18 / 95
第二章 刑事、再び現場へ赴く
3
しおりを挟む
恭士は警察内外を問わず非常に人脈が広く、また警視庁内の噂話にもやたらと詳しい。どこで仕入れてくるのか、社内恋愛事情のような小ネタから、警察全体を揺るがす幹部の汚職まで、なにかしらの情報を握っていたりする。例の事件についても、公に発表された以上の情報を把握しているに違いない。
那臣が口を開こうとすると、恭士は片手でそれを押しとどめ、ひとさし指を左右に格好つけて振ってみせた。
「おおっと、それ以上は聞かせるなよ。お前の事情は重すぎて、俺には向かないようだしな」
この男、社交的にみせかけて、実は相当冷めたところがあり、誰とも踏み込んだつきあいをしない。そのことを気取らせている者すらごく少数、という徹底した処世術だ。
だがそれは、けして人間嫌いという訳ではない。互いの存在とテリトリーを、他の誰よりも尊重しているからこそではないか。そう那臣は思っている。恭士のスタイルである、そのひんやりした他人との距離感を、那臣は密かに好ましく感じていた。
何故かは不明だが、那臣のことは気に入ってくれている様子で、那臣が警察内すべて敵に回したような現在でも、こうして、恭士としては相当踏み込んだ気遣いをしてくれる。
久しぶりに交わした、気が置けない相手との軽口に、今朝から張りつめていた緊張の糸をようやく緩め、大きく息をつく。
「では、それ以上は開示不可の極秘機密、ということでよろしくお願いします」
明るさを取り戻した那臣の口調に、恭士が吹き出す。
「……だからお前は、馬鹿の付くお人好しだって言うんだよ。最初っからこの頼りになる恭士先輩にすべてぶちまけて、助けて、ってお願いしてみりゃよかったんだ。仕方なく巻き込まれてやるか、一応考えてやらなくもなかったのに」
「……いや、それは……一応ですか。
……と言うか恭さんはどこまでご存じなんですか?」
「公式発表の内容以外何も知らないぞ?
お前が追ってた事件が、どうやら河原崎がらみの案件らしいとか、前園班長はもしかして自殺じゃなかったかもとか、お前に瞬殺された本店の奴ら三人は、実はお前を半殺しにしろと命令されてたらしいとか。そんなこと、俺が知るわけないだろうが」
「ほぼ完璧じゃないですか……いつもながら恭さん、どこからネタを仕入れて来るんですか……」
「おいおい答えを漏らすなよ。今のお前の台詞は空耳だ、俺は断じて聞いてない、聞いてないぞ?
……まあお前相手だし、ちょっとだけ手品の種明かしをしてやろうか。全部簡単な推理だよワトソン君。
ひとつ、本店上層部が総出で、いちヒラ捜査員を組織から抹殺しようとしている。そんな無茶をけしかけるのは、影の実力者、河原崎のおっさん以外存在しない。
ふたつ、前園は怖い物知らずの肝っ玉キャラと見せかけて、実は筋金入りの高所恐怖症だった。いくら発作的だろうと十七階の高さからロープなしバンジーは絶対無理、スタート台にも立てねえだろうな。
お前が追ってた事件、元はと言えば前園班が出るはずだったんだろ? なんかヤバいネタ掴んじまって、飛ばされたと見る方が自然だ。
みっつ、俺の一番弟子、館那臣は、正義のカラテマンだ。自分から進んで弱いものイジメをするわけがない。どうだ?」
最後の言葉に、那臣は軽く吹き出した。ちなみに弱いもの呼ばわりされた三人は、警備部の精鋭部隊、SATのつわものたちだった。那臣にあっさり返り討ちにされたうえに弱者のレッテルを貼られるとは、気の毒にも程がある。
はたと気付くと、車は新宿区外へと抜けるところだった。
「恭さん? 現場と反対方向じゃないですか。どこへ走ってるんですか?」
「被害者の足取りだろ? お前の言ったとおり、あのコンビニは、なんとなく立ち寄るには不自然な場所だ。かと言って、闇雲に現場へ向かっても無駄足を踏むだけだろうが。
うちの連中にスマホの通信履歴を調べさせてる。交友関係や周囲の聞き込みも、他の奴らがあたってるはずだ。参事官どのが動くのは、その報告が上がってきた後でも遅くはないさ」
「なら、いったいどこへ……」
ふいに運転席の恭士が表情を固くする。
僅かな沈黙ののち、独白のように低く呟いた。
「……悪いな那臣、実は俺は、さるお方の命令で動いてる。俺と一緒に来てもらうぞ」
瞬間、那臣の全身に緊張が走る。
味方だと見せかけておいて、実は恭士も刺客のひとりだったのか。
旧知の先輩のまさかの豹変に呆然とした表情の那臣を見遣ると、恭士は固く結んでいた唇を、笑いを堪えきれずにひくつかせた。
「連行先は亀戸商店街だ。きっちり成敗されてこい、骨は拾ってやる」
「……う……わ」
那臣は、今度は別の意味で頬をひきつらせ、ぶるりと全身を震わせることとなった。
那臣が口を開こうとすると、恭士は片手でそれを押しとどめ、ひとさし指を左右に格好つけて振ってみせた。
「おおっと、それ以上は聞かせるなよ。お前の事情は重すぎて、俺には向かないようだしな」
この男、社交的にみせかけて、実は相当冷めたところがあり、誰とも踏み込んだつきあいをしない。そのことを気取らせている者すらごく少数、という徹底した処世術だ。
だがそれは、けして人間嫌いという訳ではない。互いの存在とテリトリーを、他の誰よりも尊重しているからこそではないか。そう那臣は思っている。恭士のスタイルである、そのひんやりした他人との距離感を、那臣は密かに好ましく感じていた。
何故かは不明だが、那臣のことは気に入ってくれている様子で、那臣が警察内すべて敵に回したような現在でも、こうして、恭士としては相当踏み込んだ気遣いをしてくれる。
久しぶりに交わした、気が置けない相手との軽口に、今朝から張りつめていた緊張の糸をようやく緩め、大きく息をつく。
「では、それ以上は開示不可の極秘機密、ということでよろしくお願いします」
明るさを取り戻した那臣の口調に、恭士が吹き出す。
「……だからお前は、馬鹿の付くお人好しだって言うんだよ。最初っからこの頼りになる恭士先輩にすべてぶちまけて、助けて、ってお願いしてみりゃよかったんだ。仕方なく巻き込まれてやるか、一応考えてやらなくもなかったのに」
「……いや、それは……一応ですか。
……と言うか恭さんはどこまでご存じなんですか?」
「公式発表の内容以外何も知らないぞ?
お前が追ってた事件が、どうやら河原崎がらみの案件らしいとか、前園班長はもしかして自殺じゃなかったかもとか、お前に瞬殺された本店の奴ら三人は、実はお前を半殺しにしろと命令されてたらしいとか。そんなこと、俺が知るわけないだろうが」
「ほぼ完璧じゃないですか……いつもながら恭さん、どこからネタを仕入れて来るんですか……」
「おいおい答えを漏らすなよ。今のお前の台詞は空耳だ、俺は断じて聞いてない、聞いてないぞ?
……まあお前相手だし、ちょっとだけ手品の種明かしをしてやろうか。全部簡単な推理だよワトソン君。
ひとつ、本店上層部が総出で、いちヒラ捜査員を組織から抹殺しようとしている。そんな無茶をけしかけるのは、影の実力者、河原崎のおっさん以外存在しない。
ふたつ、前園は怖い物知らずの肝っ玉キャラと見せかけて、実は筋金入りの高所恐怖症だった。いくら発作的だろうと十七階の高さからロープなしバンジーは絶対無理、スタート台にも立てねえだろうな。
お前が追ってた事件、元はと言えば前園班が出るはずだったんだろ? なんかヤバいネタ掴んじまって、飛ばされたと見る方が自然だ。
みっつ、俺の一番弟子、館那臣は、正義のカラテマンだ。自分から進んで弱いものイジメをするわけがない。どうだ?」
最後の言葉に、那臣は軽く吹き出した。ちなみに弱いもの呼ばわりされた三人は、警備部の精鋭部隊、SATのつわものたちだった。那臣にあっさり返り討ちにされたうえに弱者のレッテルを貼られるとは、気の毒にも程がある。
はたと気付くと、車は新宿区外へと抜けるところだった。
「恭さん? 現場と反対方向じゃないですか。どこへ走ってるんですか?」
「被害者の足取りだろ? お前の言ったとおり、あのコンビニは、なんとなく立ち寄るには不自然な場所だ。かと言って、闇雲に現場へ向かっても無駄足を踏むだけだろうが。
うちの連中にスマホの通信履歴を調べさせてる。交友関係や周囲の聞き込みも、他の奴らがあたってるはずだ。参事官どのが動くのは、その報告が上がってきた後でも遅くはないさ」
「なら、いったいどこへ……」
ふいに運転席の恭士が表情を固くする。
僅かな沈黙ののち、独白のように低く呟いた。
「……悪いな那臣、実は俺は、さるお方の命令で動いてる。俺と一緒に来てもらうぞ」
瞬間、那臣の全身に緊張が走る。
味方だと見せかけておいて、実は恭士も刺客のひとりだったのか。
旧知の先輩のまさかの豹変に呆然とした表情の那臣を見遣ると、恭士は固く結んでいた唇を、笑いを堪えきれずにひくつかせた。
「連行先は亀戸商店街だ。きっちり成敗されてこい、骨は拾ってやる」
「……う……わ」
那臣は、今度は別の意味で頬をひきつらせ、ぶるりと全身を震わせることとなった。
0
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる