11 / 15
第11話 聖女狩りと、迷惑な神託
しおりを挟む
氷帝国の騒動から数ヶ月。
季節は巡り、夏が近づいていた。
ただでさえ暑い季節だが、公爵邸の執務室はさらに気温が上昇していた。
「……アレクセイ様。あの、そろそろ離れませんか?」
「ならん。まだ3分しか経っていない」
「3時間の間違いでは?」
私はため息をつき、扇子でパタパタと顔をあおぐ。
アレクセイは私の腰を抱き寄せ、首筋に顔を埋めて深呼吸をしている。
最近の彼は、以前にも増してスキンシップが過激になっていた。
氷帝国で一時的に引き離されたトラウマのせいだろうか。「充電」と称して、執務中も食事中も、片時も私を離そうとしない。
「お前が足りない。……もっと冷やせ」
「はいはい。私の旦那様は燃費が悪いですね」
私は苦笑しながら、彼のごわごわとした銀髪を撫でた。
彼の体温は熱いが、不快ではない。私にとっては、この少し高めの体温こそが「日常」の証だった。
その時。
カッ――!!
窓の外が、閃光に包まれた。
太陽よりも眩しい、黄金色の光。
同時に、腹に響くような重低音が、屋敷全体を揺らした。
ゴオオオオオオオォォォ…………。
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
廊下からセバスチャンと衛兵たちの焦った声が聞こえる。
アレクセイが瞬時に私を庇うように抱きしめ、鋭い視線を窓に向けた。
「……結界か。それも、公爵家の防衛魔術を上書きするほどの」
窓の外を見て、私は息を呑んだ。
空が、金色だった。
無数の魔法陣が空を覆い尽くし、そこから白い翼を生やした騎士たちが降りてくる。
その胸には、黄金の十字架。
「聖教会……『聖騎士団』か」
アレクセイが忌々しげに吐き捨てる。
聖教会。大陸全土で信仰されている国教であり、王家すらも逆らえない絶対的な権威。
その最高戦力である聖騎士団が、なぜ公爵邸を包囲しているのか。
「──アレクセイ・ヴォルガノス公爵。そして、その妻リリスよ」
空から、枯れた声が響いた。
光の階段を降りてきたのは、豪奢な法衣を纏った老人だった。
深く刻まれた皺。窪んだ眼窩。
けれどその瞳だけは、狂信的な光でギラギラと燃えている。
教会の最高幹部、枢機卿イグナシオ。
「神託が下った」
イグナシオは、庭に降り立つと、杖を私に向けた。
「その女、リリス・アークライトは、世界を無に帰す『虚無の魔女』である。世界の均衡を保つため、直ちに身柄を教会へ引き渡せ」
「……は?」
私は間の抜けた声を出した。
虚無の魔女?
ただの「魔力ゼロの冷え性」なんですが。
「寝言は寝て言え、老いぼれ」
ドォン!!
アレクセイが床を踏み砕き、ベランダへと飛び出した。
全身から殺気と熱波を噴き上げ、イグナシオを睨みつける。
「俺の妻を魔女呼ばわりだと? ……その腐った舌、今すぐ焼き切ってやろうか」
「抵抗するか、愚かな」
イグナシオは動じなかった。
彼は懐から、錆びついた鎖のようなものを取り出した。
「神の御心に逆らう者には、罰を与えねばならん。──『聖縛の鎖(セイクリッド・チェーン)』」
ヒュッ。
老人が鎖を掲げた瞬間。
空間が歪んだ。
ジャララララッ!!
何もない虚空から無数の光の鎖が出現し、アレクセイの手足を拘束した。
「ぐ、ぁ……ッ!?」
アレクセイが膝をつく。
彼がどれほど力を込めても、鎖は微動だにしない。
それどころか、彼の身体から溢れ出る熱魔力が、鎖に触れた瞬間に霧散していく。
「無駄だ。これは聖遺物。物理法則そのものを書き換える、神の道具だ。『魔力を持つ者』は、この鎖の前では無力となる」
イグナシオが冷ややかに告げる。
「さあ、魔女を連れて行け。……抵抗するなら、この公爵の命はないと思え」
聖騎士たちが、剣を抜いて私に近づいてくる。
アレクセイが血を吐くような声で叫んだ。
「やめろ……ッ!! リリスに……触れるなァァァッ!!」
彼の全身が赤熱し、血管が浮き上がる。
無理やり鎖を引きちぎろうとして、皮膚が焼け焦げ、肉が裂けていく。
痛々しい。
見ていられない。
(……ああ、もう。うるさいし、熱いし、迷惑な人たち)
私はため息をつき、一歩前に出た。
「わかりました。行きます」
「な……ッ!?」
「リリス!?」
アレクセイが目を見開く。
「馬鹿なことを言うな! 行くな!! 俺が……俺が全員殺してやるから!!」
「ダメです、アレクセイ様。そんなに暴れたら、屋敷が壊れます」
私は彼の頬に手を添えた。
熱い。怒りと苦痛で、彼は沸騰寸前だ。
「それに、聖教会の本部は標高の高い聖地にあると聞きました。……夏の間、避暑に行くにはちょうどいいかもしれません」
「は……?」
私の言葉に、アレクセイも、イグナシオも呆気にとられた。
「あそこの大聖堂、石造りでひんやりしてそうですし。神の家なら、空調設備も完璧でしょう?」
私はニッコリと笑った。
「少しの間、別荘に行ってくるだけです。……だから、そんなに泣きそうな顔をしないでください」
これは合理的な判断だ。
今ここで彼が無理をして、本当に身体が壊れてしまったら元も子もない。
私の「最強の暖房」を守るための、一時的な撤退だ。
「連れて行きなさい。……ただし、私の肌に傷一つ付けたら、この人が世界ごと焼き尽くしますよ?」
私が聖騎士たちに両手を差し出すと、イグナシオは不気味に鼻を鳴らした。
「……殊勝な心がけだ。連れて行け!」
私は馬車へと押し込まれた。
窓の外で、アレクセイの絶叫が聞こえる。
「リリスッ!! 待て!! 行くなァァァッ!!」
鎖に繋がれたまま、彼は獣のように咆哮していた。
「必ず……必ず迎えに行く!! 神だろうが何だろうが、焼き尽くして……お前を取り戻すッ!!」
遠ざかる屋敷。
紅蓮の炎を上げる愛しい人を残して、私は「避暑地(という名の牢獄)」へと連れ去られた。
……まあ、大丈夫だろう。
あの人は、私がいないと眠れない。
きっとすぐに、地獄の業火を纏って迎えに来てくれるはずだ。
(続く)
季節は巡り、夏が近づいていた。
ただでさえ暑い季節だが、公爵邸の執務室はさらに気温が上昇していた。
「……アレクセイ様。あの、そろそろ離れませんか?」
「ならん。まだ3分しか経っていない」
「3時間の間違いでは?」
私はため息をつき、扇子でパタパタと顔をあおぐ。
アレクセイは私の腰を抱き寄せ、首筋に顔を埋めて深呼吸をしている。
最近の彼は、以前にも増してスキンシップが過激になっていた。
氷帝国で一時的に引き離されたトラウマのせいだろうか。「充電」と称して、執務中も食事中も、片時も私を離そうとしない。
「お前が足りない。……もっと冷やせ」
「はいはい。私の旦那様は燃費が悪いですね」
私は苦笑しながら、彼のごわごわとした銀髪を撫でた。
彼の体温は熱いが、不快ではない。私にとっては、この少し高めの体温こそが「日常」の証だった。
その時。
カッ――!!
窓の外が、閃光に包まれた。
太陽よりも眩しい、黄金色の光。
同時に、腹に響くような重低音が、屋敷全体を揺らした。
ゴオオオオオオオォォォ…………。
「な、なんだ!?」
「地震か!?」
廊下からセバスチャンと衛兵たちの焦った声が聞こえる。
アレクセイが瞬時に私を庇うように抱きしめ、鋭い視線を窓に向けた。
「……結界か。それも、公爵家の防衛魔術を上書きするほどの」
窓の外を見て、私は息を呑んだ。
空が、金色だった。
無数の魔法陣が空を覆い尽くし、そこから白い翼を生やした騎士たちが降りてくる。
その胸には、黄金の十字架。
「聖教会……『聖騎士団』か」
アレクセイが忌々しげに吐き捨てる。
聖教会。大陸全土で信仰されている国教であり、王家すらも逆らえない絶対的な権威。
その最高戦力である聖騎士団が、なぜ公爵邸を包囲しているのか。
「──アレクセイ・ヴォルガノス公爵。そして、その妻リリスよ」
空から、枯れた声が響いた。
光の階段を降りてきたのは、豪奢な法衣を纏った老人だった。
深く刻まれた皺。窪んだ眼窩。
けれどその瞳だけは、狂信的な光でギラギラと燃えている。
教会の最高幹部、枢機卿イグナシオ。
「神託が下った」
イグナシオは、庭に降り立つと、杖を私に向けた。
「その女、リリス・アークライトは、世界を無に帰す『虚無の魔女』である。世界の均衡を保つため、直ちに身柄を教会へ引き渡せ」
「……は?」
私は間の抜けた声を出した。
虚無の魔女?
ただの「魔力ゼロの冷え性」なんですが。
「寝言は寝て言え、老いぼれ」
ドォン!!
アレクセイが床を踏み砕き、ベランダへと飛び出した。
全身から殺気と熱波を噴き上げ、イグナシオを睨みつける。
「俺の妻を魔女呼ばわりだと? ……その腐った舌、今すぐ焼き切ってやろうか」
「抵抗するか、愚かな」
イグナシオは動じなかった。
彼は懐から、錆びついた鎖のようなものを取り出した。
「神の御心に逆らう者には、罰を与えねばならん。──『聖縛の鎖(セイクリッド・チェーン)』」
ヒュッ。
老人が鎖を掲げた瞬間。
空間が歪んだ。
ジャララララッ!!
何もない虚空から無数の光の鎖が出現し、アレクセイの手足を拘束した。
「ぐ、ぁ……ッ!?」
アレクセイが膝をつく。
彼がどれほど力を込めても、鎖は微動だにしない。
それどころか、彼の身体から溢れ出る熱魔力が、鎖に触れた瞬間に霧散していく。
「無駄だ。これは聖遺物。物理法則そのものを書き換える、神の道具だ。『魔力を持つ者』は、この鎖の前では無力となる」
イグナシオが冷ややかに告げる。
「さあ、魔女を連れて行け。……抵抗するなら、この公爵の命はないと思え」
聖騎士たちが、剣を抜いて私に近づいてくる。
アレクセイが血を吐くような声で叫んだ。
「やめろ……ッ!! リリスに……触れるなァァァッ!!」
彼の全身が赤熱し、血管が浮き上がる。
無理やり鎖を引きちぎろうとして、皮膚が焼け焦げ、肉が裂けていく。
痛々しい。
見ていられない。
(……ああ、もう。うるさいし、熱いし、迷惑な人たち)
私はため息をつき、一歩前に出た。
「わかりました。行きます」
「な……ッ!?」
「リリス!?」
アレクセイが目を見開く。
「馬鹿なことを言うな! 行くな!! 俺が……俺が全員殺してやるから!!」
「ダメです、アレクセイ様。そんなに暴れたら、屋敷が壊れます」
私は彼の頬に手を添えた。
熱い。怒りと苦痛で、彼は沸騰寸前だ。
「それに、聖教会の本部は標高の高い聖地にあると聞きました。……夏の間、避暑に行くにはちょうどいいかもしれません」
「は……?」
私の言葉に、アレクセイも、イグナシオも呆気にとられた。
「あそこの大聖堂、石造りでひんやりしてそうですし。神の家なら、空調設備も完璧でしょう?」
私はニッコリと笑った。
「少しの間、別荘に行ってくるだけです。……だから、そんなに泣きそうな顔をしないでください」
これは合理的な判断だ。
今ここで彼が無理をして、本当に身体が壊れてしまったら元も子もない。
私の「最強の暖房」を守るための、一時的な撤退だ。
「連れて行きなさい。……ただし、私の肌に傷一つ付けたら、この人が世界ごと焼き尽くしますよ?」
私が聖騎士たちに両手を差し出すと、イグナシオは不気味に鼻を鳴らした。
「……殊勝な心がけだ。連れて行け!」
私は馬車へと押し込まれた。
窓の外で、アレクセイの絶叫が聞こえる。
「リリスッ!! 待て!! 行くなァァァッ!!」
鎖に繋がれたまま、彼は獣のように咆哮していた。
「必ず……必ず迎えに行く!! 神だろうが何だろうが、焼き尽くして……お前を取り戻すッ!!」
遠ざかる屋敷。
紅蓮の炎を上げる愛しい人を残して、私は「避暑地(という名の牢獄)」へと連れ去られた。
……まあ、大丈夫だろう。
あの人は、私がいないと眠れない。
きっとすぐに、地獄の業火を纏って迎えに来てくれるはずだ。
(続く)
0
あなたにおすすめの小説
【完結】堅物な婚約者には子どもがいました……人は見かけによらないらしいです。
大森 樹
恋愛
【短編】
公爵家の一人娘、アメリアはある日誘拐された。
「アメリア様、ご無事ですか!」
真面目で堅物な騎士フィンに助けられ、アメリアは彼に恋をした。
助けたお礼として『結婚』することになった二人。フィンにとっては公爵家の爵位目当ての愛のない結婚だったはずだが……真面目で誠実な彼は、アメリアと不器用ながらも徐々に距離を縮めていく。
穏やかで幸せな結婚ができると思っていたのに、フィンの前の彼女が現れて『あの人の子どもがいます』と言ってきた。嘘だと思いきや、その子は本当に彼そっくりで……
あの堅物婚約者に、まさか子どもがいるなんて。人は見かけによらないらしい。
★アメリアとフィンは結婚するのか、しないのか……二人の恋の行方をお楽しみください。
婚約破棄されたので実家へ帰って編み物をしていたのですが……まさかの事件が起こりまして!? ~人生は大きく変わりました~
四季
恋愛
私ニーナは、婚約破棄されたので実家へ帰って編み物をしていたのですが……ある日のこと、まさかの事件が起こりまして!?
もてあそんでくれたお礼に、貴方に最高の餞別を。婚約者さまと、どうかお幸せに。まぁ、幸せになれるものなら......ね?
当麻月菜
恋愛
次期当主になるべく、領地にて父親から仕事を学んでいた伯爵令息フレデリックは、ちょっとした出来心で領民の娘イルアに手を出した。
ただそれは、結婚するまでの繋ぎという、身体目的の軽い気持ちで。
対して領民の娘イルアは、本気だった。
もちろんイルアは、フレデリックとの間に身分差という越えられない壁があるのはわかっていた。そして、その時が来たら綺麗に幕を下ろそうと決めていた。
けれど、二人の関係の幕引きはあまりに酷いものだった。
誠意の欠片もないフレデリックの態度に、立ち直れないほど心に傷を受けたイルアは、彼に復讐することを誓った。
弄ばれた女が、捨てた男にとって最後で最高の女性でいられるための、本気の復讐劇。
全てを捨てて、わたしらしく生きていきます。
彩華(あやはな)
恋愛
3年前にリゼッタお姉様が風邪で死んだ後、お姉様の婚約者であるバルト様と結婚したわたし、サリーナ。バルト様はお姉様の事を愛していたため、わたしに愛情を向けることはなかった。じっと耐えた3年間。でも、人との出会いはわたしを変えていく。自由になるために全てを捨てる覚悟を決め、わたしはわたしらしく生きる事を決意する。
どうして別れるのかと聞かれても。お気の毒な旦那さま、まさかとは思いますが、あなたのようなクズが女性に愛されると信じていらっしゃるのですか?
石河 翠
恋愛
主人公のモニカは、既婚者にばかり声をかけるはしたない女性として有名だ。愛人稼業をしているだとか、天然の毒婦だとか、聞こえてくるのは下品な噂ばかり。社交界での評判も地に落ちている。
ある日モニカは、溺愛のあまり茶会や夜会に妻を一切参加させないことで有名な愛妻家の男性に声をかける。おしどり夫婦の愛の巣に押しかけたモニカは、そこで虐げられている女性を発見する。
彼女が愛妻家として評判の男性の奥方だと気がついたモニカは、彼女を毎日お茶に誘うようになり……。
八方塞がりな状況で抵抗する力を失っていた孤独なヒロインと、彼女に手を差し伸べ広い世界に連れ出したしたたかな年下ヒーローのお話。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID24694748)をお借りしています。
幼馴染の生徒会長にポンコツ扱いされてフラれたので生徒会活動を手伝うのをやめたら全てがうまくいかなくなり幼馴染も病んだ
猫カレーฅ^•ω•^ฅ
恋愛
ずっと付き合っていると思っていた、幼馴染にある日別れを告げられた。
そこで気づいた主人公の幼馴染への依存ぶり。
たった一つボタンを掛け違えてしまったために、
最終的に学校を巻き込む大事件に発展していく。
主人公は幼馴染を取り戻すことが出来るのか!?
今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました
四折 柊
恋愛
子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる