私を処刑した冷酷公爵の「顔面」だけが最推しなので、死に戻った今世は感情を捨てて完璧なパトロンに徹します

あとりえむ

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第7話

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深夜の公爵邸。
別棟の自室で、サラは分厚い羊皮紙の束に向かっていた。

ティアルから上がってきた新しい魔導具の設計図と、実家の商会から引き出した裏帳簿の照合。
推しであるヴォルティスを安全圏から完璧に保護するための、極めて重要で幸福なパトロン業務である。

羽ペンを走らせるサラの口元には、穏やかで狂気的な笑みが浮かんでいた。
今日も推しが美しく、そして最強であったという間者の報告を思い出すだけで、寿命が延びる思いだ。
このまま平穏に、そして誰にも邪魔されることなく、遠くから至高の芸術を観賞し続ける日々が永遠に続くのだと信じて疑わなかった。


突然、重厚な扉が乱暴な音を立てて開け放たれた。

ビクッと肩を揺らし、サラは顔を上げた。
そこに立っていたのは、深夜であるにも関わらず、軍装の胸元を大きくはだけさせたヴォルティスの姿だった。

息は荒く、広い肩が上下に大きく揺れている。
しかし、サラを最も硬直させたのは、彼のその瞳だった。
いつも氷のように冷たく、一切の感情を排していたはずの青い瞳。
それが今は、どろどろに溶けた熱を帯び、獲物を狙う獣のような赤黒い光を放ってサラを射抜いていた。


彼は無言のまま、ゆっくりと、しかし逃げ道を塞ぐような確実な足取りで部屋の中へと足を踏み入れる。

「サラ……」

地を這うような、低く掠れた声。
その響きに、サラの心臓が早鐘のように打ち始めた。

ヴォルティスの中で、獣人の血が完全に目覚めていた。
目の前にいる、自分を裏から誰よりも支え続けてくれた運命の番。
彼女の微かな匂いを嗅いだだけで、脳髄が痺れ、理性が蒸発していく。

今までどうして、この狂おしいほどの愛しさに気づかなかったのか。
彼女が自分を避けていたのは、献身を知られることを恥じらう、いじらしい乙女心だったに違いない。

そう都合よく解釈したヴォルティスの心には、ただ彼女を抱きしめ、己のすべてを与え尽くしたいという強烈な所有欲だけが渦巻いていた。

「俺が愚かだった。お前が俺のためにどれほど……いや、もういい。ただ、俺のそばにいてくれ。お前のすべてが愛おしい」

ヴォルティスが手を伸ばし、サラの頬に触れようとする。
その瞬間。

サラの脳裏に、冷たい雨の匂いと、断頭台の記憶が鮮烈にフラッシュバックした。

彼が近づいてくる。
あの氷の瞳で私をゴミのように見下ろし、冷酷に処刑を命じた男が。
私の心をズタズタに切り裂き、命を奪った死神が、今まさに私に手を伸ばしている。

首筋に幻の激痛が走り、死の恐怖で喉が引きつる。
ヒュー、ヒューと喉が鳴り、肺から酸素が急速に奪われていく。
恐怖で発狂しそうになったその時、サラの精神を繋ぎ止めるための強固な防衛本能が、瞬時にその危機的状況を別の概念へと強制変換した。

違う。これは命の危機ではない。
推しからの、確定ファンサだ。

私が裏でパトロン活動を頑張りすぎたせいで、VIP待遇の特別ファンサービスが発生してしまったのだ。
三次元の推しが至近距離で甘い言葉を囁き、直接触れようとしてくるなど、限界オタクにとっては致死量の刺激に他ならない。
心臓が止まる。

いや、それ以上に、私のようなモブが推しの視界に入り、ましてや接触するなど、物理的にスキャンダルになって推しのブランドに致命的な傷がついてしまう。
推しの価値を下げる行為だけは、絶対に許されない。

サラは血の気を引かせた顔に、全力で狂気的な笑顔を貼り付けた。
そして、ヴォルティスの指先が頬に触れる寸前で、弾かれたように後ずさった。

「推し……いえ、閣下!確定ファンサなど心臓が止まるのでやめてください!」

「……ふぁん、さ?」

ヴォルティスは空を切った己の手を見つめ、間の抜けた声を漏らした。
彼にはサラの言葉の意味が全く理解できない。
ただ、妻が照れてパニックを起こしているのだと、獣の欲求に呑まれた脳で必死に処理しようとした。

「照れることはない、サラ。俺は本当のお前を知った。だから、もう逃げなくていい。俺はお前を……」

「スキャンダルになります!」

サラは悲鳴のような声で、ヴォルティスの言葉を遮った。

「私のようなどこの馬の骨とも知れないモブが、閣下のような国宝級の御方と半径二メートル以内に近づくなど、万死に値する大罪です!どうかご自身の価値を下げないでください!」

「何を言っている。お前は俺の妻だ。誰よりも俺を……」

「近寄らないでくださいませ!!」

早口でまくしたてると、サラはドレスの裾を強く握りしめ、窓枠に足をかけた。

このままでは死ぬ。物理的にも、精神的にも。
恐怖と狂気が入り混じった極限状態の中、サラは帝国最強の武人である夫を置き去りにして、夜の闇へと全力で逃走を図った。

窓から飛び降り、ドレスを泥で汚すことも構わず、暗い庭園を必死に走る。

「なっ……待て、サラ!」

ヴォルティスは慌てて窓から飛び降り、夜の庭園へと逃げ込んだ妻の後を追った。
獣人の身体能力をもってすれば、かよわい令嬢一人を捕まえるなど容易いことだ。

数歩で追いつき、その華奢な肩を掴もうと手を伸ばす。
今度こそ逃がさない。この腕の中に閉じ込め、二度と離さない。

しかし、その手がサラに届く直前。

──バチバチッ

二人の間に、青白い火花を散らす冷たい魔力の障壁が展開された。

「……そこまでにしておきな、公爵サマ」

闇の中から現れたのは、銀色の髪を揺らすティアルだった。
彼は普段の気怠げな態度を完全に捨て去り、両手に危険な光を放つ試作型の高火力魔導具を構えていた。

その金色の瞳は、ヴォルティスを氷のように冷たく、そして明確な殺意を持って見据えている。
深夜の密会を兼ねた武器の納品に訪れていた彼は、サラの異常事態を察知して飛び出してきたのだ。

「貴様……なぜこの屋敷にいる。そこをどけ、俺は妻と話がしたいだけだ」

ヴォルティスは低い声で威嚇し、獣の殺気を放った。
常人であればその気当てだけで気絶するほどの圧だったが、ティアルは鼻で笑って一歩も退かなかった。

彼の背後で、サラは恐怖と混乱でガタガタと震えながら、必死に推しが尊いという作り笑いを浮かべて己の心を守ろうとしている。
その痛々しく壊れた主の姿を見たティアルの目に、暗い炎が宿った。

「話だと?笑わせるな。あんたのその吐き気がする愛情ごっこは、あの方を殺す猛毒なんだよ」

「猛毒だと……?」

「そうだ。あんたは何もわかっちゃいない。あの方がどれほどギリギリのところで呼吸をしているか。……これ以上あの方に近づくなら、帝国の半分を吹き飛ばしてでも、あんたをここで灰にする」

ティアルの言葉は、決してハッタリではなかった。
その手にある魔導具のコアが、限界を超えて明滅している。

ヴォルティスは足を止め、目の前の異端の魔導技師と、その後ろで狂ったように震えて笑う妻を交互に見つめた。

なぜ、彼女はあそこまで怯えているのか。
なぜ、自分に向けられる瞳に、愛どころか、理解不能な狂気と絶対的な拒絶しかないのか。

照れ隠しなどという生易しいものではない。
彼女の魂は、ヴォルティスが触れることを何よりも恐れ、全力で拒絶している。

熱に浮かされていたヴォルティスの心に、初めて冷たい絶望の雫が落ちた瞬間だった。
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