見て彼は尋ねたのだ。

「はい。ありがとうございました。美味しゅうございました」

 キルシェの答えに満足気に頷いて、一口葡萄酒を飲む。

 魔石の明かりが灯る豪奢なシャンデリアは、いくつも天井から吊るさって、洗練された雰囲気の中、客の誰しもが、一様に身振り手振りが少ない会話をし、食事も楽しんでいる。

 食後ビルネンベルクは暫く無言になって、喧騒を聞き流しながら、その葡萄酒を眺めるのが常だった。

 それはともすれば、連れがいる状況では失礼にあたるが、キルシェは気にならなかった。それを分かっているから、最大限醜聞には結びつかないよう配慮しつつ、ビルネンベルクは食事にキルシェをよく誘うのだ。

「……最近は、よく出歩いているようだね」

 ふいに、顔に柔和な笑みを浮かべ、眺めていた葡萄酒を一口飲むビルネンベルク。思考の海に沈んでいた彼が唐突に浮上する際、彼は必ず葡萄酒を飲む。

「はい。帝都を見て回っておく方がよいかな、と」

 冬至の矢馳せ馬の候補になってから、早2ヶ月が経とうとしている昨今、キルシェは帝都の街を歩くことが楽しみになっていた。それはこれまでなかったこと。

「卒業したら、戻るからかい?」

「……」

 言葉に詰まってやや視線を落とせば、くつり、とビルネンベルクは品よく笑う。

「やはり、中央の仕事に就く気はないようだ。__だが、今日のこれで、少しは中央の仕事に興味を持ってくれたかな?」

「え?」

「こういった仕事もあるのだよ。断ってばかりだから、興味を少しでも持ってもらえれば、と」

 今日の彼が行った粘土板の解析など、過去の遺産に関わるような仕事__。

「左様でしたか……」

「お節介かもしれないがね」

「いえ、そんなことは決して。お心遣いありがとうございます」

「だが、変わらないらしい」

 少しばかり物悲しげに言うもので、申し訳なく感じ、キルシェは膝に置いていた手をひっそり、と握り込む。

「……父を、放ってはおけないので」

「それを、リュディガーにも言っていないらしいが」

 何故リュディガーのことが出てくるのかわからず、怪訝にすれば、ビルネンベルクは肩を竦めた。

「一昨日かな……彼が、キルシェは中央の仕事をどれかに定めたのですか、と聞いてきたのでね。引く手数多だから迷っているらしいよ、と言っておいたが」

「……ありがとうございます」

 しくり、と胸が痛んだ。

「私も家を背負っている端くれであるから、理解はする。だが、君はそこまで御尊父に拘らなくてもよいと思うのだがね。__おっと、これもまたお節介か」

 失敬失敬、と冗談めかして言われ、キルシェはくすり、と笑った。

「それでも、放っておくことはできないのです」

 そうか、と柔和に小さく頷いて、ビルネンベルクは再び葡萄酒を眺めてから、口に運んだ。

「まあ、今後も懲りずにしつこく口説かせてはもらうよ」

 冗談めかして言われ、はい、とキルシェは苦笑した。

「__そうそう。話が変わるが、リュディガーには、厳しくなりすぎないように、と釘を刺しておいた」

 唐突な話題に、え、とキルシェは伏せていた顔を上げる。葡萄酒を更に飲んで、グラスを空にしたのを見つけ、キルシェは酒瓶を取ると、そこへ注いだ。

「ありがとう。__ほら、君、彼に馬術の指南を頼んだろう?」

「ああ、それですか」

「もともと武官で、中隊長だ。その頃の指導の癖が出ないとは言い切れない。君は、弓射の腕があるとは申せ、学生だ。それに、武官志望でもないわけだからね」

「そんな……そのような心配はないかと。リュディガーは、初めて馬術の鍛錬をしてくれたときから、とても細やかに対応してくれています。日除けのことを失念していて、それにもすぐに気づいて、早々に切り上げてくださったり……私が背伸びしたことをしようとすると、止めてくれるぐらいですし……。寧ろ、甘やかされているように感じることが多いです」

「なら、それは、君が弓射で教えていたやり方が良かったのだと思うよ。弟子は師に似るからね」

「まさか」

「本当さ。__ここに自慢の教え子がいるわたしが言うのだから、間違いないだろう?」

 ふふん、と鼻を高くして、胸を張るビルネンベルク。キルシェは一瞬きょとん、としてしまうが、彼の言わんとすることを理解すると素直に嬉しくて、照れ笑いを浮かべた。

「まあ、リュディガーなら、今の言葉にはきっと渋い顔をするのだがね__おや、あれは……」

 赤い葡萄酒のグラスを口元へ運ぶ手を止め、キルシェの向こうへビルネンベルクの真紅の瞳が細められた。

「__リュディガーか?」

 キルシェは確認しようと、そちらへ顔を向ける。

「そう、ですね」

 髪の毛を普段以上にしっかりと纏めたリュディガーが、今まさに入店したところだった。

「噂をすれば、というには偶然が過ぎるな。しかも、準礼装で」

 ビルネンベルクがキルシェを連れて行く店は、必ずそこそこの格の店だ。この店もそう。名うての名士、階級ある者__質の高い上等な服飾に身を包んだ者ばかりであっても、リュディガーは目を惹いた。

 キルシェは、ふと、ブリュール夫人と茶屋での会話を思い出す。

 ブリュール夫人曰く、夜会での彼は、目鼻立ちも整っていて、付け焼き刃でない立ち居振る舞いで堂々とし、目を惹いていた存在だった。

 それが容易に想像できる彼が、そこにいた。

 準礼装は、正式な晩餐会と違い、各種夜会、音楽会、鑑賞会といった、少しばかり畏まった場に着用する膝下丈の礼服。

 礼装には肩から飾り袖が腰高まで垂れているのだが、準礼装にはそれがなく、代わりに袖口にゆとりがあるものだ。胸元には左右対称に筒状の飾りがあり、これはかつて研磨して棒状に整えた魔石か、あるいは砕いた魔石を筒に納めて携帯していた軍服の服飾の名残りである。

 刺繍についてはある無しに決まりはなく、色は紺か黒。男性はこれ一着あれば、大抵の場は事足りる。

 リュディガーは礼装用の立ち襟のシャツで、襟元に龍騎士の認識票を着けていた。

 黒い飾り帯の上に黒い革のベルトを掛け、ここには剣を提げる。この剣は指先から肘ぐらいの長さの剣とされていて、武官はこれとは別に同じベルトにさらに得物を提げる。リュディガーも龍騎士の得物を提げていた。

 ただでさえ上背がある彼は目立つのに、その成り__龍騎士としての証と得物まで提げているのである。店内の誰しもが彼に注目したのは言うまでもない。どの卓も彼を盗み見ていた。

 その卓のなかでひとつ、人がゆらり、と立ち上がってリュディガーへと手を軽く挙げる。それは中年の紳士で、入り口で店員とやり取りをしていたリュディガーは、彼を見つけて軽く会釈をし、店員に先導される形で歩み寄った。
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