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3.待ち人来たりて?
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「え……?」
振り返ると、エントランスの灯りに照らされて、暗闇の一部分がぼうっと光った。
なんだ……? あ、瞳だ。夜の光を反射する動物のように、瞳が灯る明かりに浮かび上がったのか。
そこには黒いトレンチコートの肩と頭に白く雪を積もらせた背の高い男の人が立っていた。
スーツ姿なのはシルエットでわかったけれど闇に浮かぶ金色の瞳は、獲物を狙う獰猛な捕食者の色を灯している。
一瞬怖気付いて、本能的に身構えようとしたが、エントランスの明かりに照らされたその顔が、遠い記憶の中にある顔と重なった。
「もしかして、エル……?」
「リコ、久しぶり。……あの、誕生日おめでとう」
「は!? え、嘘、その為に来たの? なんで私の家を知って、って肩! 雪積もってるよ!?」
「……会いたかった」
「いやいやいや、顔が青白くなってるじゃん! いつからそこに?」
「うんと……、多分3時間くらいかな。ここはマリちゃんに聞いたんだ。ごめん、実家に電話して教えてもらった」
「マリに……」
エルとは高校入学と同時に付き合い始めて、頻繁にお互いの家を行き来してた。
うちの家族に別れたと伝えた時は、なぜだかすっごく止められた。
母親に、どうせ別れられないんだから、とりあえず学生結婚で籍だけ入れておいたら? なんて言われた時は、閉口したものだ。
エルはうちの家族の好感度をカンストしている。
私のワガママで別れたことも知ってるし、エルに住所を教えても不思議じゃないな、と私はすぐさま納得してしまった。
「あの、リコこれ。リコの誕生日のお祝いだけ言いたくて来たんだ。これ渡して今日は帰るつもりで。リコ誕生日おめでとう」
そう言ってエルが寒さで真っ赤になった手で差し出したのは、ミルキーピンクのガーベラの花束だった。
ほんわか明るい春の陽光、それを形にしたような色の花束。
私が今日買ったものと同じ色の、でもそれよりも大きい両手で抱えるようなやつ。
付き合ってる時に花の話なんてした覚えなかったのに、なんで私の好きな花の色を知ってたんだろう。
さっきまで必死に堪えていた淋しさが、驚きと込み上げる嬉しさで溶けていることに気がついて、私は口の端をぎゅっと引き結んだ。
「その手……顔も酷い色だよ、なんか暖めないと。……あーもう! ちょっと来て!」
私が思わずエルの手を引くと、氷のように冷たい。いやいや、寒いとひとは死ぬのよ、これ大丈夫なやつ!?
私は雪だるまになりそうだったエルを引き入れ、マンションの部屋へと急いだ。
すると黙って付いてきたエルが、部屋の前で立ち止まった。
「リコ、部屋入っていいの?」
「……いいよ。久しぶりだし、話しよ。でもまず、その頭拭かないと」
「……ありがと」
部屋の中に招き入れると、買い物してきた荷物を置いて、洗面所にタオルをとりに向かう。
そこに干してた下着をざっと籠に突っ込んで、洗濯機の脇の棚からフェイスタオルを3枚程抜き取った。
「それでまず拭いてて。今お茶沸かすから」
「うん」
ぐっしょりと重くなったコートを受け取りタオルを渡すと、所在なさげに立っているエルをエアコンの風が一番あたるリビングのソファに誘導した。とりあえず暖めねば。
私は彼の表情を伺いながら、対面になっているキッチンで、電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れた。
エルの視線を一身に受けている感覚がして、リビングには戻らずにわざとケトルがお湯を沸かすのをじっと見守る。
だけどしばらくして、ケトルが内部で水泡を上げていくにつれ、私も少しずつ冷静になってきた。
(あれ、もしかしなくても軽率だったかな?)
突然やってきた元彼を部屋に上げるなんて、ちょっとリスク管理能力低すぎなんでは?
エルがストーカーみたいに盲目的に襲ってきたりするとは思えないけど、それにしても数年ぶりの元彼を家に上げるのは……?
「心配しなくても、すぐ帰るよ」
私の表情を読んだのか、エルが苦笑混じりにそんな声をかけてきた。
私、そんなにわかりやすかったのか。……いや、エルは昔からそうだった。私の考えてることなんて、お見通しだった。
「……お茶くらい飲んでいってよ」
マグカップにお湯を注ぎながら、なんとか応えた。
いつの間にか私はマグカップに、とっておきの紅茶のティーパックを入れている。
1個500円とかするやつで、特別な日にしか飲まないやつ。
それはもう芳しい香りが立ち上ってくるのに気づいて、慌ててカップに蓋をした。
「ごめんね、リコの彼氏とか……いないの? 迷惑になっちゃわないかな。……まぁ突然押しかけた俺が言うのもなんだけど」
「あぁ、まぁそういうのは大丈夫だけど……」
彼氏なんていない、という言葉をもごもごと口の中で濁した。
別れてからの年月を思い出すと、エルはこうやっていつでも私の家に突撃できたはずだ。
でもエルはしなかった。
別れ話の時も、私の話を必死に堪えるように聞いていた。
絶対別れたくないエルと、新しい世界を知りたい私との平行線が3ヶ月も続いた頃、エルがとうとう折れてくれた。
そして、そこから一度たりとも連絡が来ることはなかった。
新しい環境に身を置いた私はそれに淋しくも清々したと思っていたけれど、だけど今はこうして訪ねてきてくれたことに、嬉しさを感じているのも事実で。
アリスの話を聞くまで、エルのことを思い出すこともなくなっていたというのに随分と虫のいい話だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
私はローテーブルを挟んで、少し離れてラグのうえに腰を下ろした。
ソファの隣に座るのもなんだし、真正面からエルを見るのもなんだし。
マグカップを握るふりをして、こっそりとエルを覗き見ると、離れていた歳月は彼を随分と精悍な顔立ちに変えていた。
高校生の頃は短く切り揃えられていた黒髪を、今は首筋にかかるくらいに少し伸ばしていて。
湿り気を帯びた髪は、蛍光灯の明かりを銀色に反射していた。
あの頃から整った顔立ちだったけれど、もっと幼さとか汗臭さが先立つ感じだったはずなのに。
背が伸びたし、体付きもあの頃よりガッチリとしてる。
白皙の肌に、すっと整った鼻梁、黒銀の髪。彫の深い目元には、くっきりとした二重まぶたに、金を帯びた透き通る茶色の瞳。
今のエルは、記憶の中の男の子から成長して、どこかの国の王子様のような精悍さを纏っていた。
そこまで意識したところで、長いまつ毛をあげたエルの金茶と目が合った。
鼓動が跳ねたのには気が付かないふりをして、目を伏せた。
「リコは元気だった? 仕事は楽しい?」
「えっあっ、まぁ、うん。仕事はまぁ順調かな、大した病気もないし元気だったよ。エルは? 仕事は何してるの?」
「あぁ、リコと別れたあと、すぐトーリアの大学に入り直したんだ。そっちで何とか資格とって、ちょうど先月帰ってきたところ」
「えぇ、トーリアにいたの?」
獣人の統べるムーアの大陸の中でも、王制をとる国だったはずだ。
近年王位継承争いがあって王族の亡命があったらしいって、テレビのニュースで見たばかりなので記憶に新しい。
トーリアの大学ってかなり難しいんじゃ。
しかももちろん大陸共通言語必須だし。
そういえば、エルは高校に入学する年に地元に引っ越してきたんだった。会えば求め合うばかりの私たちはさして自分たちの話をすることもなかったし、エルが話したがらなかったから、それまでどこでどう暮らしていたかもよく知らない。
あの日々でただ覚えてるのは、エルにひたすらに求められた、それだけで。
私はエルのことをあまり知らないけれど、エルは私の全てを丸ごと欲しがった。別れた理由の一つには、その独占欲と、私の周りの情報を一切封じてしまうことに、嫌気がさしたというのもあった。
「俺がナミキダ市に引っ越す前は、親父の仕事の関係で点々としてたんだけどさ。祖父はトーリアにいるんだよね。だからそんなに大層なことじゃないんだけど」
「えっ。え、もしかしてエルって獣人だった?」
驚きにエルの瞳が見開かれていることに気が付いて、私は口を抑えた。
え? トーリアにお祖父さんがいるってことは、そうだよね??
『エル君て獣人だったの?』
アリスの声が脳内に響くけれど、え、私もそんなの知らなかったよ……。
「うん、両親ともに獣人なんだ。……ごめんね、あの時は事情があって言えなかったんだけど……、俺も、獣人」
「あ、そうだったんだー。いやいや、うちの高校にも何人もいたし、わざわざ聞くことじゃなかったからね。そっかぁ……」
最近やたらに獣人という言葉が耳に入ってくるけれど、まさか本当にアリスの言う通り、エルが獣人だったなんて。
「最近ね、あの高校の時の南雲アリスって覚えてる? アリスがね、最近獣人のひとと婚約したの。アリスの彼氏は犬、レトリバーみたいな種類の獣人みたいなんだけど、エルは?」
「…………俺も犬、だよ」
今の間は一体。
でもエルも犬の獣人だったんだ。まぁ高校時代に知っていたからどうってことはなかったけれど、今更知るのも不思議な感じがする。
「あ、もしかして獣人だから、付き合ってた時あんなに独占欲激しかったの?」
「……それは、ある、かも。その節は……ごめんね。俺、リコにたくさん負担かけてたよね」
「あ~……まぁ、いや本能的なものだって知ったら納得かも」
「……ごめん……」
二人の間に沈黙が訪れて、私は手元のマグカップに視線を落とした。
手の中で揺れる茶色を眺めながら、あんなに求められたのは、思春期だったから、初めての相手だからかなって思っていたけれど、獣人だったなら当然だったのかな、なんてことを考える。
家族のいない時間を見計らって、私の家で、エルの家で。……夜の公園で。
時間の許す限り抱かれていたあの日々を思い出す。
(ん……?)
あれ、エルは犬の獣人って今言ったけれど……。
純粋な獣人は一生涯ひとりとしか番わないって聞いたことがあるけれど、エルは……?
「――リコ」
「ひゃいっ! ……ってエル、近い……!」
耳元で響いたエルの声に視線を上げると、音もなくエルは私のすぐ隣に座っていた。吐息の触れるくらいの距離にエルの顔があり、また鼓動が跳ねあがった。
「リコ……、別れる時の約束、覚えてる?」
「え、」
実はすっかり忘れていて、最近思い出しましたっていうのも憚られて、私は金茶の瞳から視線をそらした。「えっと、なんだっけ」と誤魔化した私に、エルが喉の奥で笑う音がした。
もう一度そちらを見ると、口元は笑っているのに今にも泣き出しそうに目元を歪めたエルがいた。
「俺、リコのこと忘れたことなかったよ。毎日毎秒リコのことを思い出して死にそうだった。でも離れてみて……、俺はリコの言う通り、リコの可能性を潰していたって気が付いた」
「エル?」
「最初はわからなかったんだ、リコの言ってたこと。俺はリコのためを思ってるし、リコにとって幸せに違いないのに、なんでって。……でも傲慢だった」
「エル……」
『エルは私のことが好きなんじゃない! 私のことなんて見ていない! なんでも私の欲しいものくれるっていうけど、私の欲しいものがわかる!? エルからの自由だよ!』
高校時代から付き合いのある友人がアリスだけだっていうのは、そもそも私に高校の頃友達と呼べるひとがアリスしかいなかったからだ。
交友関係もエルがシャットアウトしてしまって、朝から夜までエルといて。
ある日、エルに卒業してもずっとずっと一緒にいようって言われて、怖くなった。
このままエルとだけの一生を送っていくのかと思うと、足元が揺れた気がした。エルがいないと立っていられなくなる自分を想像して怖くなった。
既にその時、私は自分の足で立っているとは言えない、エルだけの世界にいたから。
私の高校時代は全てエルしかなかった。彼がそうしたから。
振り返ると、エントランスの灯りに照らされて、暗闇の一部分がぼうっと光った。
なんだ……? あ、瞳だ。夜の光を反射する動物のように、瞳が灯る明かりに浮かび上がったのか。
そこには黒いトレンチコートの肩と頭に白く雪を積もらせた背の高い男の人が立っていた。
スーツ姿なのはシルエットでわかったけれど闇に浮かぶ金色の瞳は、獲物を狙う獰猛な捕食者の色を灯している。
一瞬怖気付いて、本能的に身構えようとしたが、エントランスの明かりに照らされたその顔が、遠い記憶の中にある顔と重なった。
「もしかして、エル……?」
「リコ、久しぶり。……あの、誕生日おめでとう」
「は!? え、嘘、その為に来たの? なんで私の家を知って、って肩! 雪積もってるよ!?」
「……会いたかった」
「いやいやいや、顔が青白くなってるじゃん! いつからそこに?」
「うんと……、多分3時間くらいかな。ここはマリちゃんに聞いたんだ。ごめん、実家に電話して教えてもらった」
「マリに……」
エルとは高校入学と同時に付き合い始めて、頻繁にお互いの家を行き来してた。
うちの家族に別れたと伝えた時は、なぜだかすっごく止められた。
母親に、どうせ別れられないんだから、とりあえず学生結婚で籍だけ入れておいたら? なんて言われた時は、閉口したものだ。
エルはうちの家族の好感度をカンストしている。
私のワガママで別れたことも知ってるし、エルに住所を教えても不思議じゃないな、と私はすぐさま納得してしまった。
「あの、リコこれ。リコの誕生日のお祝いだけ言いたくて来たんだ。これ渡して今日は帰るつもりで。リコ誕生日おめでとう」
そう言ってエルが寒さで真っ赤になった手で差し出したのは、ミルキーピンクのガーベラの花束だった。
ほんわか明るい春の陽光、それを形にしたような色の花束。
私が今日買ったものと同じ色の、でもそれよりも大きい両手で抱えるようなやつ。
付き合ってる時に花の話なんてした覚えなかったのに、なんで私の好きな花の色を知ってたんだろう。
さっきまで必死に堪えていた淋しさが、驚きと込み上げる嬉しさで溶けていることに気がついて、私は口の端をぎゅっと引き結んだ。
「その手……顔も酷い色だよ、なんか暖めないと。……あーもう! ちょっと来て!」
私が思わずエルの手を引くと、氷のように冷たい。いやいや、寒いとひとは死ぬのよ、これ大丈夫なやつ!?
私は雪だるまになりそうだったエルを引き入れ、マンションの部屋へと急いだ。
すると黙って付いてきたエルが、部屋の前で立ち止まった。
「リコ、部屋入っていいの?」
「……いいよ。久しぶりだし、話しよ。でもまず、その頭拭かないと」
「……ありがと」
部屋の中に招き入れると、買い物してきた荷物を置いて、洗面所にタオルをとりに向かう。
そこに干してた下着をざっと籠に突っ込んで、洗濯機の脇の棚からフェイスタオルを3枚程抜き取った。
「それでまず拭いてて。今お茶沸かすから」
「うん」
ぐっしょりと重くなったコートを受け取りタオルを渡すと、所在なさげに立っているエルをエアコンの風が一番あたるリビングのソファに誘導した。とりあえず暖めねば。
私は彼の表情を伺いながら、対面になっているキッチンで、電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れた。
エルの視線を一身に受けている感覚がして、リビングには戻らずにわざとケトルがお湯を沸かすのをじっと見守る。
だけどしばらくして、ケトルが内部で水泡を上げていくにつれ、私も少しずつ冷静になってきた。
(あれ、もしかしなくても軽率だったかな?)
突然やってきた元彼を部屋に上げるなんて、ちょっとリスク管理能力低すぎなんでは?
エルがストーカーみたいに盲目的に襲ってきたりするとは思えないけど、それにしても数年ぶりの元彼を家に上げるのは……?
「心配しなくても、すぐ帰るよ」
私の表情を読んだのか、エルが苦笑混じりにそんな声をかけてきた。
私、そんなにわかりやすかったのか。……いや、エルは昔からそうだった。私の考えてることなんて、お見通しだった。
「……お茶くらい飲んでいってよ」
マグカップにお湯を注ぎながら、なんとか応えた。
いつの間にか私はマグカップに、とっておきの紅茶のティーパックを入れている。
1個500円とかするやつで、特別な日にしか飲まないやつ。
それはもう芳しい香りが立ち上ってくるのに気づいて、慌ててカップに蓋をした。
「ごめんね、リコの彼氏とか……いないの? 迷惑になっちゃわないかな。……まぁ突然押しかけた俺が言うのもなんだけど」
「あぁ、まぁそういうのは大丈夫だけど……」
彼氏なんていない、という言葉をもごもごと口の中で濁した。
別れてからの年月を思い出すと、エルはこうやっていつでも私の家に突撃できたはずだ。
でもエルはしなかった。
別れ話の時も、私の話を必死に堪えるように聞いていた。
絶対別れたくないエルと、新しい世界を知りたい私との平行線が3ヶ月も続いた頃、エルがとうとう折れてくれた。
そして、そこから一度たりとも連絡が来ることはなかった。
新しい環境に身を置いた私はそれに淋しくも清々したと思っていたけれど、だけど今はこうして訪ねてきてくれたことに、嬉しさを感じているのも事実で。
アリスの話を聞くまで、エルのことを思い出すこともなくなっていたというのに随分と虫のいい話だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
私はローテーブルを挟んで、少し離れてラグのうえに腰を下ろした。
ソファの隣に座るのもなんだし、真正面からエルを見るのもなんだし。
マグカップを握るふりをして、こっそりとエルを覗き見ると、離れていた歳月は彼を随分と精悍な顔立ちに変えていた。
高校生の頃は短く切り揃えられていた黒髪を、今は首筋にかかるくらいに少し伸ばしていて。
湿り気を帯びた髪は、蛍光灯の明かりを銀色に反射していた。
あの頃から整った顔立ちだったけれど、もっと幼さとか汗臭さが先立つ感じだったはずなのに。
背が伸びたし、体付きもあの頃よりガッチリとしてる。
白皙の肌に、すっと整った鼻梁、黒銀の髪。彫の深い目元には、くっきりとした二重まぶたに、金を帯びた透き通る茶色の瞳。
今のエルは、記憶の中の男の子から成長して、どこかの国の王子様のような精悍さを纏っていた。
そこまで意識したところで、長いまつ毛をあげたエルの金茶と目が合った。
鼓動が跳ねたのには気が付かないふりをして、目を伏せた。
「リコは元気だった? 仕事は楽しい?」
「えっあっ、まぁ、うん。仕事はまぁ順調かな、大した病気もないし元気だったよ。エルは? 仕事は何してるの?」
「あぁ、リコと別れたあと、すぐトーリアの大学に入り直したんだ。そっちで何とか資格とって、ちょうど先月帰ってきたところ」
「えぇ、トーリアにいたの?」
獣人の統べるムーアの大陸の中でも、王制をとる国だったはずだ。
近年王位継承争いがあって王族の亡命があったらしいって、テレビのニュースで見たばかりなので記憶に新しい。
トーリアの大学ってかなり難しいんじゃ。
しかももちろん大陸共通言語必須だし。
そういえば、エルは高校に入学する年に地元に引っ越してきたんだった。会えば求め合うばかりの私たちはさして自分たちの話をすることもなかったし、エルが話したがらなかったから、それまでどこでどう暮らしていたかもよく知らない。
あの日々でただ覚えてるのは、エルにひたすらに求められた、それだけで。
私はエルのことをあまり知らないけれど、エルは私の全てを丸ごと欲しがった。別れた理由の一つには、その独占欲と、私の周りの情報を一切封じてしまうことに、嫌気がさしたというのもあった。
「俺がナミキダ市に引っ越す前は、親父の仕事の関係で点々としてたんだけどさ。祖父はトーリアにいるんだよね。だからそんなに大層なことじゃないんだけど」
「えっ。え、もしかしてエルって獣人だった?」
驚きにエルの瞳が見開かれていることに気が付いて、私は口を抑えた。
え? トーリアにお祖父さんがいるってことは、そうだよね??
『エル君て獣人だったの?』
アリスの声が脳内に響くけれど、え、私もそんなの知らなかったよ……。
「うん、両親ともに獣人なんだ。……ごめんね、あの時は事情があって言えなかったんだけど……、俺も、獣人」
「あ、そうだったんだー。いやいや、うちの高校にも何人もいたし、わざわざ聞くことじゃなかったからね。そっかぁ……」
最近やたらに獣人という言葉が耳に入ってくるけれど、まさか本当にアリスの言う通り、エルが獣人だったなんて。
「最近ね、あの高校の時の南雲アリスって覚えてる? アリスがね、最近獣人のひとと婚約したの。アリスの彼氏は犬、レトリバーみたいな種類の獣人みたいなんだけど、エルは?」
「…………俺も犬、だよ」
今の間は一体。
でもエルも犬の獣人だったんだ。まぁ高校時代に知っていたからどうってことはなかったけれど、今更知るのも不思議な感じがする。
「あ、もしかして獣人だから、付き合ってた時あんなに独占欲激しかったの?」
「……それは、ある、かも。その節は……ごめんね。俺、リコにたくさん負担かけてたよね」
「あ~……まぁ、いや本能的なものだって知ったら納得かも」
「……ごめん……」
二人の間に沈黙が訪れて、私は手元のマグカップに視線を落とした。
手の中で揺れる茶色を眺めながら、あんなに求められたのは、思春期だったから、初めての相手だからかなって思っていたけれど、獣人だったなら当然だったのかな、なんてことを考える。
家族のいない時間を見計らって、私の家で、エルの家で。……夜の公園で。
時間の許す限り抱かれていたあの日々を思い出す。
(ん……?)
あれ、エルは犬の獣人って今言ったけれど……。
純粋な獣人は一生涯ひとりとしか番わないって聞いたことがあるけれど、エルは……?
「――リコ」
「ひゃいっ! ……ってエル、近い……!」
耳元で響いたエルの声に視線を上げると、音もなくエルは私のすぐ隣に座っていた。吐息の触れるくらいの距離にエルの顔があり、また鼓動が跳ねあがった。
「リコ……、別れる時の約束、覚えてる?」
「え、」
実はすっかり忘れていて、最近思い出しましたっていうのも憚られて、私は金茶の瞳から視線をそらした。「えっと、なんだっけ」と誤魔化した私に、エルが喉の奥で笑う音がした。
もう一度そちらを見ると、口元は笑っているのに今にも泣き出しそうに目元を歪めたエルがいた。
「俺、リコのこと忘れたことなかったよ。毎日毎秒リコのことを思い出して死にそうだった。でも離れてみて……、俺はリコの言う通り、リコの可能性を潰していたって気が付いた」
「エル?」
「最初はわからなかったんだ、リコの言ってたこと。俺はリコのためを思ってるし、リコにとって幸せに違いないのに、なんでって。……でも傲慢だった」
「エル……」
『エルは私のことが好きなんじゃない! 私のことなんて見ていない! なんでも私の欲しいものくれるっていうけど、私の欲しいものがわかる!? エルからの自由だよ!』
高校時代から付き合いのある友人がアリスだけだっていうのは、そもそも私に高校の頃友達と呼べるひとがアリスしかいなかったからだ。
交友関係もエルがシャットアウトしてしまって、朝から夜までエルといて。
ある日、エルに卒業してもずっとずっと一緒にいようって言われて、怖くなった。
このままエルとだけの一生を送っていくのかと思うと、足元が揺れた気がした。エルがいないと立っていられなくなる自分を想像して怖くなった。
既にその時、私は自分の足で立っているとは言えない、エルだけの世界にいたから。
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