転生した皇帝は神の罠を乗り越える~あの日の過ちに苦しむ魂は百年の時を越え~

今井杏美

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エレン

 
 エレンは仕事を終えて家に帰る途中、服のにおいを嗅いで大きなため息を吐いた。

(あー、雑巾の臭いが全身からするわ。殿下は臭かっただろうな……)

 殿下だけではない。
 また母親に心配をかけてしまうと思うと気が沈む。

 彼女の家は邸の敷地の隅にある下級使用人用の小屋だ。
 家に着いて玄関を開ける前に「元気、元気」と呟いた。

「ただいまー」
「お帰りなさい」

 陽も落ちて暗くなった家の中は蝋燭で灯しているだけなので薄暗い。
 できるだけ母親から離れていれば臭いもわからないし少し腫れが残っている頬や唇の傷も見つからないだろうと思ったが、狭い家の中、すぐにばれてしまった。

「エレン、こっちにきなさい」
「……はい」
「また坊ちゃんに苛められたのね」
「大丈夫よ、私は頑丈にできているしこんなのどうってことないわ。それにほら、もう傷だってふさがってるでしょ」

 気丈に振る舞い切れた唇を見せて明るく笑う娘に母親のナタリーは頬に水で濡らしたタオルを当ててあげた。
 
 娘の為にナタリーはこれまで何度も他の職を探したが、不況が続いている帝国でそう簡単に子持ちの女性に仕事は見つからなかった。

「ごめんなさいね……あなたにこんな我慢を強いさせるなんて……」
「だから全然大丈夫だって。亡くなった父さんと母さんはずっと前からここで働いているしそう簡単に仕事が見つかるわけないもの。それにここでの洗濯係りの仕事は賃金がいいんでしょう? しかも住居付きじゃない。今はお金を貯めるのが先よ」
「……そうね……。じゃあ、夕飯にしましょうか」

 ナタリーはせっかくのエレンの気持ちを台無しにしないよう微笑みを作り台所へ向かった。

 エレンの目標はお金を貯めて母親と二人でここを出ることだ。
 大きくなってもこの侯爵家の使用人でいるつもりはない。


 
 ドンドンと玄関扉を叩く音がしてナタリーと仲の良い洗濯仲間のウージェニーが大きな籠を持ってやってきた。

 彼女の恋人は侯爵家の料理人で、たまにその恋人からこっそり分けてもらった余った野菜などをナタリー親子に持って来てくれるのだ。

 侯爵家でも料理人へのそれくらいのお目こぼしはある。

「あら、ありがとう! いつも悪いわね。野菜を切らしていた所だったのよ」
「それは丁度よかった。大根、ニンジン、それからリンゴも持って来たわ。エレンは育ち盛りだもの、たくさん食べなきゃね」
「ありがとう! ウージェニーおばさん」
「じゃあこれから野菜スープを作るわ。一緒にどう?」
「ごめーん、これから彼とデートなのよ」
「まぁ、なら引き留めちゃ悪いわね」
「というわけで、また明日ね!」

 大きくウェーブのかかった金髪をゆさゆさ揺らしながら足取り軽く帰って行くウージェニーを見届けて、ナタリーは台所に戻った。

 トントントンと野菜を切る音が聞こえる。

「ねえ、母さん。母さんは黒髪だけど私は金髪でしょう? だからたまに拾われっ子って言われるの。そのたびにお父さんが金髪だったって言うのもほんと面倒くさい。私も黒髪だったら良かったなぁ」

 エレンがテーブルに座ったまま大きな声で母親に話しかけるとそれまで軽快だった包丁の音が途切れて、またすぐに何事も無かったかのようにトントンと聞こえ出す。
 エレンはこの音が大好きだ。
 朝、目が覚めた時もこの音が聞こえていると妙に安心する。 
 
「さあスープができたわよ、いただきましょう」
「わーい。いっただっきまーす」

 彼女は今日の殿下とのことを話して母親を驚かせたかったが、それを言うと苛められた話をまた蒸し返すことになるのでやめておいた。

 そして夜、濡らしたタオルで雑巾臭い全身と足の擦り傷を拭いてベッドに入るとあっという間に眠りについた。


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