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第一章 刑事、獣の主人(あるじ)となる
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口の端だけでみはやは笑ってみせる。
「言ったでしょう? 優秀で使い勝手のいい秘書兼忍者だって。主人を命の危険から遠ざけるのが、お仕事その一、です」
軽い音を立ててみはやが弾倉を抜く。
リュックのポケットからもう一つの弾倉を出して、銃に込めた。
「あの政治家さん、河原崎勇毅さん的には、やっぱり『守護獣』は都市伝説でしかなかったんですよ。いえ、ただの都市伝説にしておきたかったんですよね」
那臣を現在の境遇に追いやった相手、警察OBで現・国家公安委員長の河原崎勇毅の名前に、頬が、ちり、と反応する。
「たかが都市伝説、トイレの花子さんに、周りみんなが、そしてご自分もガクブルなのが馬鹿らしくて、しょせん裏社会の便利屋風情、さっさと主人ごと東京湾のお魚さんたちのエサにしちゃおうとした訳です。どうせ那臣さんは、いつか消すリスト筆頭者ですからね。
でも残念ながら『守護獣』は現実の存在です。主人を護り、主人の手足となり、主人の欲するものすべてを主人に捧げる……」
スライドを引く音が、薄闇の支配する路地に不気味に響く。
「那臣さんの望むものが『正義と秩序』であるなら、この人たちは世界から退場していただくべき方々です」
トリガーにかけようとした指を、那臣の静かな一喝が止めた。
「やめろ、みはや。殺すな」
決して激しい口調ではない。淡々と、だが厳しくみはやを律してくる。
みはやが軽く息をつく。
「どうしてですか那臣さん。この人たち、びっくりするくらい極悪人ですよ? このおじさんなんて本国に帰ったら死刑が五、六回じゃ済みません。そちらの人は日本人ですけど、ひょっとすると、近年殺した人数、日本記録保持者かもってくらいです」
「それでもだ。警察と……それから救急車を呼べ。間に合わんかもしれんがな」
「大丈夫でしょう、人間って、意外と保ちますから」
さらりと言い放つ。そしてもう一度溜息をついた。
「……それより、警察を呼んだら、それこそ、このおじさんたちはきれいに消されます。那臣さんを襲った事実、襲わせた事実ごとなかったことにされるんです。
そういうこともあるって、那臣さん、よくご存じじゃないですか」
みはやの言葉が心臓に突き刺さる。
那臣が追っていたあの事件は、事件ごと、なかったことにされた。
力を持つものは、持たざるものを如何様にも扱える。
この世界は、不条理なのだ。
那臣は拳を固く握りしめた。全身が震える。足を付け立つ地面が揺れる。
それでも。
背を伸ばし顔を上げる。みはやの瞳を、みはやの瞳に映る己をしっかりと見据えた。
「それでも、だ。
俺は警察官だ。法に従い、犯罪者を逮捕する。それがすべてだ。
……法なんぞクソとも思っちゃいない連中が、ごまんといることも判ってる。
そういう奴らこそ上に居て俺みたいな虫ケラを嘲笑ってることもな……。
…………だが。
曲げねえよ、それが俺の『正義』だ」
後になって、那臣はこの言葉を思い出し、あまりの青臭さに一人、赤面することになる。
そのとき一緒に蘇ってくるのは、みはやの、嬉しくて幸せで泣き出しそうな、全開に咲き誇った笑顔だった。
「……だから俺のベッドに潜り込んでくるのはやめろと言っただろうが」
また無意識にみはやの髪を梳きながら目覚めてしまった。その手触りが、やはり心地よいと感じてしまう自分に、少なからぬ背徳感を覚える。当のみはやは呑気なものだ。愛らしく開いた片手を口に当て、小さくあくびをする。
「おはようございます那臣さん、朝からカタいこと言いっこなし! ですよ?」
「朝晩関係ねえよ、夕べもちゃんと布団用意してやったじゃねえか。なんだって、わざわざ狭いところに潜り込んで来るんだ」
体格のよい那臣一人でも、安い折りたたみベッドは定員精一杯なのだ。いくらみはやが小柄とはいえ、ぎゅうぎゅう詰めであることこの上ない。いや問題はそこではなく。
「そもそも子どもとはいえ、お前一応女だろうが。男のベッドになんて潜り込んでくるな」
「では、何度でも確認しますが那臣さん、可愛いみはやちゃんに欲情、しちゃったりしますか? きゃ」
「し・な・い!」
「……地味に傷つきましたが、それならよいではありませんか。青少年の健全な育成上、男女同衾がよろしくないのは、不埒でえっちなあんなことやこんなことが行われてしまうからですよね? ならば全く!その気がない! と断言される那臣さんと、ただ一緒に寝ることに何の問題もありません。以上、証明終了」
「……………………腹減った」
「みはやちゃんの作った美味しい朝食を早く食べたい! ですよね? 合点承知の介です」
不毛な議論で、朝食前の僅かな備蓄エネルギーを使い果たしてしまった那臣は、ぐったりと布団にのめり込んだ。
『パートナーの胃袋をがっつり握る』は、やはり最強のスキルである。みはやは小さくガッツポーズをして、キッチンへ駆けていった。
そして悲しいことに、本日の朝食も大変旨い。出汁のきいた豆腐とわかめの味噌汁に、炊きたてのつやつやご飯、綺麗に巻かれた出汁巻き卵とふっくら焼いた鮭の切り身。和食派の那臣は、無心に何度もお替わりをかきこむ。
ぱちんと手を合わせ、お茶を一気に飲み干してから、やおらしかつめらしく語り出した。
「みはや」
「はい、なんでしょう那臣さん」
みはやも合わせて鯱張る。もっとも、相変わらずこちらは、どこかふざけた感じが否めない。
「昨夜言ったろ……出せ」
「言ったでしょう? 優秀で使い勝手のいい秘書兼忍者だって。主人を命の危険から遠ざけるのが、お仕事その一、です」
軽い音を立ててみはやが弾倉を抜く。
リュックのポケットからもう一つの弾倉を出して、銃に込めた。
「あの政治家さん、河原崎勇毅さん的には、やっぱり『守護獣』は都市伝説でしかなかったんですよ。いえ、ただの都市伝説にしておきたかったんですよね」
那臣を現在の境遇に追いやった相手、警察OBで現・国家公安委員長の河原崎勇毅の名前に、頬が、ちり、と反応する。
「たかが都市伝説、トイレの花子さんに、周りみんなが、そしてご自分もガクブルなのが馬鹿らしくて、しょせん裏社会の便利屋風情、さっさと主人ごと東京湾のお魚さんたちのエサにしちゃおうとした訳です。どうせ那臣さんは、いつか消すリスト筆頭者ですからね。
でも残念ながら『守護獣』は現実の存在です。主人を護り、主人の手足となり、主人の欲するものすべてを主人に捧げる……」
スライドを引く音が、薄闇の支配する路地に不気味に響く。
「那臣さんの望むものが『正義と秩序』であるなら、この人たちは世界から退場していただくべき方々です」
トリガーにかけようとした指を、那臣の静かな一喝が止めた。
「やめろ、みはや。殺すな」
決して激しい口調ではない。淡々と、だが厳しくみはやを律してくる。
みはやが軽く息をつく。
「どうしてですか那臣さん。この人たち、びっくりするくらい極悪人ですよ? このおじさんなんて本国に帰ったら死刑が五、六回じゃ済みません。そちらの人は日本人ですけど、ひょっとすると、近年殺した人数、日本記録保持者かもってくらいです」
「それでもだ。警察と……それから救急車を呼べ。間に合わんかもしれんがな」
「大丈夫でしょう、人間って、意外と保ちますから」
さらりと言い放つ。そしてもう一度溜息をついた。
「……それより、警察を呼んだら、それこそ、このおじさんたちはきれいに消されます。那臣さんを襲った事実、襲わせた事実ごとなかったことにされるんです。
そういうこともあるって、那臣さん、よくご存じじゃないですか」
みはやの言葉が心臓に突き刺さる。
那臣が追っていたあの事件は、事件ごと、なかったことにされた。
力を持つものは、持たざるものを如何様にも扱える。
この世界は、不条理なのだ。
那臣は拳を固く握りしめた。全身が震える。足を付け立つ地面が揺れる。
それでも。
背を伸ばし顔を上げる。みはやの瞳を、みはやの瞳に映る己をしっかりと見据えた。
「それでも、だ。
俺は警察官だ。法に従い、犯罪者を逮捕する。それがすべてだ。
……法なんぞクソとも思っちゃいない連中が、ごまんといることも判ってる。
そういう奴らこそ上に居て俺みたいな虫ケラを嘲笑ってることもな……。
…………だが。
曲げねえよ、それが俺の『正義』だ」
後になって、那臣はこの言葉を思い出し、あまりの青臭さに一人、赤面することになる。
そのとき一緒に蘇ってくるのは、みはやの、嬉しくて幸せで泣き出しそうな、全開に咲き誇った笑顔だった。
「……だから俺のベッドに潜り込んでくるのはやめろと言っただろうが」
また無意識にみはやの髪を梳きながら目覚めてしまった。その手触りが、やはり心地よいと感じてしまう自分に、少なからぬ背徳感を覚える。当のみはやは呑気なものだ。愛らしく開いた片手を口に当て、小さくあくびをする。
「おはようございます那臣さん、朝からカタいこと言いっこなし! ですよ?」
「朝晩関係ねえよ、夕べもちゃんと布団用意してやったじゃねえか。なんだって、わざわざ狭いところに潜り込んで来るんだ」
体格のよい那臣一人でも、安い折りたたみベッドは定員精一杯なのだ。いくらみはやが小柄とはいえ、ぎゅうぎゅう詰めであることこの上ない。いや問題はそこではなく。
「そもそも子どもとはいえ、お前一応女だろうが。男のベッドになんて潜り込んでくるな」
「では、何度でも確認しますが那臣さん、可愛いみはやちゃんに欲情、しちゃったりしますか? きゃ」
「し・な・い!」
「……地味に傷つきましたが、それならよいではありませんか。青少年の健全な育成上、男女同衾がよろしくないのは、不埒でえっちなあんなことやこんなことが行われてしまうからですよね? ならば全く!その気がない! と断言される那臣さんと、ただ一緒に寝ることに何の問題もありません。以上、証明終了」
「……………………腹減った」
「みはやちゃんの作った美味しい朝食を早く食べたい! ですよね? 合点承知の介です」
不毛な議論で、朝食前の僅かな備蓄エネルギーを使い果たしてしまった那臣は、ぐったりと布団にのめり込んだ。
『パートナーの胃袋をがっつり握る』は、やはり最強のスキルである。みはやは小さくガッツポーズをして、キッチンへ駆けていった。
そして悲しいことに、本日の朝食も大変旨い。出汁のきいた豆腐とわかめの味噌汁に、炊きたてのつやつやご飯、綺麗に巻かれた出汁巻き卵とふっくら焼いた鮭の切り身。和食派の那臣は、無心に何度もお替わりをかきこむ。
ぱちんと手を合わせ、お茶を一気に飲み干してから、やおらしかつめらしく語り出した。
「みはや」
「はい、なんでしょう那臣さん」
みはやも合わせて鯱張る。もっとも、相変わらずこちらは、どこかふざけた感じが否めない。
「昨夜言ったろ……出せ」
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