モリウサギ

高村渚

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第二章 刑事、再び現場へ赴く

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「……何だ? その会員権詐欺みたいなメールは」
「いや、会員権詐欺そのものじゃないすかね」
 捜査本部に戻った那臣ともおみと恭士を待っていたものは、被害者の怪しげな通信履歴だった。
 ひとりの捜査員が、軽く芝居がかった口調で、プリントアウトされた文章を読みあげる。
「おめでとうございます! ラッキーな貴方様に、あのハワイ超高級プライベートリゾートホテルの会員株購入権が当たりました! 実費負担たったの九万八千円で、憧れの天国の楽園をひとりじめ! 今すぐこちらまで……で、クリックした、と」
 いかにもな、軽い絵文字満載のテキスト本文に、フリーメールのアドレスがリンク先だ。誰が見ても怪しい、詐欺まがいのものにしか見えないだろう。
「こりゃまた……今どき、こんなわっかりやす~いお誘いに乗っちゃったわけだ、被害者のお嬢さんは」
 手渡された資料を一見した恭士も呆れ顔だ。
「旅行代理店から送られてきたメールに、本日中……翌日の取引開始時刻前に、手付け金三万円を指定口座に振り込むよう指示されてますね。駅前方面にも二十四時間開いてるATMはありますが、彼女が預金口座を持っている東部銀行の支店が犯行現場の路地を抜けたところにあり、二十四時間使えるATMもあります。東部同士なら手数料もかからない、それで多少不便でもそちらに向かったのでは」
「……で、途中の現場で刺された。その会社と今回の犯行に関係はないだろうな」
 別の捜査員が付け加える。
「メールを送った業者『王様の休日』はこっちで当たったよ……といっても、やはり業者とは名ばかりの個人のサイドビジネスだったがね。
 自動送信の広告メールと、サイトの契約ページでのやりとりなんで、特に被害者との間にトラブルがあったわけではなさそうだなあ。実際、調べに応じた『王様の休日』の代表者、長谷翔吾も、データの上でしか被害者原口のことは知らないとさ。引き続き裏は取るが、今のところ、長谷と原口莉愛りあの間に、特別な関係はなさげだな。
 即日手付けを振り込めとか、熟慮させない手法もいかがなものかだし、サイトに上げてある規約をよーく読むと、豪華施設はほぼ利用不可能な、絵に描いたもちの会員権だが、契約自体が違法とまでは言えねえだろうなあ……せいぜい消費生活センターの苦情案件といったところだろ」
「……詐欺に引っかかりにいく途中で、強盗殺人に当たっちゃったってことっすか……その、お気の毒に」
「莉愛ちゃん、顔は可愛いんすけどねえ……かなり残念な感じっすね」
 情報を共有する捜査員たちの表情も、どことなく微妙だ。
 非道な犯罪に対していきどおる気持ちはもちろんあるのだが、それと同時に、もう少し警戒心を持ち合わせてくれていれば、と被害者をさとしたい心境になるのは仕方のないことかもしれない。
 キャバクラの紹介サイトに上がっていた写真では、目鼻立ちのくっきりとしたなかなかの美女である被害者が、その自慢の胸を強調したポーズで笑顔を振りまいている。いかにもあまり物事を深く考えなさそうな、そのあっけらかんとした表情に目を遣りながら、皆一様に溜息をついた。
 ずっと無言で彼らの会話を聞いていた那臣が、コピーされた資料に視線を落としたまま口を開く。
「富田さんと市野瀬は、スマホの方の担当でしたね、他に判明したSNSや、メールのやりとりは……」
 集まっていた数人が、一斉にびくりと反応する。この危険人物にどう接したらよいものか戸惑っている様子が手に取るようにわかる。
 うっかり班長時代の口調で報告を求めてしまった。現在の立ち位置を読めない自分のうかつさに、那臣は内心で盛大に溜息をつく。
 恭士が、周りの寒々しい空気に全く気付いていない体を装って応えてくれた。
「市野瀬、他の履歴も拾ってあんだろ?」
 那臣も何度か顔を合わせたことのある新宿中央署の捜査員、市野瀬が、おたおたと資料を差し出した。
「……参事官、主任、原口莉愛の契約プロバイダから提出された通信履歴はこちらです。犯行日前二週間分ですが、利用したのは友人らしき人物とのSNSとゲーム、ショッピングサイトくらいですね。
 SNS上の会話もざっと見ましたが、今のところ特に本件に関係すると思われるメッセージは見あたりませんでした。相手の友人についてはこれから当たります。
 あと、この契約をした後、王様の休日のサイトからリンクされた、銀行ATMの地図情報へアクセスしています。振り込みの便宜を図るため、契約終了メッセージ画面にリンクを設定したそうです。これは長谷にも確認しました」
 若い捜査員は、恭士の方へ向かい報告しながら、こっそりと那臣の顔を伺っている。それをよく承知のうえで、恭士は固く義務的な声音をつくった。
「……だそうです。他になにかお尋ねになりたいことは?」
「いえ、結構です。引き続き各自捜査に当たってください」
「このあと参事官のご予定は? もし車が必要なら、
 恭士はこのあと那臣の捜査に同行するつもりはない、他の捜査員は同行できるはずがない。
 つまりこれは恭士からの退場の指示ということだ。
 那臣は恭士に軽く視線で了解の合図を送った。
「自分は所用があるので一旦本庁へ戻ります。あとはよろしくお願いします」
 一同が無言で那臣に礼をし、送り出す。
 しんとした捜査本部に、今まで全身全霊で自ら空気になりきっていた大野管理官が、こらえきれずうっかり漏らした安堵あんどの溜息が響いた。
 背後で、恭士が吹き出す寸前で、腹筋と頬の筋肉を酷使して我慢したのが判った。


 新宿中央警察署の正面玄関を出た那臣は、大きく伸びをした。
 親しい人たちとの時間で多少なりとも復活したはずの心身が、またぐったりと疲れていた。
(こんな調子で、この先保つのか俺……)
 乾いた風が、すれ違いざま軽く背を打つ。
 そのくらいのことで、弱気の虫が密かに頭をもたげる。
 好きで就いた仕事だ、性にも合っていると思う。激務には慣れているし、多少の人間関係の軋轢あつれきは、どの職場でもあるものだ。
 だがこの周り中すべて敵といった居心地の悪さは、またなんともいえないものがあった。
 一度は組織から抹殺しようとしておいて、今度はみずからの利益になるからとあがたてまつる、そんな奴らのいいように扱われている現状も、考えてみれば馬鹿馬鹿しい。
 あのときの自分の行動が間違ったものだったとは決して思わない。
 だがその結果、職場の仲間、誰からもうとまれ、親しい人たちには負担を強いてばかりだ。
 そんな状況となってしまった以上、いっそきっぱりと警察を辞めてしまったほうがよいのかもしれない。そんなことを考えて晴れすぎた空を仰ぐ。
 その瞬間、軽い衝撃を覚え、かっくりと那臣のひざが落ちた。
「……なっ……!」
 
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