転生した皇帝は神の罠を乗り越える~あの日の過ちに苦しむ魂は百年の時を越え~

今井杏美

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侯爵家の養女


「あやうく捕まるところだった」

 ジェラールがやれやれと思いながら弟エルネストの部屋の扉をノックしようとすると、勢いよく扉が開いた。

「あ、兄上……」
「おっと……。なんだ、今にも泣きそうな情けない顔して。どこか行くのか? ほら、狸に蒸しパン持って来たぞ」
「それより、チンクがいなくなっちゃったんだ! 窓を開けてたからベランダから逃げたのかもしれない」

 チンクとは狸の名前で、五匹はピンク、ブリンク、チンク、リンク、シンクと名付けられた。

 お腹が空けばどうせそこら辺をうろつくだろうからわざわざ探す必要もないんじゃないかと言おうと思ったジェラールは、不安そうな弟の顔を見るとそうも言えず、天気もいいことだし外に出て一緒に探すことにした。

 皇后が体の弱いエルネストの為に力を入れて作った庭は低木から高木までその凝りようは半端なく、皇太子の庭よりも広い。
 馬酔木(アセビ)の花の垂れ下がった姿は可愛らしく、八重咲きの紅桃色の椿は濃い緑の葉とのコントラストが見事だ。
 
「いなくなってからどれくらい経つ?」
「気付いたのはさっきで……わかりません」

 アランと数名の侍女を交えて探してもなかなか見つからずにとうとう隣のジェラールの庭まで来てしまった。

 そこで、ジェラールとアランが奥の方を、他の者たちは宮殿近くを探すことになった。


(まぁ時間が経っているとしても敷地内からは出ていないだろう。どこかに縮こまっているか……)

 どんどん奥の方まで進んでいくと、東屋に知らない女性がいた。

(誰だ? 俺の許可なく何しているんだ)

 今日ジェラールは婚約者候補の話で皇后に捕まる前に逃げてきたのだが、ベニュロ侯爵夫人も来ていると聞いた。
 もしかしたら侯爵夫人の連れなのだろうかと彼は思ったが、だとしても皇帝と皇后の住まう宮殿の庭ではなく皇太子の庭にいるのはおかしい。
 アランも見たことが無い女性だと言うし、訝しみながら様子を窺うとその女性が何かを抱いているのがわかった。
 チンクだ。
 まるで赤ん坊をあやす様に抱っこしている。

 害獣と言って嫌な顔をする女性が多い中、ましてや狸を抱っこするなんてかなり珍しい光景だ。
 だが今はそんなことに感心してもしょうがないとジェラールは声をかけることにした。

「レディ。その狸は俺の弟の狸だ。逃げ出して探して――」

 振り返った女性の顔にジェラールはハッと息を呑んだ。

「あ、ごめんなさい! 可愛くってつい」
「……いや、君が捕まえてくれたようなものだ。礼を言う。ところで君は?」
「私、ベニュロ侯爵の娘のカリーヌ・ベニュロと申します」
「侯爵の……娘?」

 彼に令嬢はいない。

「あの……養女です」

 カリーヌは眉を顰めた彼の表情を見てすぐに弁明するも、増々不愉快そうな顔をされて何かまずいことでも言っただろうかと不安になった。

 そして、「カリーヌ嬢、ここは俺の庭だ。狸を置いてお戻りください」というさっきとは打って変わって冷たい口調になったその言葉で、この男性が誰だろうかと考える間もなく正体が分かって心臓が跳ね上がった。
 
「えっ、あなた様は! 大変失礼いたしました!」

 カリーヌはチンクをそそくさと地面に置くと、恭しく礼を取った。

「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。改めまして、私はベニュロ侯爵家の――」

 しかしそんな彼女を無視してジェラールが地面に置かれたチンクを抱っこして歩き出すと、それに慌てたカリーヌは彼の背に向かって大声で言い訳をした。

「殿下! 申し訳ありませんでした! 皇后陛下が散歩してきてもよいと仰せになったものですから!」

 ジェラールは足を止めて振り向いた。

「俺の庭を?」
「それは侯爵夫人が……両陛下の庭の隣には皇子殿下お二人の見事な庭が続くと仰っていたので……」
「へぇ。侯爵夫人は皇太子の庭の出入りに権限があるのか。知らなかった」
「いえ! そういうわけでは……でも皇后陛下も今の自分の庭を散策するよりもその方がいいだろうと仰ってくださって、つい足が向いてしまいました」


 皇后の庭はとりわけ春のサンザシが見事だがまだ咲いていない。
 常緑樹の多いジェラールとエルネストの庭なら見どころはあるだろうが、だからといって、よりによってベニュロ侯爵家に関係のある人物が自分の庭にいることがジェラールは少し不快だった。
 
「チンクー! 兄上の庭にいたのか、探したぞー」

 二人の間に流れている微妙な空気を後ろから来たエルネストが破った。
 そしてジェラールからチンクを受け取ると嬉しそうに頭に顔を擦りつけた。

「母上の庭じゃなくて良かった。見つかったらきっとギャーギャー騒いで大変なことになってたでしょうから」
「森に返せって言ってたもんな」
「あれ? こちらの令嬢は?」

 カリーヌは俯いて小さくなっていた。


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