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第6話 極北からの招待状と、公爵夫人の初仕事
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実家の騒動が片付き、私の「公爵夫人」としての生活が本格的に始まった。
とはいえ、私の仕事はたった一つしかない。
「……アレクセイ様。あの、そろそろ離れませんか? もう一時間は経っていますが」
「ならん。まだ充電中だ」
私は公爵邸の執務室で、アレクセイの膝の上に座らされていた。
彼の太い腕が、逃げられないように私の腰をがっちりとホールドしている。
机の上には、領地経営に関する書類の山。
彼は私の肩に顎を乗せ、背後から抱きすくめるような体勢で、器用にペンを走らせている。
(……温かい。いや、ちょっと熱いくらい?)
以前の彼は、魔力過多による高熱で常にイライラしていたらしい。
けれど今は、私が「冷却材」として密着しているおかげで、彼の体温は人間が一番心地よいと感じる「40度前後」に保たれている。
いわば、私は高性能な温度調節機能付きの抱き枕だ。
「……リリス。髪からいい匂いがする」
「シャンプーを変えましたから。……あ、そこ、くすぐったいです」
彼がうなじに顔を埋めて、深く、肺の奥まで吸い込むように呼吸する。
そのたびに肌を焼くような熱い吐息がかかり、私はゾクゾクと背筋が震えるのを感じた。
平和だ。
あの寒くて孤独だった屋根裏部屋の日々が、嘘のようだった。
コンコン、と扉がノックされる音がした。
執事のセバスチャンが入ってくる。
「旦那様。隣国『氷帝国(フリーズランド)』から、外交視察の招待状が届いております」
「氷帝国?」
アレクセイが眉をひそめ、不機嫌そうに顔を上げた。
その国名は、私も聞いたことがある。
北の果てにある、一年中雪と氷に閉ざされた極寒の軍事国家だ。
「差出人は、第二皇子ミハイル殿下です。なんでも、最近国境付近で発生している『原因不明の異常寒波』について、魔力災害の専門家である旦那様に調査協力を願いたいと」
「……断る」
アレクセイは即答した。
招待状を手に取る素振りさえ見せない。
「俺は寒いのが嫌いだ。それに、あんな極寒の地にリリスを連れて行けるか。……この細い体が凍てついて、パリンと欠けてしまったらどうする」
彼は私を壊れ物のように、さらに強く抱きしめ直した。
過保護だ。確かに私は冷え性だが、ガラス細工ではない。
「ですが旦那様。これは国交に関わる問題です。無碍(むげ)には……」
「知ったことか。俺の妻の健康より優先すべき外交など存在しない」
取り付く島もない。
セバスチャンが困ったように私に視線を送ってくる。
「奥様、なんとかしてください」という目だ。
私は少し考えてから、口を開いた。
「アレクセイ様。……氷帝国といえば、酪農が盛んでしたよね?」
「あ? ああ、そうだが」
「ということは、あそこは『最高級アイスクリーム』の本場ということでは?」
私の言葉に、アレクセイが虚を突かれた顔をする。
「……リリス。お前、まさかアイスのために行きたいと言うつもりか?」
「違います。公爵夫人としての責務を果たしたいのです」
私は真顔で嘘をついた。
いや、嘘ではない。美味しいものを食べることも、心身の健康には重要だ。
「それに、私には最強の味方がいますから」
「味方?」
「はい。アレクセイ様という、世界一温かい『移動式暖房』が」
私は彼の分厚い胸板に背中を預け、見上げるようにして言った。
「貴方がずっと抱きしめていてくれれば、どんな極寒の地でも無敵ですよね? ……それとも、私を温め続ける自信がありませんか?」
――挑発。
アレクセイの赤い瞳が、ギラリと怪しく光った。
「……ほう。俺を煽るとは、いい度胸だ」
彼はニヤリと笑い、私の耳元に唇を寄せた。
熱い唇が、耳たぶに触れる。
「いいだろう。その言葉、後悔するなよ。……トイレに行く時も、風呂に入る時も、片時も離さん。お前が『暑いから離して』と泣いて頼むまで、徹底的に温めてやる」
こうして。
私たちの(主に私のアイスクリームのための)極北への旅が決まった。
数日後。
私たちは公爵家の紋章が入った馬車に揺られ、国境を目指していた。
窓の外は、猛吹雪だった。
視界が真っ白になるほどの雪嵐。気温はマイナス20度を下回っているらしい。
護衛の騎士たちは、分厚い毛皮のコートを着込んでガタガタと震えている。
しかし。
馬車の中は、常夏だった。
「……暑い」
アレクセイが気だるげに呟き、シャツのボタンを外した。
彼の肌が赤く火照り、汗が玉のように流れている。
彼が放つ熱気で、車内の室温は30度を超えていた。
暖房器具どころか、もはやサウナに近い。
「リリス。お前も脱げ。汗をかくだろう」
「お断りします。私はちょうどいいです」
私は涼しい顔で答えた。
彼が暑がっているのは、外の寒さに対抗するために魔力出力を上げているからだ。
そして私は、その過剰な熱を「魔力真空」で吸い取っているため、常にポカポカとした適温に包まれている。
(……快適。これなら、外でアイスを食べてもお腹を壊さないかも)
私が呑気なことを考えていると、馬車がガタンと大きく揺れて停止した。
「国境に到着しました!」
御者の声。
アレクセイが不機嫌そうに舌打ちをし、私を抱きかかえたまま扉を開けた。
――ヒュオオオオォ……!!
殺人的な冷気が吹き込んでくる――はずが、アレクセイの熱膜(ヒートバリア)に阻まれて、そよ風程度にしか感じない。
「……チッ。なんだここは。空気が死んでいる」
アレクセイが吐き捨てる。
目の前に広がっていたのは、全てが凍りついた白銀の世界だった。
木々も、道も、そして国境を守る巨大な門も、分厚く無機質な氷に覆われている。
その門の前に、一人の人影があった。
透き通るような水色の髪。
氷の結晶のような、冷たい青色の瞳。
全身から漂う刺すような冷気は、アレクセイの放つ熱波とぶつかり合い、その境界でパチパチと大気が悲鳴を上げている。
氷帝国の第二皇子、ミハイル。
彼は私たちを見ると、彫刻のように美しい、けれど体温を一切感じさせない冷たい笑みを浮かべた。
「やあ。よく来たね、南の野蛮人たち。……俺の氷の世界へようこそ」
彼が手を振ると、吹雪が一層激しく渦を巻いた。
それは歓迎というよりは、これから始まる「温度差戦争」の宣戦布告のようだった。
(続く)
とはいえ、私の仕事はたった一つしかない。
「……アレクセイ様。あの、そろそろ離れませんか? もう一時間は経っていますが」
「ならん。まだ充電中だ」
私は公爵邸の執務室で、アレクセイの膝の上に座らされていた。
彼の太い腕が、逃げられないように私の腰をがっちりとホールドしている。
机の上には、領地経営に関する書類の山。
彼は私の肩に顎を乗せ、背後から抱きすくめるような体勢で、器用にペンを走らせている。
(……温かい。いや、ちょっと熱いくらい?)
以前の彼は、魔力過多による高熱で常にイライラしていたらしい。
けれど今は、私が「冷却材」として密着しているおかげで、彼の体温は人間が一番心地よいと感じる「40度前後」に保たれている。
いわば、私は高性能な温度調節機能付きの抱き枕だ。
「……リリス。髪からいい匂いがする」
「シャンプーを変えましたから。……あ、そこ、くすぐったいです」
彼がうなじに顔を埋めて、深く、肺の奥まで吸い込むように呼吸する。
そのたびに肌を焼くような熱い吐息がかかり、私はゾクゾクと背筋が震えるのを感じた。
平和だ。
あの寒くて孤独だった屋根裏部屋の日々が、嘘のようだった。
コンコン、と扉がノックされる音がした。
執事のセバスチャンが入ってくる。
「旦那様。隣国『氷帝国(フリーズランド)』から、外交視察の招待状が届いております」
「氷帝国?」
アレクセイが眉をひそめ、不機嫌そうに顔を上げた。
その国名は、私も聞いたことがある。
北の果てにある、一年中雪と氷に閉ざされた極寒の軍事国家だ。
「差出人は、第二皇子ミハイル殿下です。なんでも、最近国境付近で発生している『原因不明の異常寒波』について、魔力災害の専門家である旦那様に調査協力を願いたいと」
「……断る」
アレクセイは即答した。
招待状を手に取る素振りさえ見せない。
「俺は寒いのが嫌いだ。それに、あんな極寒の地にリリスを連れて行けるか。……この細い体が凍てついて、パリンと欠けてしまったらどうする」
彼は私を壊れ物のように、さらに強く抱きしめ直した。
過保護だ。確かに私は冷え性だが、ガラス細工ではない。
「ですが旦那様。これは国交に関わる問題です。無碍(むげ)には……」
「知ったことか。俺の妻の健康より優先すべき外交など存在しない」
取り付く島もない。
セバスチャンが困ったように私に視線を送ってくる。
「奥様、なんとかしてください」という目だ。
私は少し考えてから、口を開いた。
「アレクセイ様。……氷帝国といえば、酪農が盛んでしたよね?」
「あ? ああ、そうだが」
「ということは、あそこは『最高級アイスクリーム』の本場ということでは?」
私の言葉に、アレクセイが虚を突かれた顔をする。
「……リリス。お前、まさかアイスのために行きたいと言うつもりか?」
「違います。公爵夫人としての責務を果たしたいのです」
私は真顔で嘘をついた。
いや、嘘ではない。美味しいものを食べることも、心身の健康には重要だ。
「それに、私には最強の味方がいますから」
「味方?」
「はい。アレクセイ様という、世界一温かい『移動式暖房』が」
私は彼の分厚い胸板に背中を預け、見上げるようにして言った。
「貴方がずっと抱きしめていてくれれば、どんな極寒の地でも無敵ですよね? ……それとも、私を温め続ける自信がありませんか?」
――挑発。
アレクセイの赤い瞳が、ギラリと怪しく光った。
「……ほう。俺を煽るとは、いい度胸だ」
彼はニヤリと笑い、私の耳元に唇を寄せた。
熱い唇が、耳たぶに触れる。
「いいだろう。その言葉、後悔するなよ。……トイレに行く時も、風呂に入る時も、片時も離さん。お前が『暑いから離して』と泣いて頼むまで、徹底的に温めてやる」
こうして。
私たちの(主に私のアイスクリームのための)極北への旅が決まった。
数日後。
私たちは公爵家の紋章が入った馬車に揺られ、国境を目指していた。
窓の外は、猛吹雪だった。
視界が真っ白になるほどの雪嵐。気温はマイナス20度を下回っているらしい。
護衛の騎士たちは、分厚い毛皮のコートを着込んでガタガタと震えている。
しかし。
馬車の中は、常夏だった。
「……暑い」
アレクセイが気だるげに呟き、シャツのボタンを外した。
彼の肌が赤く火照り、汗が玉のように流れている。
彼が放つ熱気で、車内の室温は30度を超えていた。
暖房器具どころか、もはやサウナに近い。
「リリス。お前も脱げ。汗をかくだろう」
「お断りします。私はちょうどいいです」
私は涼しい顔で答えた。
彼が暑がっているのは、外の寒さに対抗するために魔力出力を上げているからだ。
そして私は、その過剰な熱を「魔力真空」で吸い取っているため、常にポカポカとした適温に包まれている。
(……快適。これなら、外でアイスを食べてもお腹を壊さないかも)
私が呑気なことを考えていると、馬車がガタンと大きく揺れて停止した。
「国境に到着しました!」
御者の声。
アレクセイが不機嫌そうに舌打ちをし、私を抱きかかえたまま扉を開けた。
――ヒュオオオオォ……!!
殺人的な冷気が吹き込んでくる――はずが、アレクセイの熱膜(ヒートバリア)に阻まれて、そよ風程度にしか感じない。
「……チッ。なんだここは。空気が死んでいる」
アレクセイが吐き捨てる。
目の前に広がっていたのは、全てが凍りついた白銀の世界だった。
木々も、道も、そして国境を守る巨大な門も、分厚く無機質な氷に覆われている。
その門の前に、一人の人影があった。
透き通るような水色の髪。
氷の結晶のような、冷たい青色の瞳。
全身から漂う刺すような冷気は、アレクセイの放つ熱波とぶつかり合い、その境界でパチパチと大気が悲鳴を上げている。
氷帝国の第二皇子、ミハイル。
彼は私たちを見ると、彫刻のように美しい、けれど体温を一切感じさせない冷たい笑みを浮かべた。
「やあ。よく来たね、南の野蛮人たち。……俺の氷の世界へようこそ」
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