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第二章の9
修復師
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文子と真名が急いで図書館の玄関ホールにもどると、幸い聡と剛の親子は穏やかに読書にふけっていた。もしかしてすでに派手なケンカをした後なのかもしれないが、少なくとも険悪な空気は流れていない。
父親の剛は、見て分かるほどぼーっとしており、明らかに記憶は定かでないようだ。
息子の聡は、文子と真名に気づいて近寄ってきた。
「がっかりです。親父が来たのなら、速攻で解決できると思ったのに、まるで何も覚えていなかった。のれんに腕押しです」
「そのうち思い出す」
「ところで聡さん、書庫から出てきたとき、思い出したことがあると言ってませんでしたか? それは何ですか?」
「ああ、そうだそうだ、親父の仕事のことです。言ってなかったと思って。元は紙すき職人だったのです」
「え。はぁ」
あまり関係ないよう感じる。聡さんの仕事は車の部品を売る営業マンだと聞いたから、父親の自己紹介もしておかないといけないと思ったのだろうか。
「日本の伝統工芸として教科書にも載るほど有名な高級和紙を生産していたのですが、なにぶん手作業ですから、一枚作るのに膨大な時間がかかって非効率的ですし、今は便利で安価な紙がたくさん出回ってますから需要も限られてきますし、後継者のなり手もいないしで、産業としては先細りするばかりでした。この場合の後継者というのは、家を継ぐことを拒否した僕のことですけどね。ははは」
「?」
黙って聞いているが、文子の顔には『それがどうした』と書いてある。真名の率直な感想も、親子そろって話が長いな、といったところだ。
「親父は絵に描いたような頑固一徹な職人で、三六五日働いていました。いわば個人事業主ですからね、オンもオフも区別がないんですよ。自宅が仕事場、休みの日も仕事。その時は分かっていなかったのですが、自宅にあった膨大な本は、読むためのものではなく、紙見本のためだったのではないでしょうか。昔ながらの製法で作られた和紙、いまどきの薄い紙、成分による手触りの違い、そういったものを見るためにあらゆる種類の本が集められていた、そんな気がします。ただ、親父はちゃんと中身も読んでいましたけどね。めったにない休みでさえ読書に費やすのですから、家族と過ごす時間なんてゼロでしたね」
また悪い父親像がでてきた。
「普通の会社なら六〇歳で定年退職ですが、親父は七〇歳まではバリバリの現役でした。七〇歳を過ぎてからですよ、修復の仕事をするようになったのは。そのとき僕はとっくに家を出て独立していたのですが、母親情報によると、最初は質屋や古道具屋に頼まれて、掛け軸の裏打ちや巻物になっている家系図の補強などの作業をやっていたそうです」
「つながってきた」
眠そうに聞いていた文子が目を見開いてうなる。
「それがだんだん腕を買われて、貴重な美術品や古文書、国宝級の絵巻物などの修復も引き受けていたそうです。晩年はそういう仕事をしていたようですね。修復師と言っても、絵画専門、焼き物専門、いろいろなジャンルの人がいるのですが、親父は紙を使ったもの専門です。掛け軸、巻物、古文書、障子、襖、扇子」
そこまで言われて、真名もやっと分かってきた。
「たとえ本が破れても、お父さんが自分で修復できたってこと?」
「おそらく。親父が修復を始めたのは七〇歳過ぎてから。僕が本を破ったのは親父が四〇歳頃。年代が合わないのですが、自力で修復してみた経験を生かして晩年そういう道に進んだのか、もともとそういう心得があったのか、その辺はよく分かりません」
「じゃあ、やっぱり破れた本なんてここにはないんじゃないの!」
叫ばずにはいられなかった。
「すみません。だからやっぱり親父にあの本のタイトルを聞かないことには、探せないのです」
「ちょっと待て。大切なことだが、聡の心残りは、本当に本を破ったことなのか? そのことはら、親父さんに会うなり謝っていたではないか。それですっきりしなかったのか?」
「そんなこと言われても。よく分かりません。僕はなぜ自分がここにいるのかもよく分かっていないのに」
聡は困っている。
「今は本のことよりも、車に乗って僕たちは何のためにどこへ向かっていたのかを知りたいですね」
「おかしいな。本にまつわる心残りでなければ、ここに来るわけがないのだが」
ぶつぶつ言っている文子。
「聡さん。本の形や内容ではなく、紙の質で探したらいいんじゃないかしら。お父さんがつくっていた伝統的な和紙でつくられた本はないの?」
「でもそれだって、膨大な作業になるぞ」
うんざりした顔の文子をさえぎって、聡が興奮して叫んだ。
「ありました。さっき、ありましたよ、親父がつくるのと同じ和紙でつくられた戦国武将の扇が」
「え! じゃあ、それをお父さんに見せてあげて!」
真名もつられて大興奮だ。
お父さんは、うまく記憶を取り戻してくれるだろうか。
父親の剛は、見て分かるほどぼーっとしており、明らかに記憶は定かでないようだ。
息子の聡は、文子と真名に気づいて近寄ってきた。
「がっかりです。親父が来たのなら、速攻で解決できると思ったのに、まるで何も覚えていなかった。のれんに腕押しです」
「そのうち思い出す」
「ところで聡さん、書庫から出てきたとき、思い出したことがあると言ってませんでしたか? それは何ですか?」
「ああ、そうだそうだ、親父の仕事のことです。言ってなかったと思って。元は紙すき職人だったのです」
「え。はぁ」
あまり関係ないよう感じる。聡さんの仕事は車の部品を売る営業マンだと聞いたから、父親の自己紹介もしておかないといけないと思ったのだろうか。
「日本の伝統工芸として教科書にも載るほど有名な高級和紙を生産していたのですが、なにぶん手作業ですから、一枚作るのに膨大な時間がかかって非効率的ですし、今は便利で安価な紙がたくさん出回ってますから需要も限られてきますし、後継者のなり手もいないしで、産業としては先細りするばかりでした。この場合の後継者というのは、家を継ぐことを拒否した僕のことですけどね。ははは」
「?」
黙って聞いているが、文子の顔には『それがどうした』と書いてある。真名の率直な感想も、親子そろって話が長いな、といったところだ。
「親父は絵に描いたような頑固一徹な職人で、三六五日働いていました。いわば個人事業主ですからね、オンもオフも区別がないんですよ。自宅が仕事場、休みの日も仕事。その時は分かっていなかったのですが、自宅にあった膨大な本は、読むためのものではなく、紙見本のためだったのではないでしょうか。昔ながらの製法で作られた和紙、いまどきの薄い紙、成分による手触りの違い、そういったものを見るためにあらゆる種類の本が集められていた、そんな気がします。ただ、親父はちゃんと中身も読んでいましたけどね。めったにない休みでさえ読書に費やすのですから、家族と過ごす時間なんてゼロでしたね」
また悪い父親像がでてきた。
「普通の会社なら六〇歳で定年退職ですが、親父は七〇歳まではバリバリの現役でした。七〇歳を過ぎてからですよ、修復の仕事をするようになったのは。そのとき僕はとっくに家を出て独立していたのですが、母親情報によると、最初は質屋や古道具屋に頼まれて、掛け軸の裏打ちや巻物になっている家系図の補強などの作業をやっていたそうです」
「つながってきた」
眠そうに聞いていた文子が目を見開いてうなる。
「それがだんだん腕を買われて、貴重な美術品や古文書、国宝級の絵巻物などの修復も引き受けていたそうです。晩年はそういう仕事をしていたようですね。修復師と言っても、絵画専門、焼き物専門、いろいろなジャンルの人がいるのですが、親父は紙を使ったもの専門です。掛け軸、巻物、古文書、障子、襖、扇子」
そこまで言われて、真名もやっと分かってきた。
「たとえ本が破れても、お父さんが自分で修復できたってこと?」
「おそらく。親父が修復を始めたのは七〇歳過ぎてから。僕が本を破ったのは親父が四〇歳頃。年代が合わないのですが、自力で修復してみた経験を生かして晩年そういう道に進んだのか、もともとそういう心得があったのか、その辺はよく分かりません」
「じゃあ、やっぱり破れた本なんてここにはないんじゃないの!」
叫ばずにはいられなかった。
「すみません。だからやっぱり親父にあの本のタイトルを聞かないことには、探せないのです」
「ちょっと待て。大切なことだが、聡の心残りは、本当に本を破ったことなのか? そのことはら、親父さんに会うなり謝っていたではないか。それですっきりしなかったのか?」
「そんなこと言われても。よく分かりません。僕はなぜ自分がここにいるのかもよく分かっていないのに」
聡は困っている。
「今は本のことよりも、車に乗って僕たちは何のためにどこへ向かっていたのかを知りたいですね」
「おかしいな。本にまつわる心残りでなければ、ここに来るわけがないのだが」
ぶつぶつ言っている文子。
「聡さん。本の形や内容ではなく、紙の質で探したらいいんじゃないかしら。お父さんがつくっていた伝統的な和紙でつくられた本はないの?」
「でもそれだって、膨大な作業になるぞ」
うんざりした顔の文子をさえぎって、聡が興奮して叫んだ。
「ありました。さっき、ありましたよ、親父がつくるのと同じ和紙でつくられた戦国武将の扇が」
「え! じゃあ、それをお父さんに見せてあげて!」
真名もつられて大興奮だ。
お父さんは、うまく記憶を取り戻してくれるだろうか。
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