【完結】わするるもの 〜龍の騎士団と片翼族と神子令嬢〜

丸山 あい

文字の大きさ
51 / 69

深窓の神子

しおりを挟む
 掌を広げたぐらいの大きさの小窓__それは硝子のない覗き穴でもある。灯り置きになっもいるらしく、溶けた蝋で足元を固めるように蝋燭を置いたその小窓が、5段上がるごとにひとつという等間隔で配された螺旋階段。人ひとり分の幅しかないそこを、犬の背を追うように無言で登った。

 歩みを進めるごと、小窓から見える景色が徐々に高くなっていく。森が見えなくなり、代わって遠くに扇状に広がる家屋が見えた頃、目の前に重厚な赤い扉が現れた。

 それが現れた途端、足が止まる。

 __ここに……いる。

 破裂するのでは、と思えるほど早鐘を心臓が打つ。

 __黄昏の神子が、いる。

 目を閉じ、ぎゅ、っと胸元を握りしめ、深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせる。こうも動揺するとは思いもしなかった。独りしかいないという不安が、そうさせているのだろう。

 そのとき、つん、と腕をつつかれた。

 見ればそれはシーザーだった。

 __そうだ……シーザーがいてくれてる。

 草原で目が覚めたときも、そして今も。

 これほど心強い味方はいない。

「ありがとうな、シーザー」

 頭を撫でれば、不思議と緊張が解けていくのが分かった。

 そして、ふぅ、とロンフォールは少し大きめに息を吐いて、ゆっくり大きく吸い込むと、シーザーの頭を撫でていた手で扉に触れた。

 何度か深呼吸をし、ロンフォールは意を決し、扉をノックする。

「__どなたです?」

 やや間をおいて、覇気を欠いた女の声が返ってきた。ロンフォールは、小さく息を詰め、フードの縁を持って引張り、目深にかぶる。

「__均衡の神子の使いです。届けるように、と仰せつかって参りました」

 これは、里でフィガロに仕込まれた口上。

 女の声だからといって、件の神子とは限らない。神子守には女も着任するのだ。それに、身の回りの世話をする司祭の可能性もある。それほどの頻度はないものの、従者を介してが専らだが、こうした交流があるのだそうだ。だから不自然ではない。

 そして、この言葉の返答次第で、どう動くかの指示を受けている。

 __違う声での入室を促す声であったらば、逃げる。

 部屋の者は、決して扉を開けることはない。神子守だけでなく司祭であっても、中で有事に備え、身構えているからだ。開けたら最後、お尋ね者のロンフォールとなれば、ただでは済まされない。だから逃げろ、とフィガロは言った。

 おそらく、答えを待つ時間はさほどではなかったはずだが、それでもやきもきさせられる程度には間があって、手に汗を握ってしまう。

「__入ってください」

 ひゅっ、と小さくロンフォールは息を吸った。

 同じ声で入室を促すようであれば、身の回りの世話人は愚か、神子守も席を外しているということ。

 __入れる……。

 手の嫌な汗を拭い、一つ呼吸を整えてからロンフォールは扉をゆっくり押し開けた。

 ふわり、と漂ってくる風は、いくらか冷たい。まるで、先程暗闇の中で感じていた空気だった。明るい空間だから生気があるように感じられてもいいはずだが、それが感じられない風が吹き抜ける部屋。

 部屋の広さは、ロンフォールと子響の部屋の倍はある。だが、あまりにも殺風景だった。

 椅子と机は窓際にひとり分、その近くに本棚がある。ひとりで使うには大きい丸テーブルは部屋のやや中央に鎮座し、床には大きめの毛足の長い絨毯が敷かれている。

 少しばかり重厚で、この部屋で一番装飾が綺羅びやかな卓は、祭壇。香炉からは紫煙が細く儚げに昇っていた。

 それと同じぐらい目を引くのは赤い扉。フィガロから大まかな間取りを聞いているが、その扉の向こうは寝室などの私的な部屋のはずだ。

 ただでさえ石造りの部屋は寒々しいのに、生活感があまりにもなくて、生気のなさが際立つ部屋。

 まるで時間も止まっているかのような錯覚を抱かせる。 

 ふわり、と視界の端で靡いたものがあって、そちらを見れば、光を弾く白いカーテン。その向こうに、露台が見て取れた。

 そこでロンフォールは、思わず息を詰めた。

 その直ぐ側に静かに佇んで、こちらを見つめる女がいたのだ。

 フィガロが纏う服に似た装いの女は、表情がない。

 __これが……。

「……シーザー……?」

 女は、抑揚のない声で大きな犬を見て言った。

 名を呼ばれたシーザーは、ひとつ尾を振る。

 女は、シーザーの横に立つロンフォールへと、視線を動かした。見られると、どくどく、と心臓が煩く打ち始める。

「迎えに来た」

 それを悟れられないよう、至って静かに言いながら、ゆっくりとフードを取り払う。

「……貴方は、誰?」

 身構えるように、彼女は両手を胸の前で握り締めて見つめてくる。華奢な体の彼女は、相変わらず表情の変化がない。

 そんな彼女に予想外の言葉を言われて、思わず面食らった。

 見知っているはず。自分は覚えていないが、彼女は毎日のように、自分と会っていた__はずだ。

「……俺だよ」

 そう答えるのが精一杯だ。

 怪訝にする彼女の様子に、どんどん不安が募ってくる。

「……貴方は、誰なの?」

 どうして尋ねるのだ。

 あの均衡の神子は、見知った仲だから、と自分を独りで行かせた。
 
 __見知った仲であるからこそ、違和感を覚えているのか?
 
 手を差し伸べるようにして、一歩踏み出すと、彼女は一歩後ずさる。

「何をしに来たの……」

「連れに来たんだ。ここから出よう」

「できません」

「ノヴァ・ケルビム派の皆が、待っている」

「ノヴァ・ケルビム派は、私を禍事の神の依り代にしようと目論んでいる可能性がある。執拗に狙うのはその為__貴方がそう言っていました」

 以前の自分をやはり彼女は知っている。当然のことだ。

 だのに自分は__。

「決して、彼らには渡せない。得体が知れないのだから、と」

 そして、かつての自分は、ノヴァ・ケルビム派に対して、少なからず含むところがあったのだ。

 そう突きつけられて、言葉がうまく出てこない。取り繕っても、襤褸が出てしまう気がしてならないのだ。__否、すでに出ているのかもしれない。出てしまっている。

「貴方は、誰なの?」

 __誰……?

 何故そんなことを聞くのだ。

「俺は……ロンフォールだ。あなたの神子守長のロンフォール・レーヴェンベルガー」

 言った途端に生じる妙な違和感。

 名乗ったはいいが、記憶の後ろ盾がないせいか、不安に思ってしまう。何故これほどに、動揺してしまうのか。これほどの、寄る辺のなさはなんなのか__。

 動悸が激しくなり、頭の中で心臓の音が響いている。それらはどちらも、痛みを伴うほどである。

「違う」

 まっすぐ見つめてくる彼女の視線が痛い。
 
 __違う……。
 
 どくん、と頭の中で大きく脈動があった。鈍い痛みに頭を抱え、喉へと競り上がってくる嫌悪感に胸元を握り締めた。
 
 __何かが……違う……。こんなんじゃ、ないはず……。
 
 そう、何かが違う。
 
 __なんだ、この違和感は。
 
 ぐらり、と視界が歪んだ。

 平衡感覚が薄れて、近くのテーブルに手を突いた。寄りかかる勢いに耐えられずテーブルは揺れ、置かれていた空の花瓶が床へと転げ落ちる。

 シーザーが足元に近づいて、不安げな表情で見上げてくる。

 それを視野におさめながら、胸元の違和感と頭痛をやり過ごそうと必死に声を殺していると、勢いよく扉が開け放たれた。

「勘付かれました。逃げましょう」

 イェノンツィアが冷静に、しかし語気を強め、足早にロンフォールへと歩み寄ってくる。

「ごめんなさいね、ゾフィー。騒がしくして」

 イェノンツィアの脇から現れたフィガロは恭しく礼をとった。

「均衡の君__」

「ほう」

 やや驚いた声をあげる禍事の神子だが、それとは別に男の感心した声が、開け放たれたままの扉から発せられた。

 振り返れば、そこには甲冑姿の男が姿を現したところだった。

「何を画策しておいでで? 均衡の司教様」

「元帥閣下がどうしてこちらに?」

「おかしな気配があれば、確認にくるものでしょう。一応、今は、禍事の神子の神子守長なのでね」

 扉近くの壁に寄り掛かって腕と足を組み、顎をしゃくってロンフォールを彼は示した。

「そこの男が出奔したものだから、誰かがやらねばならんだろう?」

 くつくつ、と笑う甲冑の男。

 口元が見える構造の兜は、何かの生き物の頭蓋骨のようで、さも頭蓋骨そのものが笑っているように、ロンフォールには見える。

「__で、司教様こそ、何故? 歪を正しに出ているはず。何を考えておられる?」

「後で、ちゃんと説明するわ」

 にやり、とフィガロが笑った。刹那、ロンフォールは踏み締めている床の感触がふっと消え、音も遠ざかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~

みつまめ つぼみ
ファンタジー
 17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。  記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。  そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。 「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」  恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?

たまご
ファンタジー
 アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。  最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。  だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。  女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。  猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!! 「私はスローライフ希望なんですけど……」  この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。  表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。

オネエ伯爵、幼女を拾う。~実はこの子、逃げてきた聖女らしい~

雪丸
ファンタジー
アタシ、アドルディ・レッドフォード伯爵。 突然だけど今の状況を説明するわ。幼女を拾ったの。 多分年齢は6~8歳くらいの子。屋敷の前にボロ雑巾が落ちてると思ったらびっくり!人だったの。 死んでる?と思ってその辺りに落ちている木で突いたら、息をしていたから屋敷に運んで手当てをしたのよ。 「道端で倒れていた私を助け、手当を施したその所業。賞賛に値します。(盛大なキャラ作り中)」 んま~~~尊大だし図々しいし可愛くないわ~~~!! でも聖女様だから変な扱いもできないわ~~~!! これからアタシ、どうなっちゃうのかしら…。 な、ラブコメ&ファンタジーです。恋の進展はスローペースです。 小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。(敬称略)

処理中です...