私を処刑した冷酷公爵の「顔面」だけが最推しなので、死に戻った今世は感情を捨てて完璧なパトロンに徹します

あとりえむ

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第3話

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帝都の華やかな大通りから外れ、迷路のように入り組んだ路地を抜けた先。
陽の光さえも届かないスラム街の奥深くは、腐敗と泥の不快な匂いが立ち込めていた。

サラは目立たない灰色の外套に身を包み、ぬかるんだ地面を躊躇いもなく進んでいく。
公爵夫人という立場になれば、本来このような場所に足を踏み入れることなど許されない。

しかし、今のサラにとって「公爵夫人」という肩書きは、推しを最前列で保護し、資金を動かすためのただのフリーパスに過ぎなかった。

前世での彼女は、夫の愛を得るために己を殺し、ただ清く正しい令嬢であろうと努めた。
その結果が、あの冷たい断頭台での理不尽な死である。

今世ではもう、誰かに評価されるための生き方などしない。
己の精神を守るための「推し活」という名の生存戦略において、不要な常識はすべて切り捨てるつもりだった。


サラの足が、崩れかけたレンガ造りの小屋の前でピタリと止まる。
隙間風の吹き込む薄暗い室内では、銀色の髪を無造作に伸ばした痩せぎすの青年が、危険な瘴気を放つ魔石を素手でいじり回していた。

「……おい、そこをどけ。光の屈折率の計算が狂う」

青年は顔を上げることもなく、不機嫌な声で言い放った。
彼こそが、前世の記憶の中で数年後に『帝国一の魔導技師』として歴史に名を刻むことになる天才職人、ティアル・ルクその人である。

しかし現在の彼は、その異端すぎる発想と危険な実験の数々から魔導ギルドを追放され、このスラムで迫害されながら生きる日陰者だった。

サラは外套のフードを深く被ったまま、彼の作業台の上に、実家の商会を通じて引き出した莫大な金額の小切手と、ある設計図の束を無造作に置いた。

「あなたの才能を買いに来ました。この資金で、この設計図にある武具と魔導具をすべて、最高純度の素材で作り上げてください」

ティアルは怪訝な顔で小切手と設計図を一瞥し、そして鼻で笑った。

「貴族のお嬢様が、スラムのゴミ捨て場まで何の冗談だ?俺の作るものはギルドの老害どもには理解できない危険物だぜ。それに、この設計図……異常だろ。使用者の身体能力を極限まで引き上げる代わりに、一歩間違えれば魔力回路が焼き切れる。誰に装備させるつもりだ?」

「帝国最強の剣士です。彼ならば、この武具の真価を完璧に引き出し、至高の芸術として昇華させることができます」

サラの言葉に、ティアルはやっと手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
薄汚れた前髪の隙間から覗く金色の瞳が、サラを射抜くように見つめる。

ティアルはスラムという泥底で生きてきたからこそ、人間の本性に敏感だった。
目の前に立つ令嬢の出で立ちは地味だが、その佇まいには隠しきれない気品がある。
しかし、問題はそこではない。
彼女の瞳だ。

「……あんた、笑ってるけど、目が完全に死んでるな」

ティアルの低い声が、薄暗い小屋の中に響いた。
その瞬間、サラの肩が微かに跳ねる。

「まるで、そうやって狂ったふりをしていないと、今にも泣き叫んで死んでしまいそうに見える。その異常な熱意も、その作り物の笑顔も……全部、自分を誤魔化すための鎧か何かか?」

図星を突かれたサラの脳裏に、再びあの冷たい雨と、断頭台の記憶がフラッシュバックする。

首筋を走る幻の痛み。
見下ろしてくる、ヴォルティスの氷のような青い瞳。

息が詰まりそうになるのを、サラは手のひらに爪が食い込むほど強く握りしめることで必死に耐えた。

ここで精神を崩壊させるわけにはいかない。
私はもう、彼に愛を求める惨めな女ではないのだから。

数秒の沈黙の後、サラはゆっくりと外套のフードを下ろした。
亜麻色の髪がこぼれ落ち、新緑の瞳が真っ直ぐにティアルを見据える。
その顔には、狂気的なまでの明るい微笑みが、隙間なく完璧に貼り付けられていた。

「ええ、その通りです。私の心臓は、とっくの昔に壊れきっています」

あっさりと肯定したサラに、ティアルはわずかに目を見開いた。

「私は、推し……私が崇拝するあの方の顔面と才能を保護し、愛でることでのみ、呼吸を続けることができるのです。あの方が舞台で最も美しく輝くためなら、私は自分のすべてを賭して完璧な裏方(パトロン)に徹します。私の狂気を形にするために、あなたのその異端の才能が必要なのです」

それは、悲鳴のような告白だった。
正気の世界では生きられないと悟った女が、自ら進んで狂気の底へ身を投じるための宣言。

ティアルは、薄暗い小屋の中で圧倒的な熱量と虚無感を同時に放つサラから、目が離せなくなった。

彼自身も、世間からは理解されず、狂人扱いされてきた人間だ。
自分の才能を注ぎ込む場所もなく、ただ泥の中で朽ちていくのを待つだけだった命。
しかし目の前の壊れた令嬢は、その圧倒的な資金力と狂気で、自分の才能を「必要だ」と断言したのだ。

「……はっ、なるほどな」

ティアルは乾いた笑いを漏らし、前髪を乱暴にかき上げた。
金色の瞳に、これまでにない鋭い光が宿る。

「あんたがどれだけ壊れていようが、俺には関係ない。だが、俺の作ったものを『至高の芸術』とやらで使いこなせる奴がいるってんなら、見てみたいもんだ。いいぜ、あんたのその狂った計画、俺が最高の技術で彩ってやるよ」

ティアルは小切手と設計図をひったくるように手に取った。
彼の中で、くすぶっていた天才の炎が爆発的に燃え上がるのを感じていた。

「お嬢様の心が壊れたままなら、俺がその破片を全部かき集めて、最高の額縁に入れてやりますよ。俺の魔導具で、あんたのその『推し』とやらを、誰も手出しできない最強のバケモノに仕立て上げてやる」

「……ありがとう、ティアル。あなたならそう言ってくれると信じていました」

サラの張り付いた笑顔が、ほんの少しだけ、人間らしい安堵の形に和らいだ。
互いに世間から弾き出され、欠落を抱えた二人が、泥に塗れたスラムの片隅で奇妙で強固な共犯関係を結んだ瞬間だった。

この日を境に、サラの莫大な個人資産とティアルの常軌を逸した技術力を掛け合わせた匿名組織『黒の百合』が、帝国の裏社会で産声を上げることになる。

すべては、帝国最強の公爵であり、サラの夫であるヴォルティスを、安全な距離から観賞し、保護するため。

彼が二度とサラを殺す理由を持たないよう、外敵をすべて排除し、彼を完璧な存在として祭り上げるための、狂気に満ちたパトロン活動の始まりだった。


その頃、公爵邸の執務室では、ヴォルティスが不可解な苛立ちを抱えながら書類にペンを走らせていた。

妻であるサラとの生活空間の分離は、初日に彼女が宣言した通り、完璧に実行されていた。
食事の席はおろか、すれ違うことすら皆無。
彼女は本当に、同じ屋敷の中にいるのかと疑うほどに、自分の視界から完全に姿を消したのだ。

「……合理的な判断だ。煩わしい手間が省けた」

ヴォルティスは独り言のように呟き、冷たい青の瞳を伏せた。

領地を守るための歯車である自分にとって、これ以上なく効率的な環境であるはずだ。
しかし、書類の文字を追うたびに、あの朝の、自分に対して一切の感情を向けてこなかった彼女の新緑の瞳が脳裏をよぎる。

その度に胸の奥底で、正体のわからない空洞が静かに、しかし確実に広がっていくのを、彼はまだ自覚することができずにいた。
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