用済みと捨てられた正妻ですが、自分の娘に転生したので息子を当主にするべく暗躍します。

あとりえむ

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第四帖

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どこまでも続く、温かく眩しい光の世界を漂っていた。
全身を苛んでいた飢えも、身を切るような寒さも、陣痛の激しい痛みも、ここには何一つない。

ただひたすらに穏やかで、心地よい微睡みだけがあった。

ああ、私は死んだのだ。
その事実を静かに受け入れながらも、私の魂は未練という重い鎖に繋がれたまま、この光の世界から完全に旅立つことができずにいた。

離れに残してきた、最愛の香香丸のこと。
そして、顔を見ることも、その産声を聴くこともできずに別れてしまった、私が最後に産み落とした小さな命のこと。

あの子たちはどうなったのだろうか。無事に生き延びてくれているのだろうか。
名門の姫である鈿芽の悪意と、景冬の冷酷な無関心の中で、あの子たちが理不尽に踏みにじられている光景が脳裏に浮かび、私の魂は激しく泡立った。

深い深い絶望と、狂気にも似た我が子への執着。
その強烈な感情の渦が、私を再び現世へと乱暴に引き戻していった。

光が遠ざかり、再び意識が暗転する。



次に私が明確な意識を取り戻した時、鼻を突いたのは、ひどくカビ臭い古い木材の匂いだった。
うっすらと目を開けると、雨漏りの染みが広がった見覚えのある粗末な天井が視界に入った。

ここは、私が命を落としたあの北外れの離れだ。

なぜ私はここにいるのだろうか。
ゆっくりと首を動かそうとして、自分の体に猛烈な違和感を覚えた。

視界の端に映る自分の手が、信じられないほど小さく、ふっくらとしていたのだ。大人のものではない。まるで幼児の手だった。
そして、その私の小さな手を、両手でしっかりと握りしめている温かな感触があった。

「あ……」

喉から漏れた声は、自分でも驚くほど舌足らずで幼い響きだった。
その微かな声に反応して、私の手を握っていた人物が弾かれたように顔を上げた。

「沙羅……? 沙羅、目が覚めたの?」

そこにいたのは、少しばかり背が伸び、ひどく痩せこけた少年の姿だった。
栄養不足で頬はこけているが、その整った目鼻立ちは、間違いなく私の最愛の息子のものであった。

「……香香、丸……?」

私が頭の中でそう呼ぼうとしても、口から出るのは意味をなさない幼児の喃語だけだった。
けれど、間違いない。彼は香香丸だ。私が死ぬ直前に最後に見た二歳の頃より、ずっと大きく成長している。

驚きで目を丸くしている私の視界に、もう一人、見慣れた人物が涙ぐみながら飛び込んできた。

乳母の登代だった。彼女もまた、私が記憶しているよりも少しだけ老け込み、苦労の皺が刻まれていた。

「ああ、沙羅様。お熱が下がって本当によかった……っ」

登代は私を抱き起こし、壊れ物を扱うようにそっと抱きしめてくれた。
彼女の温もりと、私の頬を撫でる香香丸の小さな手の感触から、私は信じがたい一つの真実を理解した。

私は、死んでいなかった。いや、一度は間違いなく死んだのだ。
しかし、私は自分が命と引き換えに産み落とした「娘」の体の中に、前世の記憶を持ったまま転生してしまったのだ。

登代の話や、私が徐々に把握していった状況から察するに、私が死んでからすでに二年の月日が流れていた。
私は二歳になり、香香丸は五歳になっていた。


私が死んだ後、名門の血を引く鈿芽が完全に葛城の家の実権を掌握した。

景冬は私が産んだこの娘にまったく関心を示さず、忌まわしい穢れとして離れに放置した。登代は名もなき赤子を不憫に思い、亡き母である私の名前をもらい、「沙羅」と名付けて密かに育ててくれていたのだ。

そして香香丸もまた、鈿芽の執拗な排斥と景冬の黙認により本邸から追い出され、この隙間風の吹き込む粗末な離れで、登代とともに身を寄せ合って生きてきたという。

名実ともに葛城の世継ぎとなったのは、鈿芽が産んだ御雷丸だった。
それを知った時、二歳の幼児の体の中にいる私の魂は、どす黒い怒りと憎悪で激しく燃え上がった。

あんな傲慢な女に、私の愛する香香丸の正当な権利が奪われた。香香丸をこんな惨めな環境に追いやり、私たちを見捨てた景冬を、私は絶対に許さない。

前世の記憶と大人の知性を持つ私の行動原理は、ただ一つに定まった。
私が再び傷つくことなど、もはやどうでもいい。
私の愛する香香丸を、絶対に誰も手出しできない絶対的な安全圏である「当主」の座に導くこと。

その過程で、あの冷酷な父親と傲慢な妾を、完膚なきまでに叩き潰してやることだ。



それからさらに二年という月日が流れ、私は七歳に、香香丸は十歳になった。

私は子供の無邪気なフリをしながら、登代がこっそりと集めてきた古い書物や筆を使い、前世の記憶を頼りに教養を身につけていった。いや、正確には「身につけているフリ」をして、周囲を欺く準備を進めていたのだ。

香香丸は過酷な環境の中でひどく無口で警戒心の強い少年に育ったが、私にだけは無償の愛を注ぎ、自分が飢えてでも私に食事を分け与えようとするほど、過保護な優しい兄となってくれた。

私はこの愛しい小さな騎士を、最高の権力者へと育て上げるための計画を静かに練り続けていた。


そんなある日のこと。
私は離れの縁側に座り、擦り減った筆で、古紙の裏に一つの和歌をしたためていた。
それは、前世の私が死の直前、薄れゆく意識の中で香香丸への想いと絶望を込めて書き残した、あの絶筆の歌だった。

私の今の文字の筆跡は、前世の私のものと全く同じ、流麗で雅な形をしていた。
後ろから近づいてきた気配に気づき、私が振り向くよりも早く、息を呑む音が聞こえた。

「沙羅様……それは……っ」

洗濯物を抱えた登代が、目を見開き、わなわなと震えながら私の手元の紙を見つめていた。
七歳の子供が書けるはずのない達筆。そして何より、その歌の言葉は、登代が最期に私の傍らで見届けた、亡き母の残した歌そのものだったからだ。

「登代」

私は筆を置き、七歳の子供とは思えない、静かで冷ややかな大人の微笑みを浮かべて彼女を見上げた。

「ずっと、苦労をかけましたね。私と香香丸を、今日まで生かしてくれてありがとう」

その口調と、亡き母と瓜二つの顔立ちから覗く大人の視線に、登代は手から洗濯物を落とし、その場にへたり込んで泣き崩れた。

彼女はすべてを悟ったのだ。
目の前にいる七歳の少女の内に、理不尽に殺されたかつての主の魂が宿っていることを。

「奥様……ああ、奥様……っ! 生きて、戻ってきてくださったのですね……!」

「ええ。香香丸を、あんな底辺の女たちから取り戻すためにね」

私は登代の荒れた手を握り返し、強い絆で結ばれた最高の協力者を得た。


私が着々と反撃の準備を進めていた頃、私たちの前に一人の闖入者が現れた。
本邸の庭と離れを隔てる垣根の隙間から、派手な絹の着物を着た少年が、こちらをじっと覗き込んでいたのだ。

血色が良く、たっぷりと栄養を与えられて丸々と太った九歳の少年。
鈿芽の息子であり、葛城家の次期当主として周囲から我儘放題に育てられた異母弟、御雷丸だった。

彼は最近、たびたびこうして離れの近くまでやってきては、私の姿を盗み見ていた。

名門の姫である鈿芽から「離れにいる卑しい血の者たちには近づくな」と厳命されているはずだが、何でも思い通りになる退屈な日常の中で、立ち入り禁止の離れにいる私たちの存在は、彼の子供じみた好奇心を刺激したのだろう。

いや、それだけではない。
彼は垣根越しに私と目が合うと、いつも顔を真っ赤にして、不機嫌そうに唇を尖らせた。

「おい、そこのみすぼらしい女! こっちを見ろ!」

御雷丸は垣根を乱暴に押し除け、高圧的な態度で私に向かって叫んだ。

名門の血を引く自分が声をかけてやっているのだから、当然ひれ伏して喜ぶべきだという、母親譲りの特権意識がその態度に染み付いていた。

しかし、彼の瞳の奥にあるのは、純粋な悪意や見下しだけではない。
周囲の人間がすべて自分に平伏し、媚びへつらう世界の中で、ただ一人、決して自分になびかない私に対して、彼は強烈な初恋を拗らせていたのだ。

美しいものを愛でる景冬の血を引いているせいか、彼は亡き母の面影を強く受け継いだ私の容姿に、どうしようもなく惹きつけられていた。

しかし、甘やかされて育った彼は、他人にどうやって好意を伝えればいいのか、正しい愛し方を知らない。
だからこそ、顔を真っ赤にして高圧的な態度をとり、不器用に嫌がらせをして私の気を引こうとするのだ。

「聞こえないのか! 次期当主である僕が、遊んでやると言っているんだぞ! ありがたく思え!」

彼が乱暴に私の着物の袖を引っ張ろうと手を伸ばしてきた。
私はその手を避けることもせず、ただひどく冷め切った、感情の抜け落ちた瞳で彼を見つめ返した。

特権階級のつもりで威張っているが、中身は大人の私から見れば、ただの愛に飢えた哀れな子供に過ぎない。

母親の傲慢な愛と、父親の打算的な期待しか与えられず、他者への純粋な愛情を知らずに育ってしまった悲劇の産物だ。

「触らないでいただけますか。手が汚れますわ」

私は七歳の子供とは思えない、ひどく冷ややかで雅な発音で、彼の行動をぴしゃりと跳ね除けた。

「なっ……! お前、僕に向かってなんて口の利き方を……!」

拒絶された御雷丸は、羞恥と混乱で顔を茹でダコのように真っ赤にし、ギリッと牙を剥いた。

好きな子にいじわるをしてしまう、あまりにも幼く歪な初恋の暴走。
しかし、その不器用な手が私に届くことはなかった。


背後から音もなく現れた小さな影が、御雷丸の前に冷たい殺気を放って立ち塞がったからだ。
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