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佐々木ももんが

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第二章の10

和紙の扇

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「親父! これ、持ってみろよ」
 さとしつよしの前に立ちはだかって、いきなり扇を突きつける。物が扇でなく刃物だったら、かなり物騒な図になる。
「あ? ああ……」
 大丈夫だろうか。ここに来たからぼーっとしているのではなく、ここに来なくてもぼーっとしっぱなしのように見える。
 剛は扇を受け取ったものの、反応が鈍い。受け取ったものの、手の中でもてあましたように転がして、ろくに見ようともしない。
「使われている紙を確かめたか? 手ざわり、懐かしいだろ? 親父がつくってたのと同じやつだよ。さすが伝統工芸品。百年以上前からこの地でつくられ続けて、残っている昔の品も、ほら、ほとんど傷んでない。職人技だよ」
 聡の必死のアピールもむなしく、剛の反応は薄い。
「手で触ってみたほうがいい。ほら、紙の質は触ったら分かるだろ?」
 かなり強引に指を曲げて紙に触れさせたが、特に反応はない。
「ダメか……」
 聡はため息をついて、あきらめてしまった。扇を剛の手からもぎ取ろうとして、ちょっとしたいざこざになった。
「もういいから、手離して。たぶん高価な物だから、ここぞというときにまた持ってくるよ」
 扇を取り返そうとする聡と、戸惑っている剛の手が触れあった。
「お」
   剛が何かに反応した。初めて顔を上げて、聡の顔をじっと見つめる。
「どうかした?」
 手を握り合ってお互いを見つめ合う。
「君は」
 剛の言葉に誰もが強い期待を持って注目する。
「誰だが知らんが」
 ガクッとなる一同。
「わしの息子の手に似ているな」
 ちょっとした緊張が走る。息子だよ、と突っ込むべきか、そのままおとなしく話を聞くべきか。
「わしはずっと息子の手が気になっておった。わしの仕事を継ぐのにふさわしい手かどうか」
 全員おとなしく話を聞くほうを選んだ。
「職人は一日中同じ作業を延々と続ける苦行のような仕事だ。粘り強さもいるし、体力もいるし、手先の器用さも必要だ。わしは、息子の手がずっと気になっていた。わしの手ともわしの親父の手とも違う、細長い指で果たして務まるのかどうか」
 聡は横を向いてボソッとぼやく。
「知ってたよ。親父も僕を後継者に望んでいないことくらい。不器用で力もないからね」
「職人の世界は安定しているように見えて不安定だ。一生一つのことをやり続けなければならない。この世界ではプロフェッショナルでも、他の仕事への転換は利かん。飽きたから他に転職なんてできない。会社が受け入れてくれない。一度決めたら後戻りのできない道だ」
 聡と剛の手が離れたが、剛は話し続ける。
「跡取りだから継ぐという安易な気持ちでは継いでほしくなかった。自分でそれなりの覚悟を決めて継いでほしい。継がないなら、わしの代で職人は終わりにしてもいいと思っておった。正直、紙の質が昔とは違う。原料となるこうぞの生産地も人手不足で、不良な植物しか栽培できなくなっていた。もうとっくに限界を感じていたんじゃ。息子が継がないと決めた時、こういう運命なのだと、わしもきっぱりあきらめがついた」
 聡がぎゅっと唇を結んで、剛の顔を見つめている。
「仕事を継ぐのも覚悟がいるが、継がないと宣言するのも覚悟がいるだろう。よく決断してくれた。あれで正解だったと思う」
 聡の唇がわなわなと震える。何か言おうとしたが言葉にはならない。
「正直、息子とはほとんどしゃべったこともないような関係だったが、わしは仕事に関しては本当に一生懸命だったから、その姿を見せていれば間違った方向には育たないと信じていた。ただ、一つだけ心残りがあってのぅ。いつ、どのタイミングで本当のことを言うか悩みに悩んで、とうとうこんな歳じゃ」
 何の話かと、全員が耳をそばだてる。
「去年自宅で倒れて入院してから、これは本格的にいかんと思って、やっと告白する決心がついたんじゃ。ところが、あの息子ときたら、盆には帰省しないと言うんじゃ。交通費がもったいないだのゆっくり休みたいだの。正月・盆は実家に帰るのが当たり前じゃろうが」
「え、ちょっと待って。お盆はここ十年帰らない習慣になってただろ。その代わりお正月には顔出してたじゃないか。そういえば去年に限って何日に帰るんだとか、いきなり帰る前提で電話してくるからいよいよ惚けたのかと思ってたけど、帰ってきてほしい事情があったのかよ。それならそう言ってくれないと。全然伝わってないよ」
「仕方なく次に会える正月まで待っていたら、折り悪くまた倒れて正月中入院するはめになってしもうた」
「そうそう、たいへんだったよね、母さんが。正月早々バタバタしてさ」
「もうこれは盆だの正月だの待ってられないと悟って、とにかく土日に帰ってくるよう言ったんじゃ」
「正しくは母さんに頼んで帰ってくるよう伝えてもらった、でしょ。自分では動かないんだよね」
「いきなり墓参りに連れて行こうとしたんだが、そこで。ん? そこで?」
「墓参り……?」
「いや、待てよ。どうなった? わしはもう運転しないから、息子に運転してもらって、道を指示して行き先を告げて……まさか。目の前に車が突っ込んでくる光景は、現実にわしが見たものか?」
 短いような長いような沈黙が下りる。
 剛が自分の体を触って確かめている。しかし、触れば触るほど確かな実感が得られず、戸惑っている。
「そういえば、ここに来てから腰が痛くない」
 おそるおそる杖を手放し、歩き回っている。問題なく歩けるのを知って、どんどん早足で動き回り、それにつれ、見た目も老人から心持ち若返った。聡の年齢に近い容姿に変化する。
「まさかと思うが、わしは死んだのかね」
「はい。そのとおりです」
 声をそろえる真名と文子。
「ここは天国か? 天国が図書館にあるとは知らなかった」
「いいえ、天国に行く一歩手前の場所です」
「ほう」
「待合室、待機場所、のような」
「で? 天国への道はどこかね?」
「いえ、そのまえにミッションをクリアしていただかないと進めません」
「あなたが今語りかけていた生前の心残りを、ここで解消していただかないと」
 真名と文子、二人がかりで説明する。
「それは、しかし、あなた方相手に語ったところで、肝心の息子がいないと」
「いるよ」
 聡が真正面から剛の前に立つ。
「おお? 聡。聡か。いや、お前は十歳くらいの男の子じゃったはず。年をとりすぎておらんか?」
「間違いなく聡です」
「ははぁ」
 深いため息をつく剛。
「そうじゃ、そうじゃ。聡に車を運転してもらって、と自分で言っていたのに、これはわしが勘違いしておったな。いつまでも子どものイメージが焼きついていた」
「親父。思い出したのなら、どこへ行こうとしていたのか、教えてくれないか?」
「そうじゃな」
 剛は文子と真名に向き直って、改めて言った。
「あんた方も、しばらく老人の身の上話につき合ってくれるかね」
「はい。よろこんで」


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