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第2章

関東大会出場

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県大会に優勝したあと、チームは周りから注目され始めた。
新聞社の記者が取材に来て写真撮影などされた。読売新聞では、埼玉版にキャプテンの写真が載ったりした。

関東大会は八王子市民球場で行われた。相手は群馬代表の桐生高校だ。マネージャーはベンチに入れず、スタンドからの応援だった。

初めての大舞台。
正直、何も覚えていない。
1年生がつけてくれたスコアブックによると、打たれたヒットは内野安打2本と二塁打1本の3安打のみ。
一方、我がチームも2安打に抑えられた投手戦だった。

3―1で初戦敗退だった。。。

硬式野球部のある学校の軟式野球部は強い。層の厚い硬式でレギュラーになれなかった人が軟式に流れるのかな、と思う。
違うのはボールだけ。同じ野球には変わりない。

チームは夏の大会に向けて再始動しはじめた。

他校から練習試合を申し込まれることが増えた。県内の学校には負けることは少なかった。時には他県の学校や野球クラブへも遠征に行った。

とはいえ、高校生。学校行事も、委員会も、テストもあるなかでの部活動である。
残念ながら退部する1年生もちらほら出てしまう。
男女仲の良い共学校。時々部員どうしがベンチで女の子の話もしていた。どんな顔をして聞いていていいのかわからず、知らんぷりをしていた。中でも、同じグラウンドにいるソフト部は美人揃いだったので、1年生部員の関心はソフト部に向いていた。
学校から最寄り駅までの1本道は長い大通りだったが、その道と平行して細い道があった。(通称「アベック通り」)
カップルになったものだけが堂々とその道を通れる。自転車通学の私には縁遠い道だったが、皆、アベック通りを女の子と歩くことも夢見る、普通の高校生だった。

夏の大会は県大会のあとは南関東大会となるのだが、その年は埼玉県で開催されることになっていた。
主催の県は2校が出場できることになっている。

(というのは、後から知ったことなのだが。)

6月、マネージャーがふたり入ってきた。
うめちゃんとわきちゃんだ。
マネージャーは四人になった。
私はマネージャーの先輩として、3人の後輩に仕事の割り振りをすることになった。

マネージャーといえば、忘れてはならない人もいた。
1年生部員の森くんのお母さんは応援熱心で練習や試合をよく見に来てくれた。当時は親が高校生の部活動を応援に来るなんて珍しく、マネージャーのなかで名物母ちゃんとして話題になっていた。
レモンの蜂蜜漬けを作ってきてくれたり、威勢のいい喝を入れてくれたり、そのお母さんは「森のかあちゃん」と呼ばれ影のマネージャーのような存在だった。
ボールが急所に当たって苦しむ部員に、「もんでおけー!」と叫ぶようなお母さんだった。

ちなみに余談であるが、そういう時の部員はジャンプをしていた。女子の私にとって、それは野球部に入らなければ知る由もない対処法であった。

季節は私にとって二度目の夏を迎えようとしていた。
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