イケメン奥様とウブかわ旦那様が初夜を迎えるまで

瑞月

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6.エトルリラ邸へ

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 馬車は単調なリズムを刻みながら、王都を離れ、山間の道を行き、一つの村へとたどり着いた。そこで休憩をとり、馬車に揺られること半日。
 そうしてやっと目的とするエトルリラの屋敷へとたどり着いた。
 そこは、空からひとたらし青い雫を落としたように、森の中にぽかりと空間が広がる湖の畔だった。
 遠景には王家が昔から魔力の源として信奉する、霊峰ノクティス山を望んでいる。
 遠目からも底が見えそうな程の透明度の高い湖面が弾く光に、セリスは目を細めた。

 あの日、エステラ王女が突然の爆弾発言をしてから早数ヶ月が経ち、季節は夏を迎えた。
 つつがなく婚姻の届け出を終え、セリスは騎士を辞し、夫となったルーファス・エトルリラ男爵の邸を訪れた。
 先の戦での武勲、そして先進的な魔術の腕を買われて爵位を賜ったのは3年ほど前。
 褒賞として領地が与えられる話も出ていたらしい。だが、ルーファスが自分には領地の管理など絶対に無理だと突っぱねて、最終的には、王家直轄領であるこの土地に特例で邸をひとつ建てさせたということだ。
 このルークス湖の畔はルーファスたっての希望であったと、アーウェン団長が事細かく教えてくれたのを思い出す。

 騎士団の宿舎にあったものはそう多くはなく、馬車から降ろす荷物は嫁入りにしては驚くほど少ない。荷物を下ろすのを手伝い終わると、御者は馬に水を飲ませに湖へと向かっていった。
 美しいところだが、すっかり王都の喧騒になれてしまっていたセリスには、この葉擦れと鳥の鳴き声が時折響くだけのここは静かすぎるように感じる。
 その清涼な風を浴びながら、不安をかき消すように深呼吸をした。

 セリスは東方の国境を守る辺境伯領の生まれだった。
 代々続く武家の生まれで、辺境伯の信頼厚い父親をはじめ2人の姉、次いで2人の兄がいる。
 その誰もが武芸に秀で、国境警備隊や騎士団にと、男女関係なく騎士としての道を歩んでいた。
 セリスも生まれた時から父や兄姉達の様子を見て育ったので、騎士を望むのは自然な流れだった。
 通例なら王都の学園に通うまでもなく15歳になると同時に騎士団に入団するのが常だったが、セリスの時は姉たちがそれに断固反対した。
 姉達は今でこそ騎士団の中で要職についているが、自分達が所謂一般的な学園生活を知らずに騎士団しか選択肢がなかったことに、後悔もあったらしい。
 セリス自身が騎士団を希望するにせよ自分達と同じではなく、きちんと学園生活も知ってほしいとのことだった。
 尊敬する姉達の提案に否はなかったので、流されるまま15で生家を離れ、学園に入学することになった。
 思えばセリスはその頃から、こと自分のこととなると流されやすいというか、頓着がない。

 だがそうして姉達の意向を受けセリスが学園に通ったのも、結局入学してから1年間だけだった。
 貴族子弟の多い華やかな学園の風土にどうしても馴染めず、入学した翌年には騎士団への入団試験を勝手に受けていたからだ。
 王女の提案は青天の霹靂であったが、確かに生まれてこの方異性と親密になったことが一度もないことを思えば、ここまでしてもらわないと結婚なんてできなかったかもしれない。


「誰か、いませんか」

 固く凝り固まってしまった腰をぴしりと伸ばしながら、セリスは声をあげた。
 畔にある邸とは、見渡す限りこれだけだ。間違いはないはずである。
 だが、扉を叩き続けても中から物音一つしない。
 改めて門扉から離れて邸を見渡そうとすると、大きな邸にとって付けたように、平屋の建物があるのが目に入った。
 大きな石造りの屋敷に対して、その部分だけ木組みの作りになっていて、大きな煙突からは黒い煙が煤臭さを周囲に降りまいている。
 セリスはひとまず荷物をその場に置くと、建物に向かって歩き始めた。

(魔術師と言っていたが……)

 セリスの城勤めの生活では、ほとんど宮廷魔術師たちと接する機会はなかった。
 式典が行われる時に王女の近衛として随従することはあったけれど、そこに参加していたのは一部の高位職の者だけだ。
 まじまじと顔を見ることがあるはずもなく、黒いフードに覆われた彼らの様子を窺い知ることはできなかった。
 魔術師といえば国防の要である。魔術はその発動条件も含めて厳重に秘匿されており、まして深窓の王女に侍っていたセリスには、その術が一体どんなものであるか想像もつかない。
 夫となったルーファス殿は、王都から離れたこの場所で一体どんな研究をしているというのだろう。

 セリスは頬につたう汗を拭い、空を飛び交う鳥たちの群れを眺めながら、ここで日々研究に明け暮れているというルーファスへと想いを馳せた。

 ꙳★*゜

「まぁまぁ! 私坊ちゃまから奥様がいらっしゃるのは明日だと聞いておりました! 大変に申し訳ないことを」
「いや、いいんだ。会えて良かった」

 木組みの平屋のところまで辿りついたところで、更にその奥にあった建物へ出入りする女性が目に入った。
 セリスの姿を見とめると、そこにいた年配の家政婦は、その小さな身体を縮こませてこちらが恐縮するほどに慌てふためいた。
 それを宥めると、セリスがルーファスから聞いていた通りの方だと頬を綻ばせた。深く刻まれた目じりの皺が彼女の人の好さを物語っている。

「もう、本当に申し訳ありませんでした。奥様、私この邸を取り仕切っております家政婦のマーサと申します。どうぞこれからよろしくお願いいたします」
「あぁ、こちらこそ。――だが、邸は誰もいないようだったが」
「ええ、そうでございますね。普段はルーファス様からお呼び出しがない限り、使用人は私だけでございます」
「? そうなのか?」
「はい、大抵のことはルーファス様の魔術装置がございますから」

 その言葉の通りを物語るように、彼女に導かれて邸の扉の前に立つと、彼女を認識したかのように、邸の玄関への道を歩くたびに灯篭に火が灯り辺りを照らしていく。
 先程セリスが声を上げ、取っ手に手をかけてもびくりともしなかった大きな扉は、マーサが扉に手をかけただけで、いとも簡単にその扉は開き、ふたりを迎えた。

「これは……」
「この仕掛けは坊ちゃまがおつくりになりました。王都のどんなお邸にも負けませんわ」

 マーサの言う通り、こんな装置は王宮にもなかった。
 仕掛けに目を剥くセリスをよそに、マーサは誇らしげに微笑んだ。
 そうして招かれた邸の内部は、磨き上げられ、随所に趣向が凝らされ贅が尽くされているのが見て取れる。
 なるほど、内部はアーウェン団長がこだわったと言っていたか。
 簡素なものでいいというルーファスに、彼の地位にふさわしく邸を整えてやったと鼻高々に語っていた団長の姿を思い出す。
 マーサに導かれて玄関ホールからつながる、大きな階段を進むと、踊り場に設けられた大きな窓から燦燦と降り注ぐ陽光がキラキラと降り注いでいてとても美しかった。
 流れ込む川も流れだす川もないのに年中その水位を維持するこの湖は、長く王家の管轄となっていて釣りすら許されていないのだと、馬車の御者が言っていたことを思い出す。確かにどこまでも透き通るこの湖は、神秘的な美しさを持っている。

「なんでもこのルークス湖の環境が、坊ちゃまの研究には欠かせないということでわざわざこちらに邸を――あら、わたくしったら坊ちゃまなんてお呼びして。申し訳ありません」

 セリスも先程から何度も坊ちゃまと呼んでいることには気が付いていた。だが、マーサの呼びかけは、かわいい孫を呼びかけるようであったから何も言わなかった。

「私は気にしないからいい。マーサはエトルリラ家に仕えて長いんだな」
「えぇ、亡くなられたルーファス様のお母様に長くお仕えしておりまして。もう25年になりますか。畏れ多いことですが、孫のように思えてしまって」
「そうなのか」

 本当にご結婚よろしゅうございました。そう言って、マーサは本当に嬉しそうに笑みをこぼした。

「ルーファス様は魔術の研究に忙しいので、日中はあまり起きていらっしゃりません。私は先ほどの別棟に住み込みですが、通いの使用人も数名おります。食事や日中の清掃以外は離れに控えておりますので、お急ぎの際はいつでもお呼びください」
「……わかった、ルーファス様はお忙しいのだな」
「はい。この季節は特にでございますね。すぐに奥様専任の侍女も参りますので、申し訳ありませんがそれまではわたくしが侍らせていただきます。それと――」

 夫殿は日中起きてこないのか?
 マーサの説明を耳に入れながらも、セリスは胸の内に湧いた疑問を、口には出さずに飲み込んだ。
 そもそも“国防の要”の魔術の研究がどんなものなのかをまず知らないのだ。
 季節が魔術に関係があるのか? 夜じゃないとだめなのか? 寝ないで夜通し研究をしているのか?

「奥様のお部屋はこちらに用意してございます。あとご夫婦の寝室は隣のお部屋になります」

 ――寝室。
 その単語に急に生々しい現実が迫ってきたかのように感じて、心臓がどくりと動いた。
 そうだ、夫婦なのだから共寝するのだ。『名前もよくわからないひとと結婚するの!?』そう言ったのはアデリーだった。
 ──名前どころか顔もよくわからないんだよアデリー。
 今更そんなことを、心で呟いた。

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