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帝都の大学

釈明すれど

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 ブリュール夫人の屋敷を発ち、コンブレンに着いたビルネンベルクは、船で運河を遡上する道を選んだ。

 それは、運搬する粘土板の安全を考慮してのこと。

 街道を行く乗合馬車で一日の距離が、運河を遡上すると3日も掛かってしまうが、地上を行くよりも振動がないため、破損などの心配がほぼない。加えて、一度にまとめて運べ、ビルネンベルクは船旅の最中、籠もって粘土板の解読に勤しめるという利点まであれば、この選択肢以外にありえない。

 対して、長期休暇中でも矢馳せ馬の鍛錬があるキルシェとリュディガーは、時間の方が惜しい。故に、運び入れ終えればビルネンベルクと別れて乗合馬車に乗り込む予定だ。

 運び込んでいる、隣街の教会で見つかった件の粘土板。

 修繕を行うため、祭壇を解体した際に祭壇の中から、そして、祭壇の下に新たに発見された地下へと降りる階段の先で見つかったものだった。

 キルシェらが到着した日には、教会で手配していた緩衝材の乾燥爪草ツメクサとともに、粘土板と層になるようにして収納しておき、慎重にコンブレンの街へと運び込んでおいた。

 預けていたのは、州軍。

 主要な街には、州の軍の建物がある。コンブレンも州軍の建物があり、国からの要請が予めあり、そこへ預けた。

 今日はその木箱を引き取って、船着き場まで運び__ここからがリュディガーの出番である。

 リュディガーが運び込む最中、中の状態を確認するため、ひとつひとつ蓋を開けて確認する作業はビルネンベルクとキルシェが担う。

「__リュディガーは戻ってこないね」

「……そういえば、そうですね」

 ビルネンベルクの言葉に、キルシェはリュディガーの姿を求めて周囲を見た。

「船底へ下ろしてしまったか、あるいは落として割ってしまったか……」

 まさか、とキルシェは笑う。

「キルシェ、すまないが、あと4箱だと伝えるついでに、サボっていないかそれとなく見てきてくれるかい?」

 はい、と笑って答え、キルシェは近くの確認し終えた木箱を抱えた。

 __これで、あと3箱。

「キルシェ、それはリュディガーの仕事だから呼びに行くだけでいいよ」

「ついでですよ、ついで」

 くすり、と笑ってキルシェは足元を探りながら船へ渡る。

 運び込むのは船底ではなく、ビルネンベルクに宛てがわれている船室。船底の貨物室に、物資が積まれているのは間違いないのだが、いかにも高級そうな船室は、この船が一般的な貨物船とは異なることを示していた。

 船の先端に掲げられた、ふたつの旗。

 中央のしべを車軸に見立て、八つの花弁が車輪のように四方へ向けて配された紋の旗。

 そして白地に赤の両腕を下げた大きな十字と、その十字によって区切られた4つの区画に、同様の形の小さな十字が4つ配された旗が掲げられている。

 前者はビルネンベルク家の紋・八つ矢車菊やぐるまぎく紋。後者は東のネツァク州の州紋・赤ノ葡萄ブドウ十字である。

 この船は、ビルネンベルク家として借りた船だった。

 州の紋が掲げられているのは、ネツァク州の公の物資も運んでいるかららしい。公の物資も運んでいるという体裁により、道中の警備の視線を受け易く、これにより安全面が高まる__それを利用しているのだと思われる。

 ネツァク州にとって、国家の重鎮であるビルネンベルク家は疎かにすることは無論、切っても切り離せない間柄__ビルネンベルクが動けば、州も動くといってもよい。

 州の3割の土地がビルネンベルクの封土であれば、当然のことと言える。

 高級な船室には船旅を快適に、かつ優雅に過ごすには欠かせない窓がずらり、とあって、そこにリュディガーの姿を見つけ、キルシェはほっ、とした。

「__リュディガー、あと3箱らしいです」

 こんこん、と開け放たれたままの扉にノックをしながら、扉へ背を向けて佇む形のリュディガーに声をかける。

 しかし、彼はまるで反応しなかった。

 キルシェは怪訝にしながら、船室へと踏み入り、先に搬入されていた木箱の上に重ねて置いた。

「リュディガー?」

 改めて声を掛けるも、彼は机の上に視線を落としたまま動かない。

 どうしたことだろう、と怪訝にしながら歩み寄り、彼が見つめるものを確認する。

 机の上には、粘土板が数枚__そのうちの一枚を凝視して、彼は止まっていた。

 先に搬入したとき、ビルネンベルクが指定した箱の粘土板だけは、机に出して並べておくよう指示があった。この粘土板は、それだろう。

 机の横に、開封して爪草が詰められただけの木箱がある。

 __でも、本当に見ているの……?

 凝視していると思ったが、改めてよく見れば、彼は遠い眼差しで視線を落としているだけの様だ。

 心もどこか遠くへ__そう見えて、キルシェは手を伸ばす。

「リュディガー」

「……っ」

 彼の腕を軽く叩いて名を呼んで、やっとリュディガーが我に返ったように身体を弾ませてキルシェへ振り返った。

「すまない、考え事をしていた」

「粘土板を見て?」

 ああ、と苦笑するリュディガーは、今一度粘土板へと視線を戻した。

「__……美しいな、と思ってな」

 彼が眺めている粘土板は、象形文字のような文字が記されているものだ。

 古語のひとつらしく、現在の帝国の公用語__現代文字に影響を与えた種類とは異なる。

 象形文字、とは言うが、本当に象形文字なのか。はたまた、これが表音なのか表意なのか、それともどちらもなのか__調べてみなければわからない、とビルネンベルクは言う。

 とは申せ、意味はわからないものの、リュディガーの言う通り、キルシェも初めて見た時、美しいと思ったのは同じだった。

「これが文字で、こんな文字を、すらすらとは言わないまでも、読もうと思えば読めるのだから、やはり先生はすごいのだな、と思ってもいた」

 そこまで言うと、リュディガーは再び静かにその粘土板を見入り始めた。

 それを見て、キルシェは小さく笑う。

「__リュディガー、その先生が、戻ってこない、と気にしてましたよ」

 リュディガーは、はっ、としてキルシェを見る。

「まずい、そうだった」

 そこで彼は、船室の変化__木箱の数の変化に気づいたらしい。

「__まさか、君、一箱運んだのか?」

「ええ。ついでですよ。ついで」

 すまない、と罰の悪い顔になったリュディガーに笑う。

「戻りましょう」

「キルシェ、待ってくれ」

 キルシェが踵を返し、船室の扉を潜ろうとしたところで、リュディガーが呼び止めた。

 はい、と振り返ってみれば、呼び止めた当人は、言葉を探すように視線を巡らせる。

「その……一昨日のあれは、ちょっとした事情があって、断りきれなかったもので……」

 __一昨日の……あれ……?

 一昨日__コンブレンでの食事のことか。

 彼にしては珍しい言い淀む様に、キルシェは怪訝な表情を浮かべる。

「どうして、それをわざわざ?」

「どうして……って……」

「そのようなことを私に釈明しなくても、茶化すようなことは致しませんよ? そう思われたのなら、普段の私の態度や言動が軽はずみなものになっていた、ということですから、気をつけます。ごめんなさい」

「い、いや……そういう、つもりではなくて……」

 顔をいくらか強張らせたリュディガーに、キルシェは内心小首をかしげる。

 __よくわからないのだけれど……。

「とにかく、戻りましょう」

「ああ……」

 首の後ろを抑えるようにして、歯切れ悪く答えるリュディガー。

「行きますよ?」

 罰の悪い顔の彼をそう促してキルシェは先に船室を出てから、木箱を運んだ際に衣服についた汚れを軽く払った。
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