転生した月の乙女はBADエンドを回避したい

瑞月

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35.朝靄のなか

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 ほのかに朝の光がさす、薄暗い寝台の上、寝そべる男は何かの気配に目を開けた。
視線だけを動かして、警戒するように部屋の中をぐるりと見まわす。 そうした後、もう一度目線を自らの腕の中に戻した。
 しっかりと抱いた腕の中には、つい先刻まで啼いていた愛しい女の姿がある。
 こうした行為を伴って眠るのは数度目だが、そのどれも、つい加減を忘れて貪ってしまう。 規則正しい寝息を刻む目元は、涙の痕でうっすらと赤みを帯びていた。
 慈しむようにゆっくりと頬を撫で、口づけを落とした。
 そして起こさぬようにゆっくりと抱いていた腕を引き抜くと、脱ぎ捨てていた紺色の寝間着を寝台の下から拾い上げ、ゆるく羽織った。
 そうして、その足は迷うことなく、寝室の窓から外に向かって伸びる露台に向かっていった。

 露台からは、けぶるようにして霧に覆われた竜の里が見える。その霧を照らすように朝の薄陽が穏やかに漂い、乳白色の波のなかに、里全体が沈んでいるかのようだ。
 日の出は間近だ。吐き出した息は白く、冷たい空気が肌を刺した。
 その赤い髪を面倒そうにかきあげると、ライは視線を里の眺望にむけたまま、声を発した。

「今更顔をだすとはな……。殺されにきたか」
「――ふふ、物騒だねぇ。ちゃんと、終わるまで、待っていたでしょう?」

 その幼さすら感じさせる声は、頭上から降ってきた。
 ライはチッと舌打ちを返す。――見上げなくても、その声の主が不敵な笑みを浮かべているのが声音で分かった。

「セラが、目覚めたんだってねぇ。僕に教えてくれても、いいのに」
「お前になど関係ないだろう」
「えぇー、僕も、セラに会いたい。
 あの月の魔石、戦いでほんと役に立ったんだよぉ。あの石からはセラの香りがして、セラに、とっても会いたくなるんだよねぇ……」

 くすくすと笑いながら物音も立てずに、屋根からするり、と露台に降りてきた黒い影。
 黒いフードから覗く黒い髪に黒い瞳。存在すべてが闇に溶けているかのようなその人は、清澄な朝の陽の光のもとで、より一層その影を濃く落とした。

「僕、一度国に戻ることになったんだ。今回のことを、報告にね。帰る前にセラに、会いたかったんだけど」

 ぐいっと口元の覆いをずらすと、白い肌に映える赤い唇が見えた。ライはそんな男を忌々しげに睨んだ。

「お前が国に帰るなど知るか。――オーランド、用件を言え」
「ふふ、せっかちだねぇ。君が、こんな所に籠っているから、色々知らないんじゃないかなって、思って教えに来てあげたんじゃないか。
 まずは一つ、今回の政変は成功って言っていいんじゃないかな。僕たちの働きもあって、表面上、実に穏便に、ね」

 特段興味もそそられない話題だ。まぁあの弱体した王家なら、今回のことがなくとも、いずれは自滅していっただろう。
 用件はそれだけか、と不快そうに眉を寄せてオーランドを睨みつける。

「あときっと、これはまだこの国の者は気が付いていないようだけど……。もう一つはね、君たちが内海と呼ぶ海、その海の渦がどうやら、弱まってきている」
「……!」
「あの程度なら、僕らの船なら渡れそうだよ。どうやら、この国は、月の女神の加護を、失ってしまったようだね?
 新政権も大変だねぇ……。腐敗した王家を斃したと思ったら、今度は他国の脅威と、戦わなきゃならなくなるなんて。ウィルダードうちの国はアルストロメリアと交易がしたかったから、ちょうどいいんだけど。
 まぁ交易交渉になるのか、侵略になるのか、それはこれからのキース達の手腕次第かな?」

 大変、などという言葉を吐きながら、愉快そうに微笑むオーランドを忌々しく見ながらライはあの日のことを思い出す。

 ――あの日、急速に失われる血に、膝をついた。
 冷たく暗いところに突き落とされるかのように、意識を手放そうとした。
その時、熱い光に強く腕をひかれた。
 そこで見たのは―――……

 白銀の髪を長くたなびかせ、白く輝きを発しながら浮かび上がるセレーネ。
 その傍らでうずくまる色のない髪の男だった。
 ――それがアルレーヌだと気が付くまでしばしかかった。

 セレーネは焦点の合わないアメジストの瞳で、遥か彼方を見つめていた。
 そうして、おもむろに両手を天に掲げると、何ごとかを呟いた。すると、暗い夜空が一瞬明るく色を変える程の、強烈な輝きを発した。
 身動きすることも出来ないまま、あまりの眩しさに目を閉じた。

 ――そして数瞬経ってなんとか目を開けた時には、セレーネもまた髪の色を茶色に変え、ゆっくりと俺の元に落ちてきた。

 あの時の強烈な輝きには、とてつもなく大きな魔力のうねりを感じた。
 何か大きなことをしたのだと、思いはしたが……。

「加護を失った、か……」
「ふふふ、王族全て、あの髪色を失ったらしいよぉ?セラってば、すごいよねぇ。……それに」

 オーランドの身体から黒い霧を凝り固めたかのような、魔力が立ち上る。

「ねぇ……君のそれ、気づいてるんでしょう?…僕、勝てないかなぁ…。ねぇ試してみて、いい…?」

 にやりと口元を歪めると、赤い舌でぺろりと唇を舐めた。そうすると、その黒い魔力が蛇のようにうねり、数を増やし周囲を埋め尽くしていく。

「くだらん」

 ライは小さな羽虫をはらうかのように、軽く右手をふるった。
 なんの労も感じさせない、たったそれだけの仕草。

 それだけで、青白い炎をが火柱をたて辺りをなめまわした。その炎の勢いに、一面を覆い尽くそうとしていた黒い蛇は、音も立てずに燃え尽きた。

 朝陽も昇り切らないその時分、それを見たものはいない。
 だが、何かの気配を感じたのか、近くの巣穴から竜が慌てたように、飛び立つ音が聞こえた。

「早く帰れ。――次はない」
「うーん、やっぱりダメかぁ……。ふふ、セラによろしく。また、来るねぇ」

 ここに来た時と同じように、すっと影が横切ったかと思う、それくらいの一瞬でオーランドは去っていった。
 ほんの数分にも満たない邂逅だった。

 先ほど自身が放った魔力の余韻が残る右手を、じっと見つめる。

 ――魔力が増幅している……。

 月の乙女の力、多大な魔力を授けるその力の所以により、セレーネは王家に狙われていたのだ。
 セレーネを抱いたその日から、予感がなかった訳ではない。だが、それを行使したのは初めてだった。

 竜の里に伝わる月の乙女の言い伝え。傷つき里に流れ着いた月の乙女はその力を失っていた。魔力と共にその髪は色をほぼ失い、だが瞳の紫水晶の輝きはそのまま残っていた。
 そして彼女自身は魔力を失くしていたが、彼女の愛した者、子供たちは強い魔力をもった。

 あの日セレーネにより、その魔力により命を救われた自分にも、彼女の強い魔力は引き継がれていた。

 ―――愛する者として。

 彼女は何も知らない。
 王都で革命が起こったことも、王家がその魔力を失ったことも、まして内海の渦を消滅させたことも。
 それを知れば、国の在り様を変えた、その責任を少なからず彼女は背負うことになるだろう。

「―――伝えるつもりも、ない……」

 ……目覚めぬセレーネを毎日その腕に抱きながら、このままセレーネが目覚めなければ、狂ってしまうかもしれない、そんな予感を感じていた。
 もしあの時、セレーネの命が失われていたならば、間違いなくその後を追っただろう。それは確信だった。
 セレーネはこのまま外界と交わらぬ、この竜の里で生きていくのだ。
 そして金輪際その身を決して危険に晒すつもりもない。……ならば、徒に心を乱す余計なことを知る必要もない。

 それでなくとも、セレーネは以前から何かに勘付いているようなところがある。何も知らぬにしては、変に敏いところや、おかしなことを言うことがある。

 ――エンディングが、どうの。

 そうだそれについて、今度問い詰める必要があるな。あいつは隠しているつもりのようだが、俺に対して時折警戒する風を未だ持っている。

 ――閨で苛めば口を割るやもしれん。

 ……その時のセレーネの姿を想像して、口角を上げる。

 ライは踵を返すと、昇った朝陽が照らす露台を寝室へと戻った。

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