私を処刑した冷酷公爵の「顔面」だけが最推しなので、死に戻った今世は感情を捨てて完璧なパトロンに徹します

あとりえむ

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第1話

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冷たい雨が、容赦なく肌を打ち据えていた。

灰色の空から降り注ぐ無数の水滴は、まるで世界そのものがサラ・ヴィル・ルクセリアを拒絶し、嘲笑っているかのようだった。

荒々しく腕を引かれ、ぬかるんだ石畳を引きずられるようにして歩かされる。
周囲を取り囲む群衆の憎悪に満ちた罵声も、石を投げつけられる痛みも、今のサラにはひどく遠い出来事のように感じられた。

向かう先は、領都の中央に設えられた無骨な処刑台。
雨水を吸って黒ずんだ木の階段を一段上るごとに、サラの心は削られ、死への恐怖よりも深い絶望が全身を侵食していく。


どうして、こんなことになってしまったのだろう。

処刑台の中央に引き据えられ、冷たい雨の溜まる床に膝をつかされたサラは、ゆっくりと顔を上げた。

視線の先、群衆を見下ろすように設えられた特等席には、一人の男が座っている。
万象を断つ静寂の刃と恐れられる帝国最強の公爵であり、サラの夫であるヴォルティス・ザル・グラディウス。

艶やかな黒髪は雨に濡れて額に張り付き、彫刻のように整った顔立ちは、この世のものとは思えないほど美しい。
しかし、その氷のように冷たい青の瞳には、妻であるサラに対する同情も、憐れみも、怒りすらも微塵も存在していなかった。
ただ、領地を蝕む害悪を排除するという、機械的な義務感だけがそこにある。

私はただ、あなたに愛されたかっただけなのに。

政略結婚であったとはいえ、サラはヴォルティスを心から愛していた。
感情を殺して領地運営と戦闘に明け暮れる孤独な彼を支えたいと願い、不器用ながらも必死に公爵夫人としての責務を果たしてきた。

彼が好むと聞いた茶葉を自らブレンドし、彼が少しでも安らげるように屋敷の環境を整え、冷たい言葉を投げかけられても決して笑顔を絶やさなかった。
いつか、あの冷たい瞳に自分への愛情が宿る日を夢見て。

しかし、現実は残酷だった。
悪意ある罠に嵌められ、領地の機密を敵国に流したという濡れ衣を着せられたサラを、ヴォルティスは一切の迷いなく切り捨てた。

無実を訴え、泣き叫んで足にすがりついたサラを、彼は汚いものでも見るかのような目で見下ろし、ただ冷徹に証拠という名の紙切れだけを突きつけたのだ。

サラの心など、彼にとっては最初から存在していなかった。
彼が見ていたのは、合理性と秩序という名の歯車だけだった。

「執行せよ」

ヴォルティスの薄い唇から紡がれたその一言が、決定的な刃となってサラの心臓を貫いた。

その瞬間、サラの中で張り詰めていた何かが、音を立てて砕け散った。
愛も、希望も、祈りも、すべてが無駄だったのだ。
どれほど尽くしても、どれほど愛しても、この男には決して届かない。

鈍く光る巨大な刃が、頭上高く振り上げられる。
首筋にじっとりと張り付く雨の冷たさと、死の気配。
私は、あの男に殺される。
愛した人に、ゴミのように捨てられて死ぬのだ。

恐怖と絶望が頂点に達し、刃が風を切って振り下ろされた刹那。
サラの意識は、深い暗闇へと真っ逆さまに堕ちていった。




「はっ、あ……っ!」

サラは弾かれたように身を起こした。
肺に無理やり空気を送り込もうとするが、喉がひゅるひゅると奇妙な音を立てるばかりで、上手く呼吸ができない。

ガチガチと歯の鳴る音が、静まり返った部屋に響き渡る。
シーツを握りしめる両手は血の気が引いて真っ白になり、全身が冷たい脂汗でびっしょりと濡れていた。

首をさする。
繋がっている。
切断された鋭い痛みも、血の熱さもない。

ここは、どこだ。

ランプの仄暗い灯りに照らされた室内を見回す。
豪奢な天蓋付きのベッド、見覚えのある重厚なアンティークの家具。
そこは間違いなく、ヴォルティスとの結婚初夜に用意された公爵家の寝室だった。
窓の外からは、冷たい雨の音ではなく、穏やかな夜風が木々を揺らす音が聞こえる。

過去に戻った。
死に戻ったのだと理解した瞬間、安堵よりも先に、強烈な吐き気と底知れぬ恐怖がサラの全身を支配した。

「あ、ああ……っ、嫌、いやだ……」

過呼吸を起こし、毛布をかきむしりながら後ずさる。

視線の先、ベッドの隣には、静かな寝息を立てて眠るヴォルティスの姿があった。
シーツから覗く鍛え上げられた広い肩、無防備に散らばる黒髪。
その姿を見た瞬間、断頭台で見下ろされたあの冷たい青の瞳がフラッシュバックする。

また、あの男に殺される。
どれだけ愛しても、どれだけ尽くしても、最後には無惨に切り捨てられる。
あの冷たい床に這いつくばらされ、首をはねられるのだ。

「ひっ、あ……!」

喉の奥から悲鳴が漏れそうになるのを、両手で必死に口を塞いで押し殺す。

逃げなければ。
今すぐこの屋敷から逃げ出さなければ、また殺される。

しかし、帝国最強の武力を持つ公爵家から、か弱い令嬢一人が逃げ出せるはずもない。
実家に助けを求めたところで、政略結婚の駒である自分を見捨てることは前世で証明済みだ。

逃げ場など、どこにもない。
隣で眠る死神と共に、これから先の人生を生きていかなければならない。
その絶望的な事実に直面し、サラの精神は完全に崩壊しかけていた。
恐怖で視界が明滅し、発狂の淵に立たされたその時。

サラの極限状態にあった脳は、彼女の命と精神を繋ぎ止めるため、一つの強力な防衛本能を作動させた。

ふと、隣で眠るヴォルティスの顔に視線が吸い寄せられる。
長い睫毛が美しい影を落とし、スッと通った鼻筋から薄い唇へのラインは、神が精魂込めて削り出したかのように完璧だった。

彼の人間性に期待するから、裏切られて絶望するのだ。

自分を愛してくれる一人の夫だと思えば、心が壊れる。
彼に心などないと、なぜ気づかなかったのか。

そうだ、あれは人間ではない。
三次元に顕現した、至高の芸術作品だ。
感情も、温もりも持たない、ただそこにあるだけで価値のある美しい彫像だ。
そう思えばいい。
いや、そう思い込まなければ、今すぐにでも恐怖で狂い死んでしまう。

サラは震える両手で自身の顔を覆い、大きく、長く深呼吸をした。
空気を肺の奥底まで吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

その呼吸のたびに、心臓の奥底で燃えていたヴォルティスへの愛情も、殺されたことへの憎しみも、死の恐怖すらも、すべてが冷たく凍りついていくのを感じた。
感情という名の不純物を完全に排除し、分厚い氷の檻の中に厳重に閉じ込める。
そして代わりに、一つの歪な情熱だけが、暗い泥の中から頭をもたげた。

「あなたの顔面と才能は、至高の芸術です。でも、私の心臓は前世の断頭台で、とうの昔に止まっているんですよ」

誰に聞かせるわけでもない呟きは、夜の闇に吸い込まれて静かに消えた。
覆っていた両手をどけた時、サラの顔から先程までの絶望と恐怖は完全に消え去っていた。

私はもう、彼に愛など求めない。
人間としての彼に、一切の期待をしない。
彼はただの観賞用コンテンツであり、私が崇めるべき最推しだ。
推しに恋愛感情を抱くなど言語道断。

私はただ、彼の顔面と戦闘スキルという才能を愛で、パトロンとして彼を徹底的に保護する、完璧なモブに徹するのだ。

サラの唇の端がゆっくりと吊り上がり、張り付いたような明るい微笑みが浮かんだ。
それは、絶望の淵で心が壊れきった果てに辿り着いた、狂気という名の平穏だった。

新しい朝が来たら、まずは彼に同担拒否のルールを宣言しなければならない。
推しと同じ寝室で眠るなど、おこがましすぎるのだから。


サラは静かにベッドを抜け出すと、美しい推しの寝顔をただ静かに、感情のない瞳で見つめ続けた。
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