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百年前(一)
侍女が皇帝の部屋に朝食を持って来た。
彼女にはプリエールの世話も任せている。
「隣の部屋のバルコニーの割れたワイングラスを片づけておいてくれ。プリエールは留守にしている」と言うと、侍女は不思議そうな顔をして「陛下、プリエールとはどなた様の事でしょうか」と質問した。
「いや、気にしないでくれ」と言ったジェラールの右の口角が上がる。
その後に会ったエルネストとアランも彼女の事を覚えていない。
プリエールは一時の幻の女性。
彼がジェロモンだった頃のように――。
~百年前~
ジェロモン皇帝十八歳。
久し振りに神殿に入ることができた皇帝の下、ガイアマーレ帝国の民は皆幸せに暮らしていた。
ある日、神殿の帰りに愛馬のジェイジェイに水を飲ませるため泉に寄ると、美しい娘が水浴びをしていた。
水色の長い髪と透き通るような白い肌。
ジェロモンは一目で恋に落ちて彼女が泉から上がってくるのを待った。
「ジェイジェイ、彼女が出てきて服を着たら俺に教えてくれ」
『わかった』
そして泉から上がった彼女にジェロモンは声をかけた。
そこからジェロモンとコラリーヌは知り合いになり、皇宮に連れ帰って皇帝の隣の部屋を彼女にあてがうまでになった。
サンザシの花が大好きだと言う彼女を驚かせようと、ジェロモンは皇宮にサンザシの木がメインの美しい庭を造った。
既に蕾がついているので数か月後の春には開花する予定だ。
開花したらこの木の前で彼女にプロポーズしようと密かに計画を立てた。
その日がやってきて、ジェロモンから結婚を申し込まれたコラリーヌは困った。
彼女は人間の世界では一年しか生きられないため、あと少ししたらこの世界から去らなければいけないのだ。
実は彼女は海の神の世界の住人で、人間の世界に出てきたのは単なる好奇心だった。
一年しか人間の世界で生きられない事を始めて知ったジェロモンは苦悩して、マルセラン神に自分を海の神の世界で暮らせるようにしてくれと頼んだ。
マルセラン神は人間の願いを特別に叶えることはできないと断ったが、コラリーヌもジェロモンと離れたくなかったため、彼女の意を汲んでアルマン神がある提案をした。
「君はこのまま帝国を立派に治めよ。そして五年経った後にコラリーヌとの間に子どもを作ってもらう。その子を帝国の次期皇帝にすると約束すれば神の世界に入れる身体を授けよう。ただし、今後五年間は彼女に会うことはできない」
ジェロモンは彼女と会えなくなるのは辛かったが、五年後には彼女と暮らせる希望があるためその提案を受け入れた。
簡単なことだ。
民はなんの不満もなく幸せに暮らし政治も安定しているのだから。
四年経ったある日、いつもの神殿からの帰りに泉の休憩小屋で休んでから帰ろうとすると、泉の側で女性が倒れているのを発見した。
意識のない彼女をそのままにはしておけず宮殿に連れ帰り、気が付くまで侍女らに世話を頼むことにした。
数時間後に目を覚ました女性は記憶を失っており自分の名前しか覚えていない。
翡翠の瞳とオリーブ色のストレートの髪を持つ彼女の名前はデジール。
とても美しく魅惑的な女性だ。
記憶を失っている間、彼女は客人として迎えられることになった。
ジェロモンはたまに彼女と食事や散歩をすることもあったが、コラリーヌを心から愛する彼が彼女に心を動かされることはない。
だがデジールは自分の魅力をよく理解していた。
積極的で奔放な性格の彼女はジェロモンに親しげに纏わりつくようになる。
その状況に周りの目は温かく、空いている皇后の座に彼女が座るのではと言い出す貴族も出てきた。
一年後に神の世界に行くつもりのジェロモンにとってそんなことはあり得ない。
だが、そのうち彼女のすらりとした手足と魅力的な体に心がざわめくようになった。
そうはいっても元来真面目なジェロモンは、自分の体の奥で蠢く黒い感情を決してあってはならない事だと嫌悪して蓋をした。
彼は誠実さを美徳とし人を傷つけることをよしとせず、自分もそういう人間でありたい、そういう人間だと思っていた。
そんな中、突然皇帝の寝室に現れたデジールはベッド脇でジェロモンを誘惑した。
彼女の纏う濃密な甘い花の香りと、それと対照的な新緑の香りが彼の鼻をくすぐる。
彼は最初こそ拒否したが、何年もコラリーヌに会うことができていない若い皇帝に抗い続けることは難しく。
ついに我慢の限界が訪れ一線を越えてしまった。
明け方、横になって自己嫌悪に陥っているジェロモンの隣でデジールが顔を手で覆い泣いている。
「……じて……のに……」
「え?」
「信じていたのに……」
覆った手を外して現れた顔は、コラリーヌだった。
ジェロモンは驚愕して震える手を伸ばすと、コラリーヌは砕け散る海の波飛沫のごとく細かく崩壊していき、ついには跡形もなく消え去ってしまった。
彼女の寝ていたシーツに人がいた形跡は残っていない。
皇帝はそこでやっと気付いた。
神が自分を試したのだと。
彼女にはプリエールの世話も任せている。
「隣の部屋のバルコニーの割れたワイングラスを片づけておいてくれ。プリエールは留守にしている」と言うと、侍女は不思議そうな顔をして「陛下、プリエールとはどなた様の事でしょうか」と質問した。
「いや、気にしないでくれ」と言ったジェラールの右の口角が上がる。
その後に会ったエルネストとアランも彼女の事を覚えていない。
プリエールは一時の幻の女性。
彼がジェロモンだった頃のように――。
~百年前~
ジェロモン皇帝十八歳。
久し振りに神殿に入ることができた皇帝の下、ガイアマーレ帝国の民は皆幸せに暮らしていた。
ある日、神殿の帰りに愛馬のジェイジェイに水を飲ませるため泉に寄ると、美しい娘が水浴びをしていた。
水色の長い髪と透き通るような白い肌。
ジェロモンは一目で恋に落ちて彼女が泉から上がってくるのを待った。
「ジェイジェイ、彼女が出てきて服を着たら俺に教えてくれ」
『わかった』
そして泉から上がった彼女にジェロモンは声をかけた。
そこからジェロモンとコラリーヌは知り合いになり、皇宮に連れ帰って皇帝の隣の部屋を彼女にあてがうまでになった。
サンザシの花が大好きだと言う彼女を驚かせようと、ジェロモンは皇宮にサンザシの木がメインの美しい庭を造った。
既に蕾がついているので数か月後の春には開花する予定だ。
開花したらこの木の前で彼女にプロポーズしようと密かに計画を立てた。
その日がやってきて、ジェロモンから結婚を申し込まれたコラリーヌは困った。
彼女は人間の世界では一年しか生きられないため、あと少ししたらこの世界から去らなければいけないのだ。
実は彼女は海の神の世界の住人で、人間の世界に出てきたのは単なる好奇心だった。
一年しか人間の世界で生きられない事を始めて知ったジェロモンは苦悩して、マルセラン神に自分を海の神の世界で暮らせるようにしてくれと頼んだ。
マルセラン神は人間の願いを特別に叶えることはできないと断ったが、コラリーヌもジェロモンと離れたくなかったため、彼女の意を汲んでアルマン神がある提案をした。
「君はこのまま帝国を立派に治めよ。そして五年経った後にコラリーヌとの間に子どもを作ってもらう。その子を帝国の次期皇帝にすると約束すれば神の世界に入れる身体を授けよう。ただし、今後五年間は彼女に会うことはできない」
ジェロモンは彼女と会えなくなるのは辛かったが、五年後には彼女と暮らせる希望があるためその提案を受け入れた。
簡単なことだ。
民はなんの不満もなく幸せに暮らし政治も安定しているのだから。
四年経ったある日、いつもの神殿からの帰りに泉の休憩小屋で休んでから帰ろうとすると、泉の側で女性が倒れているのを発見した。
意識のない彼女をそのままにはしておけず宮殿に連れ帰り、気が付くまで侍女らに世話を頼むことにした。
数時間後に目を覚ました女性は記憶を失っており自分の名前しか覚えていない。
翡翠の瞳とオリーブ色のストレートの髪を持つ彼女の名前はデジール。
とても美しく魅惑的な女性だ。
記憶を失っている間、彼女は客人として迎えられることになった。
ジェロモンはたまに彼女と食事や散歩をすることもあったが、コラリーヌを心から愛する彼が彼女に心を動かされることはない。
だがデジールは自分の魅力をよく理解していた。
積極的で奔放な性格の彼女はジェロモンに親しげに纏わりつくようになる。
その状況に周りの目は温かく、空いている皇后の座に彼女が座るのではと言い出す貴族も出てきた。
一年後に神の世界に行くつもりのジェロモンにとってそんなことはあり得ない。
だが、そのうち彼女のすらりとした手足と魅力的な体に心がざわめくようになった。
そうはいっても元来真面目なジェロモンは、自分の体の奥で蠢く黒い感情を決してあってはならない事だと嫌悪して蓋をした。
彼は誠実さを美徳とし人を傷つけることをよしとせず、自分もそういう人間でありたい、そういう人間だと思っていた。
そんな中、突然皇帝の寝室に現れたデジールはベッド脇でジェロモンを誘惑した。
彼女の纏う濃密な甘い花の香りと、それと対照的な新緑の香りが彼の鼻をくすぐる。
彼は最初こそ拒否したが、何年もコラリーヌに会うことができていない若い皇帝に抗い続けることは難しく。
ついに我慢の限界が訪れ一線を越えてしまった。
明け方、横になって自己嫌悪に陥っているジェロモンの隣でデジールが顔を手で覆い泣いている。
「……じて……のに……」
「え?」
「信じていたのに……」
覆った手を外して現れた顔は、コラリーヌだった。
ジェロモンは驚愕して震える手を伸ばすと、コラリーヌは砕け散る海の波飛沫のごとく細かく崩壊していき、ついには跡形もなく消え去ってしまった。
彼女の寝ていたシーツに人がいた形跡は残っていない。
皇帝はそこでやっと気付いた。
神が自分を試したのだと。
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