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天つ通い路

遠い記憶 Ⅲ

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 オーリオルは至極おとなしく、降ろされた場所で優美な尾で足元を隠すように巻き付けて座る。それは龍というよりも、大き目の長毛の猫、と言える所作。

 間近で見るのは初めてなそれに、マイャリスはまじまじと見入った。

 透徹された蒼穹のような瞳、小さいながらも立派な1対の角の龍。これをどのように使って、連絡を取り合うのだろうか__。

「これ」

 観察していたオーリオルの横に置かれるのは、掌ぐらいの大きさの薄い箱。きれいな紫の色紙で梱包されている。

「なんです?」

 尋ねるが、リュディガーは無言で顎をしゃくって明けるよう促すのみ。マイャリスは素直に従い箱に手を伸ばした。

 手にした薄い箱は、見た目以上に重みがあった。

 きれいな色紙を外して、蓋を開け__そこでマイャリスは息を飲む。

 箱の中身の輝き。

 白、薄い水色、青、紫__驚きすぎて、言葉が出て来ない。心臓が、ぎゅっ、と収縮し、拍動が駆け足のように早くなる。

 __なんで、どうして……これが。

 そこには、耳飾りの片割れが入っていた。

 大小様々、いくつもの色が連なる独特な形の耳飾り。それは、間違いなくマイャリスの、失ったはずの形見の耳飾りそのものだ。

 __でも、あの失くしたものであるはずがない。これはきっと……。

「……まさか、似たものを作ってくれたのですか?」

「いや。見つけて……直しておいた。石の並びは、違っているかもしれない。許してくれ。職人が予想して組んだから」

「え……。わざわざ、見つけて……直してまでくれたの……?」

「形見と言っていただろう?」

 ぐっ、と唇を引き結んで、手の中の耳飾りに視線を落とし、こくり、と頷く。

「すぐに返せなくて、すまなかった。信じられる腕のいい職人に頼んだんだが、彼は他にも並行していくつも取り掛かっている修理があって、後回しになってしまっていて……。君の退学にすら間に合わなかった」

「そう……だったの……。ありがとう、まさか……探していてくれていたなんて……」

 すぐに見つけに行こうとしてくれた彼の厚意を断ったのを、よく覚えている。

 心細く、不安でしかたなかったから、傍を離れていってほしくなかった。不運の身代わりになった__そう思うことにして、あのときは諦めた。見つけるのは難しいと思っていたから。未遂で終わり、命も奪われなかっただけましだ、と。

 __なのに、見つけていてくれたなんて……。

「これのお陰で、君が生きているかもしれない、と希望を持てた」

 リュディガーの言葉に、マイャリスは視線を断って顔を上げる。

「州境の谷間に落ちた遺体。あの遺品には、この耳飾りが含まれていた」

 __何を、言っているの……?

 唐突な話題に、マイャリスは怪訝にした。

 馬車とともに落ちた、というが、もう一方の手元にある耳飾りは自分とともに移動している。

 大学へ行く前も、大学から戻って来たときも、州城へ移り住むことになったときも、婚姻しハイムダルの屋敷に移るとき、夜会への参加の為、州都の邸宅へ移ったときも。

 事件が起きた直後は、気が利くフルゴルによって州城に運ばれて手元にあった。そして今もまた、ハイムダルの屋敷を引き払うことになって戻ってきた自分とともに、手持ちの荷物の中にある。

「そんなはず……だって、もうひとつは、私が__」

 その先を制するように、リュディガーが手を翳した。

「以前話したが……耳飾りの持ち主は、間違いなくキルシェ・ラウペンだ、とビルネンベルク先生が身元の確認をした。それから数カ月後、職人がこれを直した際、違和感を覚えてレナーテル学長へ持参して検分してもらったのだが……それで、矛盾点が出来た」

「矛盾?」

「__先生が確認した耳飾りは、2つ。一対の耳飾りだったそうだ」

「一対……?」

「州侯が君の死を偽装するために用意したのだろう。石だって、まがい物ではなかったそうだ。ということはそれなりの額だろう。__当人は死んでいるから、確認のしようがないが、他にする者なんて私には考えられない」

 手元の耳飾りを、マイャリスは薄ら寒い思いで見つめる。

「それから、その耳飾りには、これを身に着けた者の耳に届くすべての音を、盗聴する術が施されていた」

「嘘っ……」

 反射的に、それを投げるように机へ手放した。

「それは……それも、あの人が」

「心当たりが?」

「い__」

 いえ、と答えかけたが、ふと思い出した。

「どうした?」

「__思い出しました……。私が大学へ行くにあたり、出立する前の日、珍しく夕食を一緒にとったのです。そのとき、この耳飾りは形見なのだから、後生大事にするように、と。常に、身につけておけばなくすこともあるまい、と」

 耳飾りを持っていた手が震えてくる。寒い。思わず胸元で握り込んで、ぎゅっ、と放った耳飾りを見つめた。

「私の母のものであることは、間違いないの。母を思い出すと、この耳飾りを常にしていた姿が浮かびますから……。寄宿学校から戻って、耳飾りをするようになって……ほぼこればかりでしたから、ですから、言われるまでもないのに、と思いはしましたが……」

 自分の大切なものを、いつの間にか利用されていたという事実。

「よく似合っているのだから、とも……言っていた……。そんな風にあの人が褒めそやすことなんてなかったから……違和感が、あった……」

 とんでもなく気持ちが悪い。

「__あれは……そういう、下心が……思惑があったのね……」

 マイャリスは、悔しい想いがこみ上げてきた。

「……私には、お護りみたいなものだったの……。葬儀の日、これをお守りに忍ばせていた……なのに……そんなことをされていたなんて……」

 見つめる耳飾りを、リュディガーが静かに取り上げた。

「安心してくれ、今はもうその術は解かれている。レナーテル学長が解いてくださった。その術も、そもそも2つ揃って、かつ身につけているときにのみ、ということらしい」

「では、逐一すべて……」

 ああ、と頷くリュディガー。

「何のために」

「君の動向を探ることは勿論だろう。交友関係も……。これは憶測なのだが、ビルネンベルク先生も標的にされていたのかもしれない、と」

「……もしかして、先生は、色々と中央の仕事を手伝っていらっしゃったから、ですか?」

「おそらくだが、そうだろう」

「__中央の仕事の誘いを、断っておいて良かったですね……」

「そうした仕事の誘いについては聞いていたはずだ。利用しない手はないだろう、と思うが……この術が露見することを危惧して、君を呼び寄せたのかもしれない」

 それはありえなくはない。

 中央には、幾重にも看破の術が設置されているという噂だ。

「__あれ、でも、私、それなりに中央には出向きましたが……」

「もっと、奥だ。中枢も中枢。君にきていた仕事のうち、いくつかはそこだったはず」

「もし、そこまで出入りしていたら、私は間諜として捕らえられていたかもしれないのですね……」

 自嘲気味に言うと、リュディガーの目が細められた。

「……ああ。__さらに言えば、元帥閣下の祐筆の件を聞いていたら、何かしら変わっていたかもしれないが……」

「祐筆の話……」

「私は、てっきり元帥閣下の祐筆の話を聴いた後に失ったのだと思っていたが、記憶違いをしていた。祐筆の誘いはこれを君が失った後。もし聴いていたら、手を変えてきたかも知れない。そのまま君は中央へ出入りしていたかも」

「……そして、それでも看破されて、いっそ捕らわれていたら、自分の素性を早く気づいてもらえたかもしれない……」

「……そう、だな。それもあり得た」

 断らなかった方がよかったのだろうか。

 __……もし、帰れと言われなかったら……どうしていたのかしら……。
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