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帝都の大学

枯れゆく想い Ⅰ

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 頭上を振り仰ぐと、薄曇りの空。雲は少しばかり灰色で、すこしばかり重いのか低いように思う。

 その手前には、色づいた葉を落としはじめた枝が、時折吹く風に揺れている。周囲では、からから、と乾いた葉音をたてて、地面を覆う葉が転がり、あるいは降り積もる。

 日当たりが格段に良くなった林は、大学の北部にある自然なままと言っても良い敷地。極力人の手は加えず、としているところだ。

 そのなかでも、少しばかり奥のひだまりになっているところでキルシェは、倒木の上に腰を据えてぼんやり、としていた。

 __努力はした……でも、もう……。

 はらり、と枝から落ちる葉。力尽きたような様に、キルシェは自嘲する。

 乾いた寒い風が、少し強く北のほうから吹いてきた。その風に弄ばれていく積もった枯れ葉を視線で追うと、木々の向こうから人影がひとつ見えたように思えた。

 注意深く見てみればやはり人影で、目を凝らして観察しているとそれがリュディガーだとわかってキルシェは背筋が伸びる思いになる。

 その彼は、遠巻きにキルシェと視線が交わったようで、一度足を止めた。

 彼とは大学で鉢合わせする頻度は減った。キルシェが部屋に籠りがちだったせいである。どうにも気分が塞ぐし、やはり彼と会うのは気が引けるから、避けていたのだ。

 __手ぶら……散歩?

 だとしても、なんとも魔の悪い。

 キルシェを目標にまっすぐ歩いてくるリュディガーの姿に、膝に置いていた手を握りしめ、視線を外して手近な折れ枝に張り付く、地衣類を見て触れる。

 カサカサに乾いた、粉を吹いたような白い薄緑のそれ。手にとった枝は、黒ずんで軽い。

 そもそも整備された道など、森の入り口近くしかなく、キルシェが居るあたりまで至ると歩きやすい場所を歩くだけの森である。リュディガーが枯れ葉を踏みしめる音が、徐々に近づいてくるのがよくわかった。

 もはや無視できないほどに近づいたとき、キルシェはなるべく穏やかな顔を作り、振り返った。

 そして、彼の歩数にすれば3歩というところで、彼は歩みを止めてまっすぐ見つめてきた。

 彼は責める風でもなく、なんとも形容し難い表情だった。

「……こんにちは。研究材料の収集ですか?」

 キルシェの明るい問いかけに、リュディガーはしかし、あまり表情を変えなかった。

「君が入っていくのが、部屋から見えたので」

「え?」

 キルシェは思わず目を見開く。

「__前に言わなかったか? 私の部屋からは森に入っていく者が見える、と」

「そう、だったかしら……そんなことを言っていた気もするけれど……そう、それで」

 それで、と納得しかけたが、自分と遭遇することが目的だったということに、キルシェは内心苦虫を噛んだ心地になる。

 適当な、他愛ない会話で終わらせる訳にはいかない可能性がある。

「もうすっかり冬に向かっているのね。まだ葉が落ちきっていないのに、あちらには、早霜があったもの」

 キルシェは小さく笑って、霜があったあたりを視線で示した。

「……いつ、迎えが来る?」

 初めてビルネンベルクに自主退学する意向を示した日から、早3週間が経とうとしていた。

「今月の末までには迎えが。__昨日、そう手紙に」

 __あと2週間。

 2週間も猶予があるかはわからない。

 父のことだから、自分の都合に合わせて繰り上げることだってあり得る。

 __確実に言えることは、延長はありえないということだけ……。

「そうだわ。__リュディガー、私、もう使わないものを置いていくの。だいぶ人に分けたけれど、貴方がまだ受けるはずの科目のもの、いくつかとっておいてあるから、それをよければ使って」

 先輩が不要になった本を譲り受けるという文化はある。教材__特に専門書等の本は高いのだ。それを節約するための、繰り返されてきた文化である。

 キルシェの使っている物は、新しく贖ったものばかり。いずれ卒業したら、誰かしらに譲るつもりでいた。

 __なるべく身軽にして戻らないと、未練が首をもたげて苦しくなるのは明白だもの。

「部屋を引き払う時、わかるようにしておくので、受け取りそびれることはないと思うわ。不要なら、他の誰かに」

 リュディガーの目元が、わずかに細められる。

「……キルシェ、私は君に伏せていることがある」

「伏せて?」

 何かしら、とキルシェは小首をかしげてリュディガーを見上げる。

「……私も、養子だ」

 唐突な告白に驚いて、キルシェは目を見開いた。だが、すぐに薄く笑う。それを見て、彼は怪訝に眉を顰めた。

 __今更……そのこと。

「__知っているわ」

「何?」

「ローベルトお父様から、聞いたの」

 今度は彼が目を見開いた。

「とても、意を決して告白してくれたのでしょうけれど……ごめんなさい、知っていて黙っていました」

「……父はなんと」

「出会ったときは、ガリガリだった、と。気になって、食事をわけるからという口実で、農作業を手伝ってもらって、その流れで……、と。お父様、貴方が養父だと周りに言っていないのを知って、喜んでいらっしゃったわ。__貴方がそうしていたのは、心の底からお父様だと思えていたからでしょう?」

「まぁ……そう、だな」

 リュディガーは少しばかり照れたように視線を伏せ、後ろ頭をかいた。その彼の様子が、キルシェには微笑ましく映る。

「素晴らしいことよ」

 __私には、できないけれど……。

 恩は感じているが、それとこれとは別だ。

 胸をはって自分の父親だとは言えない。そうした為人の養父なのだ。

「……養子の私から言わせてもらえば、もっと自分の道を歩んでも罰は当たらないと思う」

 キルシェは薄く笑んだ。

「……それは、貴方と私に、養父に求めるものが違っているから、そう思えるのよ」

 ローベルトは、リュディガーの思うままに歩んでもらうことを望んでいたのだろう。

 それを羨むこともないが、彼は恵まれていてよかったと思う。

 __だからこそ、自分で自分の道を歩んで龍騎士になって、大学へ……。

「リュディガーが言いたいことはわかるけれど、そうはできないの。それが、私の家」

 キルシェは自嘲を浮かべる。

 諦めることが多いのは事実だ。だが、それだって納得してのこと。家長はどうやっても養父。養父の決定こそが正義なのだ。

「__それで、私にわざわざそれを告げに、ここへ?」

「……」

 裾を直し、埃を払いながらキルシェは問うのだが、リュディガーは後ろ頭を掻いていた手を外し、また表情を固くし無言になる。

 明らかに何か目的が別にある__それを察して、キルシェは小首をかしげた。

 暫しの後、彼が歩み寄って目の前で片膝をつく。

 そして、キルシェの片手を取った。

 その、彼の真っ直ぐな双眸。

 久しぶりに彼の目を見たように思う。いかばかりか、自分の心臓が高鳴ったのを自覚する。

 その彼の双眸からは、揺るぎない意思を感じられて、キルシェは息を詰めた。

 __まさか……やめて……。

 キルシェは、一層心臓が早く強く打つのを自覚した。
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