私を処刑した冷酷公爵の「顔面」だけが最推しなので、死に戻った今世は感情を捨てて完璧なパトロンに徹します

あとりえむ

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第8話

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深夜の冷たい空気が張り詰める庭園で、帝国最強の公爵とスラム出身の異端の魔導技師が対峙していた。

バチバチと青白い火花を散らす魔力障壁の向こう側で、ティアルは両手に構えた試作型の高火力魔導具の狙いを、寸分たがわずヴォルティスの眉間に定めている。

その背後では、泥だらけになったドレスの裾を握りしめ、サラがガタガタと小刻みに震えていた。
彼女の顔には、先程までの恐怖を引きつらせながらも、無理やり作り上げたような狂気的な笑顔がへばりついている。

「推しの……閣下の尊いお時間を、私のような者が奪ってしまって……ああっ、スキャンダルになってしまう……!」

焦点の合わない瞳で虚空を見つめ、うわ言のように繰り返すサラ。
その痛ましく壊れた姿を背に庇いながら、ティアルは憎悪に満ちた金色の瞳でヴォルティスを睨みつけた。

「……あの方がどれほどギリギリのところで呼吸をしているか。これ以上あの方に近づくなら、帝国の半分を吹き飛ばしてでも、あんたをここで灰にする」

ティアルの吐き捨てるような言葉が、夜風に乗ってヴォルティスの耳に届く。

ヴォルティスの血脈で暴れ狂う獣人の本能は、「番を取り戻せ」「邪魔者を排除しろ」と狂おしく咆哮していた。

彼の武力をもってすれば、ティアルの魔力障壁ごと薙ぎ払い、強引にサラを奪い返すことなど造作もないことだ。
しかし、ヴォルティスの足は泥に縫い止められたように微動だにしなかった。

なぜだ。
なぜ、彼女はあそこまで怯えきっているのか。
自分を裏から誰よりも支え、己のすべてを捧げてくれていたのではないのか。

照れ隠しなどという生易しいものではない。彼女の魂そのものが、ヴォルティスが近づくことを強烈に拒絶し、悲鳴を上げている。

ヴォルティスが呆然と立ち尽くす中、ティアルは障壁を維持したままサラの腕を強く引き、深い闇の中へと姿を消していった。

追うことはできた。しかし、どうしても追えなかった。
ティアルの言った「あんたの愛情ごっこは、あの方を殺す猛毒なんだよ」という言葉が、呪いのようにヴォルティスの脳内にこびりついて離れなかったのだ。


気がつけば、ヴォルティスは屋敷の別棟にあるサラの私室の前に立っていた。
彼女が逃げ込んだ先ではない。彼女が結婚初夜の翌朝から、たった一人で生活している空間だ。

「閣下のプライベートな空間は絶対不可侵の聖域」と彼女が笑顔で語り、生活空間を完全に分けて以来、彼が一度も足を踏み入れたことのない場所。

ヴォルティスは震える手をドアノブにかけ、重い扉をゆっくりと押し開けた。
魔力灯を点した瞬間、そこに広がっていた異様な光景に、ヴォルティスは言葉を失った。

「これは……なんだ」

ヴォルティスは息を呑み、ふらつく足取りで部屋の中へと足を踏み入れた。
広いはずの公爵夫人の寝室は、無数の書類、壁一面に張り巡らされた地図、そして複雑な魔導具の設計図で完全に埋め尽くされていた。

美しいドレスや宝石箱が置かれるはずの化粧台には、分厚い裏帳簿と、他国の間者や貴族たちの動向を記した報告書が山のように積み上げられている。

それは乙女の私室などではなく、まるで狂気に憑りつかれた軍師の作戦司令室、あるいは己のすべてを捧げる対象を祀り上げた異端の祭壇だった。
部屋の至る所に、ヴォルティスに関する情報が溢れ返っている。

ヴォルティスはデスクに近づき、無造作に広げられた羊皮紙の束に目を落とした。

そこには、ヴォルティスに関するありとあらゆるデータが、緻密な文字でびっしりと書き込まれていた。

剣を振るう際の筋肉の微細な可動域、魔力消費の効率化の計算式、政敵が企てる陰謀の予測、そして彼を陥れようとする者たちへの徹底的な物理的・社会的排除のシミュレーション。

自分がどれほど彼女の知略と血の滲むような努力によって守られ、生かされていたのかを容赦なく突きつけられる。
これほどまでに己を削り、自分という存在を肯定し、守り抜こうとする執念。

やはり、彼女は俺を深く愛しているのだ。
そうでなければ、ここまで狂気的な献身ができるはずがない。

そう信じようと、ヴォルティスはすがるような思いで、デスクの引き出しにあった彼女の手記に手を伸ばした。
震える指で表紙をめくり、そこに綴られた彼女の「心の内」を探ろうとする。

しかし、数ページをめくった瞬間、ヴォルティスの顔から完全に血の気が引き、手記が指先から滑り落ちて床に乾いた音を立てた。

そこには、一人の男に向けるような愛や温もりは、一切存在していなかった。


『本日の推し(対象:閣下)の作画も最高品質であった。遠目からの観賞にとどめ、存在を脳裏に焼き付けること』

『対象の戦闘スキルは国家の至宝であり、至高の芸術。絶対に傷をつけさせてはならない。パトロンとして完璧に保護し、障害はすべて私が排除する』

『注意:対象から半径二メートル以内に近づかないこと。生存本能が強烈な警鐘を鳴らすため、絶対に距離を保つこと』

『決して、一人の人間の男として見てはならない。あれは神が創り出した観賞用の芸術作品である。人間性に期待すれば、私は今度こそ完全に壊れて死ぬ』


綴られている言葉は、どこまでも冷徹で、対象を分析し、保護し、消費するための機械的な執念だけだった。

「愛している」「触れたい」「私を見てほしい」といった、妻が夫に抱くべき熱を帯びた感情の痕跡が、文字の端々から完全に、恐ろしいほど完璧に欠落しているのだ。

それはまるで、恐ろしい猛獣を檻の外から安全に観察し、餌を与えて管理している飼育員の手記のようだった。

いや、それ以上に歪で、徹底的な「拒絶」の記録だ。
彼女はヴォルティスを「人間」として扱うことを、自らの意志で、強烈な恐怖とともに禁じているのだ。

己の精神を守るための防壁として、彼を感情のない「偶像」に強制的に変換している。

「なぜ……どうしてだ、サラ……」

ヴォルティスは崩れ落ちるように床に膝をつき、散らばった書類を両手でかき集めた。
彼女の狂気的なまでの推し活の裏にある、深すぎる虚無と絶望。
あの張り付いたような明るい笑顔の裏で、彼女の心臓はとうの昔に止まっていたのだ。

ティアルの放った言葉が、再び脳内で残酷にリフレインする。

『あんたのその吐き気がする愛情ごっこは、あの方を殺す猛毒なんだよ』

ヴォルティスはようやく、その言葉の本当の意味を理解した。
彼女の心が壊れたのは、他でもない、自分自身のせいなのだと。

結婚初夜の冷たい態度、あるいはそれ以前からの無関心が、彼女から「愛されることへの希望」を完全に奪い去り、精神の死をもたらしたのだ。

俺が、彼女を壊した。
俺の冷酷さが、世界で最も自分を深く理解してくれていたはずの女の心を、ズタズタに切り裂いて殺したのだ。

獣人の血が「運命の番」を求めて狂おしく泣き叫んでいる。
彼女のすべてを手に入れ、抱きしめ、愛し、愛されたいと魂が血を流して渇望している。

しかし、自分が求めているその「番の心」は、自分の手によってすでに惨殺されていた。
いくら彼が愛を叫び、熱情をぶつけたところで、彼女にとってそれは「死の恐怖」を呼び起こす猛毒でしかない。

自分が近づけば近づくほど、愛を伝えようとすればするほど、彼女は壊れていく。
愛しているのに、触れてはいけない。

運命の番なのに、永遠に心を通い合わせることはできない。

「ああ……っ、あぁぁぁぁっ……!!」

静寂の刃と呼ばれ、氷のように冷酷だった男の喉から、獣の悲痛な慟哭が深夜の屋敷に響き渡った。

それは、自身の過ちによって永遠に取り返しのつかないものを失ったことに気づいた、絶対的な絶望の叫びだった。

ヴォルティスは床に額を擦り付け、彼女の冷たい文字が並ぶ羊皮紙を掻き抱いて、子供のように声を上げて泣き崩れた。
彼がこれまで築き上げてきた誇りも、武人としての理性も、すべてが音を立てて崩れ去っていく。

狂気の箱庭に逃げ込んだ妻と、己の過ちに気づき絶望の底なし沼に突き落とされた夫。

運命の番という呪縛に囚われた二人のすれ違いは、もはや引き返すことのできない、致命的で残酷な領域へと足を踏み入れていた。
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