モリウサギ

高村渚

文字の大きさ
22 / 95
第二章 刑事、再び現場へ赴く

7

しおりを挟む
 憮然ぶぜんとした那臣を置いて、みはやは用意した手土産を古閑こがに差し出した。
那臣ともおみさんから誠意のブツは禁止されてしまいましたので、これはほんのご挨拶のお土産、です。不肖の従兄ですが、これからも那臣さんをよろしくお願いします」
 ぴっちり三つ指をついて深々と頭を下げる。
 あっけにとられていた古閑が、呵々かかと豪快に笑い出した。
「こりゃまた面白ぇ娘っ子だな。那臣よ、お前のいとこにしちゃ洒落ってもんがわかってるじゃねえか」
「お褒めにあずかり光栄です! お菓子、わたしが用意いたしました。早めに食べてくださいね?」
「ありがとよ嬢ちゃん。ここの栗餅は旨いんだ、嬢ちゃんも食べていきな」
 古閑が上機嫌で包みを開ける。
 と、餅をくるんだ紙と包装紙の間から、ぽとりと白い封筒が膝の上に落ちてきた。
「何だこりゃ」
 何気なく糊付けしていない封せん部分を広げた、古閑の手が止まる。
 瞬時に、低く唸った。
「……何だ、こりゃ」
 古閑の手にあるのは、某メガバンクの預金通帳だった。
 預金者の名義は古閑になっている。鋭く眼光を飛ばした先の那臣が息を呑む。その驚きと困惑の表情を見て、古閑がゆっくりとみはやに視線を戻した。
 みはやはあどけなく微笑んだまま、小首をかしげてみせる。
「お菓子の折り詰めの底には、お菓子でない何かいいものを入れておくのがお約束、ですよね? この前読んだ『公方様お忍び世直し旅草子』って本にそう書いてありましたから」
 古閑がいぶかしげに通帳の頁を繰る。その手より先に、みはやが説明を加える。
「来年三月末日までの基本給と諸手当、満期円満退職時の手当もろもろと、それを基準にこの先百歳までご健在と仮定して算定した年金総額、です。
 悪代官の陰謀に巻き込まれなかったらおじさんが本来貰えてたお金。
 きっちり一円単位まで計算しておきましたので、遠慮なくお納めください」
「みはや……あのなあ……」
 那臣は開いた口がふさがらなかった。
 確かに、不当な処分で古閑の退職金や年金が大幅に目減りしただろうことは、那臣がもっとも心を痛めていたことのひとつであった。
 しかしいったいどこからそんな大金を用立ててきたというのか。
「ホントは諸悪の根源の、あの政治家さんの懐から、耳を揃えてきっちりいただくのが筋というものなんですけど……」
「みはや! おま……」
 青くなった那臣の台詞を、みはやはにっこり笑って遮った。
「主人の那臣さんに、法令遵守をきつ~く言い渡されてますので、わたしがさくっと六分四十秒ほど働きまして、稼がせていただきました。あ、夕べは、時給分がっつりすぎるくらい差し引いても、超余裕でイイ感じに市場がきてましたので、ご心配なく」
 今度こそ那臣は、あんぐりと大口をあけることになった。
 まるでその場にいなかったかのように話を進められていた老人が、押し殺した声で笑う。
「主人……なるほどねえ……」
 古閑はどっかりと胡座あぐらを組み直し、天井を仰ぐ。
 開いた胸にすう、と、深く息を吸い込んだ。
「……『守護獣』、か……」
「……え? 古閑さん、何故その言葉を……?」
 まさか古閑の口からその言葉を聞かされるとは。那臣が、あまりの驚きに座布団から腰を浮かせる。
「……その顔は、図星ってぇ奴か……」
 古閑はそれから二度、ゆっくり息をつき、頬を歪め、片方の口角をわずかに上げた。
「……この商売、四十二年もやってんだ。耳に挟んだことくらいあらぁな。これと定めたご主人様の望むままに、どんな獲物でも狩ってくる猟犬……守護獣を得たものは世界を征す、なんてなあ。
 ……上の連中が、手のひら返したみてぇにお前を復職させたり、ありえねえ昇進をさせてみたり……恭に聞いた時、裏に何かあるたぁ思ったが、まさかあのお伽噺とぎばなしがほんとうで、しかも……」
 古閑がみはやに向き直る。
 守護獣という言葉すら初耳であった那臣とは違い、それがどのような働きをするのか、半信半疑とはいえ承知しているのであろう。
 恵まれた体格でないにもかかわらず武勇伝には事欠かない、警視庁きっての豪胆な男が、いま、孫ほどの年頃の少女に怯えている。
 まるで、真剣を構えた者と対峙するかのように全身を緊張させた古閑の眼光を、みはやはことさら軽やかに流す。そして、にっこりと微笑んでみせた。
 古閑が、脱力する。
「こんな可愛らしい嬢ちゃんが、ねえ……」
「……俺もびっくりだわ。本命説とはいえ、マジかよってな」
「……恭さん……は、やっぱりあっさり話について来てるんですね……」
 机に片肘をついたままはしもてあそんでいる恭士を、那臣が呆然ぼうぜんとして見った。
「ま、お前が復帰したって聞いた時点で、まさか、くらいはな。
 それくらいお前の復帰はありえないだろ。命令無視しまくったのも事実だし、同僚三人病院送りにしたのも事実だ。それが二階級特進付きで、平気な顔して捜査本部のひな壇に座ってやがる。
 他の奴なら上層部の誰かの弱みでも握って、脅しをかけたのかとでも思うが、お前だしな。
 だとしたら上層部、それも派閥関係なしに、警察庁全部が進んでお前の味方をしなきゃならんくらいの、途方もない理由ができたとしか考えられんだろうが。それに……」
 今度は恭士がそっとみはやの横顔を伺う。僅かに呼吸が乱れたのが見て取れた。
「……一昨日、警備部のOBと外国人が、瀕死の状態で谷中の住宅街に転がってたってえの、お前ん家の近所だろ? 匿名の通報があったとか聞いたけど、あれは……ってことかよ」
「流石ですよ、恭さん……」
「ですねえ、那臣さんの尊敬するお師匠だけあります。という方なのでまあいずれバレちゃうなら今ついでに、です。
 古閑さんに嘘をつくのは、那臣さん的にNGでしょうから最初から情報オープンです。
 ……で、よろしいですか?」
 みはやが湯飲みを両手で包んで、涼しい顔で茶を啜った。
 そこへ威勢よく暖簾を跳ね上げて、女将が食事を運んでくる。
「はい、お待ち! ……あんたたち皆して何青い顔してんのさ? ほらほら、腹に旨いもの入れて元気出しなって!」
「うわあ~、美味しそうです! 手伝いますね、おばさん」
「ありがとよぉ~、ほらほら男衆も、か弱い女の子ばっかりに働かせてんじゃないよ!」
「かよわい……ねえ」
 ほぼ同時に、男三人が嘆息した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...