一度でいいから、抱いてください!

瑞月

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憂鬱な転生【カノンの場合】

29.朝の訪問者

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 ピピピ……

 鳴りだした途端に、たんっと軽い音をたてて、目覚まし時のベルが止まった。

(やっと、朝……)

 昨夜は殆んど眠ることができず、実は随分前から目が覚めていたのだ。
 目の周りの筋肉が、しょぼしょぼと重い。起き上がるとまず姿見の前に立ち、寝不足の顔を確かめた。幸い、くまは然程目立たないようで、ほっと息を吐く。

 やっと長い夏休みが終わり、今日から学園が始まる。
 待ち遠しかったとはいえ、心境は複雑だ。カノンは結局夏休みの間に城野院と会うどころか、連絡をとることすらできなかったからだ。
 学校に行ったら本当に会えるのだろうか。急に会場から姿を消したっきり会えなくなってしまった彼のことを考えると、眠りは遠のくばかりだった。
 玲央にそれとなく城野院の行方を聞いてみたが、『なんか仕事? とかで海外とか行ってるらしいよー』ということ以上の情報を得ることはできなかった。
 学校さえ始まれば、そう思って今日を迎えたが、不安が先立ち心が晴れない。

 ゲームの中で攻略対象キャラの連絡先は、攻略対象が自らヒロインに教えてくれる以外は、サポートキャラに当たる日高凛子に教えてもらうことができた。
 でも実際のカノンは、彼女とゲームの中のように親しく恋愛の話はおろか、打ち解けることすらできなかったばっかりに、こんなことになってしまった。

(考えてみると日高さんて、名だたる校内の有名人の連絡先を網羅しているなんて、一体どういう存在なんだろう)

 夏休みだったとはいえ、ゲームの最中に連絡もとれずに攻略対象が行方不明だなんて、ありえないことだと思う。

(やっぱりゲームによく似ているだけで、別の世界なんだな……)

 そして、自分が城野院本人に聞けば良かったとはいえ、彼も連絡先を教えてくれることがなかったというのも気にかかる。……ということは、カノンに関心がないということなのではないだろうか。そうだとしたら、これからどうすればいいのだろう。
 取り留めもなくそんなことを考えながら、姿見の前で制服のリボンを結んだ。
 そうして『舞宮カノン』を整えていると、左胸の空白が、ブローチの存在以上にぽっかりと空いて感じた。

 知らずに漏れる溜息と共に、とにかくそろそろ家を出よう……と、腕時計を手に取ったタイミングで、『ピンポーン』とインターホンが鳴った。
 こんな時間に訪ねてくるひとだなんて、そう不思議に思っていると、玄関に向かった母親が声をあげた。

「カノン、お友達―! ママもう行くからね~」
「え?」

(お友達? 私に? しかも朝訪ねてくるお友達??)
 人違いじゃ? なんてことを考えながら、玄関へと慌てて飛び出すと、そこには……。

「おはよう! カノンちゃん」
「……おはようございます。カノン先輩」

「え!?」

 朝陽を背に、赤い髪をキラキラと艶めかせる彩音、そして居たたまれない表情をした奏がいたのだった。


 ◇◇◇◇◇


「カノンちゃんのお母さん素敵なひとね。カノンちゃんに似て、すごく可愛らしい感じで」
「あ、うん、ありがとう」

「カノン先輩、本当、急にすみません……。姉が言い出したら聞かなくて……」
「う、ううん。急でびっくりしたけど、大丈夫」

 すまなさそうに眉を下げる奏に慌ててフォローをいれる。確かに急な来訪にはびっくりしたけれど、こんな風に3人で通学できることは単純に嬉しい。さっきまでの憂鬱をよそに、学園に向かう足取りも軽く感じる。
 ましてや今カノンの隣を歩くのは皆の憧れの美形姉弟だ。
 似非ヒロインの私なんかが横に並んでも引き立て役にしかならないなぁと思いながら、朝陽に照らされ益々際立つ二人の美しさに、ほぉっと息を吐く。
 ――それにしても、こんな朝にわざわざ迎えにくるなんて?

「でも今日は、急にどうしたの?」

 過去に奏と待ち合わせたことがあるから大体の神崎家の場所は把握している。確かカノンの家に来るには、随分遠回りをしてきているはずだ。
 カノンの問いかけに、奏が大きくため息をついた。

「あぁ、カノン先輩、本当にすみません。えーとですね……」
「カノンちゃん! 私ね、実は日高凛子さんと仲良くなりたいの!」
「へ?」

 彩音から突然出てきた名前にカノンはきょとんとした視線を返すことしかできない。

(彩音さんが日高さんと?)

 思わず胡乱な目を奏に向けてしまうが、奏は目を伏せ、首を横に振った。反して彩音は、後光が射してるんじゃないかというくらいに完璧に美しい笑顔をこちらに向けていた。
 陽光を受けて、大きな瞳とそれを縁取るまつ毛の先までがキラキラと輝いている。
 カノンは、その惑いのない様子に、「うっ」と思わず言い淀んだ。

「……えっと、日高さんと? 確かに私は同じクラスだけど」
「あのねカノンちゃん、私実は彼女の友人と古い知り合いでね、凛子さんがいい人だっていう話をずーっと聞いてたの」
「う、うん」

 なんだか有無を言わさない態度の彩音に、カノンはとにかく相槌だけを返す。彩音はニコニコと続きを繋げる。

「それでカノンちゃんは同じクラスでしょ? カノンちゃんは編入してきてお友達もまだいないみたいだし、心配で。凛子さんならきっと良くしてくれると思うわ。彼女すごくいい子なのよ!」

 ――友達が、いない。
 カノンはその響きにグッサリと射抜かれた。

(友達がいないって、彩音さんにまで知られている……)

 悲しいけれど事実であり、目下の悩みだったので、大人しく彩音の言葉を待った。

「姉さん、その言い方はいくらなんでもちょっと……」
「それでねそれでね、ちょっとお話したいことがあって、良かったら私のことを紹介してくれないかしら? あ、そうだ! 今日皆でお昼食べない?」
「え!? 私があの子をお昼に誘うの? ……できるかなぁ……」

 凛子のあの眼鏡越しの探るような視線と、周りの取り巻きのことを思い出して、一瞬にして浮かれた気持ちが萎んでいく。
 凛子自体を特別すごく嫌というわけではないのだが、周囲の女子がとにかく苦手だ。
 実際、カノンだって最初は凛子と仲良くしたいと思いはしたのだ。だが、その度に取り巻きの勢いに、どうしても一歩引いてしまい、話しかけることができなかった。

「大丈夫、大丈夫! 私に任せて!」
「彩音さん……。……あの、奏くん……?」

 このキラキラした自信に満ち溢れる彼女に自分が何を言ったところで、響かない。というか、彼女に従うしかない気持ちになってしまう。
 カノンは視線で奏に助けを求めた。
 奏なら「姉さん急にそんなこと言っても」と窘めてくれるのではないか。いや、ちょっと止めてほしい。

「ごめんなさい、カノン先輩。あの、僕も何度も止めたんですけど……、本当すみません……」

 奏の沈痛な面持ちと、満面の笑みを浮かべる彩音。有無を言わさぬ二人の様子に、結局カノンは頷くしかなかったのだった。
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