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第3話 2人はやっぱり分かってない
2人は分かってない【香凛社会人編】 その12
しおりを挟むふと、明日香は私に気を遣って、わざと会社から距離があるお店を選んでくれたんじゃないだろうかと思い至った。知り合いがいなさそうな場所を。
「いや、あった、という訳じゃないんだけど」
私は曖昧にぼやかしながら言う。
何かあった気もするけれど、まだ具体的に人に話せる段階じゃないと思う。自分の中でも、扱いがはっきりしていないのだ。
「あってからじゃ遅いのかな、と言いますか」
「うん?」
「いや、急にね、気になっちゃって。明日香、この間言ってたでしょ、ウチに異動してきた高山さんに気を付けなよって」
知り合いはいなさそうだけれど、それでも内容が内容なので一応声のトーンを落としておく。
「あっちこっち異動多いの、問題があるからだって。あれって、具体的にどういうことなのか、知ってたら教えてほしいなって。話聞いてからじわじわと気になってさ。自衛できることなら、しておきたいなって。やっぱり接点ゼロじゃないし」
「…………やっぱ何かあったんじゃない?」
「いやいやいや」
探るような、心配を多分に含んだ目。
「詳しく知らないんだったらそれはそれでいいんだ。ごめんね、生き字引みたいに利用しちゃって。っていうか、明日香、ここ日本酒沢山あるね。ビールよりこっちの方が良かったんじゃない?」
「香凛ちゃん」
ずらりと並んだ、正直キレとか味とかよく分からない名称の羅列を追っていると、明日香は神妙な声のまま続けた。
「別に都合よく利用してるとか、そういう風に思わなくてもいいよ? 情報持ってますんで~って匂わせてたのはこっちなんだし。っていうか、利用でもなんでもないじゃん。情報の共有は女子の嗜みじゃん」
「うん……そう、かな?」
「そうです」
力強く頷いたと思ったら、ぐびっとひと口喉を潤して、次はこそっと明日香は囁いた。
「件の高山さんね、要するにハラスメントだよ」
「ハラスメント」
「パワハラかセクハラかって聞かれると、どちらかと言えばセクハラらしい」
やっぱり、と思ってしまった。
あれこれ言われている今時、女性社員の肩を包むようにきゅっと掴んだり、触れてしまうような不自然な物の受け取り方はそうしない。迂闊にも、鈍感にも程がある。
「セクハラ……って例えば」
「色々あるらしいけどね。身体的接触が多い? みたい」
どれも一瞬のことで言い逃れなんていくらでもできるし、本当に自分の自意識過剰かもしれないけれど、触れられたあの瞬間のぞわりとした感覚が蘇る。
「交際を迫られたというような話も聞いた」
「……噂が出回ってるってことは、訴えた人がいたってこと?」
「どこかの支社で、そこの人事に訴えた人はいたらしいよ。でも結局きちんと判定はされなくて、異動で誤魔化されたんだって」
「それは、高山さんがウチの大口の取引先の親族だから?」
訊けば明日香は眉を寄せながら頷いた。
「それは大きいらしいよ。正直、役員が、あるいは役員の息子がとかだったら、ウチは親族経営でもない訳だから、そこの首をすげ替えればいい。空席になるのを今か今かと待ってる人は山ほどいる訳だし。でも取引先はそこを切って、じゃあ同等の取引先をって、都合よく見つかるとは限らない。しかもウチは受注してる側じゃなくて、受注もらってる側だから。そして向こうは親族経営」
「…………なるほど」
「あとね、もう一つ。やり方が、セコイらしい」
「?」
どういうことだろうか。偶然を装って、わざとではないと主張するとか、そういうことだろうか。
けれど明日香の話は、私の予想とは全く違っていた。
「弱味を握るんだって」
「え?」
「された側が、周りに訴えられないように、弱味を握るらしい」
「……際どい画像を脅しに使う、とか?」
「そこまでは知らないんだけど……」
「いや、でも明日香、十分詳しいよ」
「実はこの間、ウチの経理の先輩に誘われて女子会に行ったの。そしたらそこに前の部署で高山さんと一緒だったっていう人がいて。先輩の同期だったらしいのね。そこで、その人から聞いた話。もちろん言いたくない話だろうし、だからそれほど詳細を聞いた訳じゃないけど、知り合いの子がいるなら気を付けるように言っておいてって言われたんだ」
危機管理の足りていない、ちょっと人との距離感が危うい人。
噂を切り離したら、今はまだそういう認識でいることもできるだろう。
でも、既に私の中に不信感と忌避感は生まれている。何もちょっとした接触や、明日香から聞いた話だけで印象を決め付けている訳ではない。
今日、飲みに誘われた。
紺野先輩と永田先輩と一緒だって。
でも、それは嘘だ。
誘いの言葉を聞いた瞬間に、私はそれに気付いてしまったのだ。
紺野先輩がその飲み会に参加するはずがない。だって今日、本人から聞いたのだ。
休憩室で見かけた先輩があんまりにこにこしてたから、何かいいことあったんですかって声をかけたら、遠距離中の彼女が今日はこっち来てるんだって、だから今日は早く上がるんだって、そう本人の口から聞いたのだ。
そんな紺野先輩が、飲み会に来るとは思えない。実際先輩は今日、定時のチャイムと共にいそいそとデスク周りを片付け始めていたし、その一方で永田先輩と高山さんは席を立つ様子も見せなかった。
ふと思ったのだ。
飲み会があるという話自体が丸々嘘で、紺野先輩どころか永田先輩も誘われてなんかいなかったんじゃないかって。
私が行くと返答していて、待ち合わせ場所に着いたら、二人とも急に都合が悪くなったとか言われて、そこには高山さんしかいないんじゃないかって。
自意識過剰かもしれない。そうかもしれない。自分の考えに確信がある訳じゃない。でも。
「香凛ちゃん、本当に大丈夫? まだ本人移って来たばかりだし、反省してないにしても暫くは様子見て大人しくするもんじゃないのかと思ってたんだけど、もしかして何か……」
「ないない。大丈夫、詳しい話聞けたから、これからきっちり気を付ける。関わりにならなければ、何も起こりようがないし」
あった、とは言えなかった。それに、まだ何か強く主張できるほどのことが起きているとも言い難い。
迂闊なことは口にするべきではないと、躊躇する気持ちの方が大きい。
不快だったけれど、たまたまだ、わざとじゃないと言われれば、きっとそれでおしまいだろう。
飲み会のことだってこちらの返答次第で後から誘って帳尻を合わせるつもりだったのかもしれないし、メンバーの名前を出し間違えたとか、言い訳しようと思えばいくらでもできる。
「普段の業務ではそんなに関わりないかもだけど。でも飲み会とかはあるし」
「心してかかります」
「香凛ちゃん、私もただの下っ端社員だけどさ、何かあったら絶対に言ってね。言い難いとは思うよ。でも、何ができるか分かんないけど、一人で考えるよりは二人で考えた方が、ほら、アイデアが出てくる可能性も二倍っていうか」
「うん」
頷きながらも、けれど実際何かあっても相談できないだろうな、と思った。
「まぁそんなことはない方がいいんだけど、もしもがあったら、その時は」
弱味を握られるって何だろう。
そんな状況に追い込まれたら、多分誰にも相談できなくなってしまう。
会社が日和見な対応をしているっぽいのも不安だけど、そもそも実態をきちんと把握していない可能性だってあるだろう。今の話を聞いていると、被害者は口を開けない状況に追い込まれている。
水面下に沈んでいる、認知されていない案件が沢山あるんじゃないだろうか。
不安の波が押し寄せるのを、お酒と一緒に飲み込んでみる。
見る人が見たら、ちょっとしたことと言われるかもしれない。でも、嫌な感じがしたのは本当だ。
だから、これ以上何もなければいいのに、と思う。何もなければ私の気にし過ぎとして、私の中で片付けられる。
「それより、明日香、先週の話を聞かせてもらってもいいでしょうか」
答えの出ないことをいつまで考えていても仕方がない。
聞ける情報は聞いた。あとは自衛するだけ。
「先週?」
「二階堂ちゃんと街コンに繰り出した件です」
気分を切り替えてそう訊ねると、明日香の表情がまたぎゅるんと変わった。
「それ~、ちょっと聞いてくれる~?」
どうやら色々と語れるエピソードがあるらしい。
面白おかしく話される明日香の体験談に、気分が徐々に上塗りされていく。
例の件については、距離を取る、それ以外にできることは今のところない気がする。
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