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第二章 刑事、再び現場へ赴く
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恭士は、JR亀戸駅に程近いコインパーキングに車を停めた。
車内でさんざん唸り、頭を抱えていた那臣には、やはりまだ恭士の言うところのさるお方と顔を合わせる決心がつかなかった。降りたとたん、目的地、亀戸商店街とは逆のJR亀戸駅方面へ、俯いたまま足を向けてしまったのだ。
特に焦る素振りもなく、恭士がその背中を追いかける。
「おい那臣よ、男らしくねえぞ……成敗って言うのは冗談だ。
……じいさん、お前のことすっげえ心配してた、会いに行ってやれ」
「……会えないですよ……俺に付き合ったせいで首にされたようなものだ。あと数ヶ月で定年だったってのに……」
「お前に付き合わされなくたって、一度事件を嗅ぎつけたら、最後まで喰らいついてたさ。あの警視庁一の頑固じじいが、自分の首がかかったくらいのことで、そう簡単にあきらめるもんか」
昭和の気骨を絵に描いたような、老捜査員の顔が頭をよぎる。
いつの間にか並んで歩き出した恭士が、つとめて明るく、那臣を突き落とした。
「本当の依頼主はじいさんじゃねえよ。あのおっかないばあさんに、那坊を連れて飯食いにこい、さもないと、なんて脅されてみろ。小心者の俺が逆らえる訳ねえだろうが」
「……まじっすか?」
今度こそ那臣は駅前の道端に沈没した。
歩道にいきなり座りこんだ那臣の前に相対して、いつの間に現れたのか、小さな体がちょこんとしゃがみこむ。地面に貼り付いた那臣の視界に、さらりと二房のつややかな黒髪が落ちてきた。
「おおっと、なにやらお困りですか那臣さん? なんでも解決! 便利屋美少女みはやちゃんの登場ですよ」
顔を上げると、みはやが両の手のひらで頬杖をついて、にこにこ微笑みながら那臣を見つめていた。
ただでさえげんなりしていたところだ。ツッコみどころを計りかね、どうでもいい指摘をしてしまう。
「……髪飾り、校則じゃ黒以外禁止って書いてあったよな」
みはやが着ているのは、明日から通う予定の中学の制服だ。黒のジャケットから大きめの白いスクエアタイプのセーラー襟を覗かせ、襟元の大きなリボンとスカートは赤いタータンチェック。以前からみはやが憧れていたというだけあって、確かに可愛らしいデザインだった。指定の鞄まで肩に掛けている。
先日、保護者として転入の手続きに行った際、受け取ってきた案内の冊子を、律儀にも熟読した那臣である。私立のお嬢様学校らしく、制服の着崩しや派手なアクセサリーの禁止など、随分細かい校則が定められていたのを覚えている。
「今日は通学じゃありません、あくまでプライベートです。那臣さんストーキング大作戦用戦闘服としてのセーラー服装備なので、オプションは、お気に入りの真っ白ふわふわイヤーマフで可愛くまとめてみました」
「……ストーカー規制法で、現行犯逮捕してやろうか、告訴も追完してやるぞ?」
「あれ、那臣さん法学部出身のくせに知らないんですか? セーラー服着用は、万能の違法性阻却事由なんですよ? 十八歳以下の美少女限定ですが、たいていのことは笑って許してもらえます」
「刑法に新しい条文が加わったとは知らなかったな」
「ただの法律解釈の問題でしょう。
永田町か隼町付近で、おじさん限定のアンケート取ってみるといいですよ。その解釈は常識だと思う、むしろ推奨するなんでも許す、が九割越えるんじゃないでしょうか」
(註:千代田区永田町には国会議事堂、同区隼町には最高裁判所がある)
二人が不毛な妄想刑法談義を繰り広げていると、一メートルほど上空から、苦笑混じりのツッコミが降ってきた。
「……どんな関係かは知らねえが、場所を変えないかお二人さん。歩道の真ん中だぞ?」
すかさずみはやが立ち上がり、恭士に、とびきり可愛らしく会釈してみせる。
「失礼しました。わたし、那臣さんの婚約者の、森戸みはやと言います。未来の夫がいつもお世話になってます!」
「違う!」
那臣の反論は、当然のようにみはやに、そして恭士にも無視された。
「こいつの師匠、倉田恭士だ。よろしくな、みはやちゃん。しっかし那臣もケダモノだな、中学生はヤバいだろ。
しかも藤桜学園とか超お嬢じゃん、地元の俺らですら、恐れ多くて、なかなか声掛けられなかったっつーのに」
「おや倉田さん、お近くの出身ですか?」
「おう、原宿だ。思春期男子高校生あるあるで、用もねえのに、よく駅のあたりをわざとらしく通りがかったりしたっけなあ。まあ、みはやちゃんほど可愛い娘はいなかったけどな」
「そうですか? そうですよねえ」
「聞けよ!」
ツッコミが悲壮感を帯びてくる。あまりイジリすぎては気の毒と、先に切り上げたのは、大人の恭士だった。もっとも、顔はまだ十分笑っていたが。
「妹……はいなかったよな、お前」
「……いとこ……ですよ」
嘘は言っていない、少なくとも戸籍上は。みはやから証拠を得意げに見せびらかされたから間違いない。
地方自治体と家庭裁判所発行の公的資料によると、まさしく那臣はみはやの従兄で、未成年後見人だ。もちろんその公的資料が真正なものなのかは、論を待たない。
最低限の説明で済ませようと思ったが、それはもちろん甘かった。
みはやが嬉しそうに腕を組んでくる。
「一昨日から同居中です! 倉田さん、よかったら遊びに来てくださいね。那臣さんにも大好評の手料理作ってお待ちしてます」
「そりゃ楽しみだ。よかったな那臣、可愛くて料理上手なイトコちゃんと同居できて。ま、一応警察官として忠告しておくが、間違った気は起こすんじゃないぞ?」
「それは困ります。間違ってもらうべく、日々毎分、せっせと可愛く誘惑してるんですよ?」
「同意かよ。じゃ、あと俺が言えることはこれくらいか。那臣、避妊だけはきちんとしろ」
「避……とかそもそも俺はロリコンじゃ……」
公衆の面前で絶叫するには、あまりにも赤面ものの台詞を慌てて飲み込む。
真面目な常識人ひとり対遊ぶ気満々の非常識人ふたりでは、最初から勝敗は見えている。低く唸りながら、敵にわか連合を睨みつける那臣に、みはやがまたにっこりと微笑んでみせた。
「さて、ひととおり那臣さんいじりを堪能したところで、そろそろ場所を移しますか。
目的地は亀戸商店街、古閑正太郎さんのお宅、でしたよね」
車内でさんざん唸り、頭を抱えていた那臣には、やはりまだ恭士の言うところのさるお方と顔を合わせる決心がつかなかった。降りたとたん、目的地、亀戸商店街とは逆のJR亀戸駅方面へ、俯いたまま足を向けてしまったのだ。
特に焦る素振りもなく、恭士がその背中を追いかける。
「おい那臣よ、男らしくねえぞ……成敗って言うのは冗談だ。
……じいさん、お前のことすっげえ心配してた、会いに行ってやれ」
「……会えないですよ……俺に付き合ったせいで首にされたようなものだ。あと数ヶ月で定年だったってのに……」
「お前に付き合わされなくたって、一度事件を嗅ぎつけたら、最後まで喰らいついてたさ。あの警視庁一の頑固じじいが、自分の首がかかったくらいのことで、そう簡単にあきらめるもんか」
昭和の気骨を絵に描いたような、老捜査員の顔が頭をよぎる。
いつの間にか並んで歩き出した恭士が、つとめて明るく、那臣を突き落とした。
「本当の依頼主はじいさんじゃねえよ。あのおっかないばあさんに、那坊を連れて飯食いにこい、さもないと、なんて脅されてみろ。小心者の俺が逆らえる訳ねえだろうが」
「……まじっすか?」
今度こそ那臣は駅前の道端に沈没した。
歩道にいきなり座りこんだ那臣の前に相対して、いつの間に現れたのか、小さな体がちょこんとしゃがみこむ。地面に貼り付いた那臣の視界に、さらりと二房のつややかな黒髪が落ちてきた。
「おおっと、なにやらお困りですか那臣さん? なんでも解決! 便利屋美少女みはやちゃんの登場ですよ」
顔を上げると、みはやが両の手のひらで頬杖をついて、にこにこ微笑みながら那臣を見つめていた。
ただでさえげんなりしていたところだ。ツッコみどころを計りかね、どうでもいい指摘をしてしまう。
「……髪飾り、校則じゃ黒以外禁止って書いてあったよな」
みはやが着ているのは、明日から通う予定の中学の制服だ。黒のジャケットから大きめの白いスクエアタイプのセーラー襟を覗かせ、襟元の大きなリボンとスカートは赤いタータンチェック。以前からみはやが憧れていたというだけあって、確かに可愛らしいデザインだった。指定の鞄まで肩に掛けている。
先日、保護者として転入の手続きに行った際、受け取ってきた案内の冊子を、律儀にも熟読した那臣である。私立のお嬢様学校らしく、制服の着崩しや派手なアクセサリーの禁止など、随分細かい校則が定められていたのを覚えている。
「今日は通学じゃありません、あくまでプライベートです。那臣さんストーキング大作戦用戦闘服としてのセーラー服装備なので、オプションは、お気に入りの真っ白ふわふわイヤーマフで可愛くまとめてみました」
「……ストーカー規制法で、現行犯逮捕してやろうか、告訴も追完してやるぞ?」
「あれ、那臣さん法学部出身のくせに知らないんですか? セーラー服着用は、万能の違法性阻却事由なんですよ? 十八歳以下の美少女限定ですが、たいていのことは笑って許してもらえます」
「刑法に新しい条文が加わったとは知らなかったな」
「ただの法律解釈の問題でしょう。
永田町か隼町付近で、おじさん限定のアンケート取ってみるといいですよ。その解釈は常識だと思う、むしろ推奨するなんでも許す、が九割越えるんじゃないでしょうか」
(註:千代田区永田町には国会議事堂、同区隼町には最高裁判所がある)
二人が不毛な妄想刑法談義を繰り広げていると、一メートルほど上空から、苦笑混じりのツッコミが降ってきた。
「……どんな関係かは知らねえが、場所を変えないかお二人さん。歩道の真ん中だぞ?」
すかさずみはやが立ち上がり、恭士に、とびきり可愛らしく会釈してみせる。
「失礼しました。わたし、那臣さんの婚約者の、森戸みはやと言います。未来の夫がいつもお世話になってます!」
「違う!」
那臣の反論は、当然のようにみはやに、そして恭士にも無視された。
「こいつの師匠、倉田恭士だ。よろしくな、みはやちゃん。しっかし那臣もケダモノだな、中学生はヤバいだろ。
しかも藤桜学園とか超お嬢じゃん、地元の俺らですら、恐れ多くて、なかなか声掛けられなかったっつーのに」
「おや倉田さん、お近くの出身ですか?」
「おう、原宿だ。思春期男子高校生あるあるで、用もねえのに、よく駅のあたりをわざとらしく通りがかったりしたっけなあ。まあ、みはやちゃんほど可愛い娘はいなかったけどな」
「そうですか? そうですよねえ」
「聞けよ!」
ツッコミが悲壮感を帯びてくる。あまりイジリすぎては気の毒と、先に切り上げたのは、大人の恭士だった。もっとも、顔はまだ十分笑っていたが。
「妹……はいなかったよな、お前」
「……いとこ……ですよ」
嘘は言っていない、少なくとも戸籍上は。みはやから証拠を得意げに見せびらかされたから間違いない。
地方自治体と家庭裁判所発行の公的資料によると、まさしく那臣はみはやの従兄で、未成年後見人だ。もちろんその公的資料が真正なものなのかは、論を待たない。
最低限の説明で済ませようと思ったが、それはもちろん甘かった。
みはやが嬉しそうに腕を組んでくる。
「一昨日から同居中です! 倉田さん、よかったら遊びに来てくださいね。那臣さんにも大好評の手料理作ってお待ちしてます」
「そりゃ楽しみだ。よかったな那臣、可愛くて料理上手なイトコちゃんと同居できて。ま、一応警察官として忠告しておくが、間違った気は起こすんじゃないぞ?」
「それは困ります。間違ってもらうべく、日々毎分、せっせと可愛く誘惑してるんですよ?」
「同意かよ。じゃ、あと俺が言えることはこれくらいか。那臣、避妊だけはきちんとしろ」
「避……とかそもそも俺はロリコンじゃ……」
公衆の面前で絶叫するには、あまりにも赤面ものの台詞を慌てて飲み込む。
真面目な常識人ひとり対遊ぶ気満々の非常識人ふたりでは、最初から勝敗は見えている。低く唸りながら、敵にわか連合を睨みつける那臣に、みはやがまたにっこりと微笑んでみせた。
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