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第二章 刑事、再び現場へ赴く
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「まったく、とんだ裏事情があったもんだ……。
ってことは、その年下の彼氏を付け狙ってた俺は……」
「はい、正解です。那臣さんを殺すリスト筆頭に挙げてる方は、メンツをつぶされそうになったお父様の河原崎勇毅さんだけじゃありません。
むしろ感情的には、あたしのダーリンをいじめるなんて許せな~い!の、緑川紗矢歌さんのほうが、殺意が強いくらいでしょう。
ファンタステイ新宿ビルの警備室に、指名手配犯館那臣、報奨金上限なし生死問わず、むしろ見つけたら即射殺せよ!くらいのポスターが貼ってあったりしてもおかしくありません。
ね? 変装して潜入捜査して正解だったでしょ?」
「あれを変装というならな。それ以前になぜわざわざそんな場所に姿を晒しに行った?」
「おやおや、らしくありませんねえ」
おどけた仕草でみはやは軽く目を閉じ、また見開いた。
みはやの淡い黒の瞳が那臣を映すと、深く暗い銀の色に変わる。その銀は透明に凪いで、無慈悲な鏡となる。
「遠くから尚毅さんの幸せをお祈りしちゃってよろしいのですか、那臣さん?」
ふいに横っ面を殴られた。
殴ったのは、鏡に映し出された自分だ。
(……いいんです、もう)
白い光景が脳裏で点滅する。
静かに微笑む男の白い頬と、閉じられた白いカーテン。小さな庭に揺れていた白い秋桜の花弁。
(何もなかったんです、何も……)
錆びた門扉が、きいと鳴いて閉まる。
割れるほど噛みしめた奥歯がぎしぎしときしむ音と、隣に立つ古閑が力なく肩を叩いてきた音。
何もなかったと、どうして言えるだろう。そこに確かにあったささやかな幸せを、すべて奪われたというのに。
だが犯罪は、暴かれねば無きものと同然だ。
加害者も、事件現場も、すべて完璧に隠匿され何一つの証拠も挙げられなければ、そこには傷ついた被害者がただ残される。
そして何一つの証拠も挙げられなかったのは、捜査員であった己だ。
「那臣さんがお望みなら、古閑さんへそうしたように、被害者の彼女とご家族のためにいくらでもお金を用意します。
良いお医者様だって探しますし、どこかゆっくり静養できる場所の手配もします。
……でも那臣さんができることは、たぶん違いますよね」
みはやが低く囁く。
その声は、那臣が内に閉じこめ置き去りにしようとしていた問いそのものだった。
彼らは諦め忘れなければ、この先、生きていくことができない。
だが己は諦め忘れ去って、この先、生きていくことができるのか。
たったひとつのシンプルな答えを、那臣はようやく思い出した。
「……俺は、警察官だ。犯罪者を逮捕する、俺に出来ることはそれだけだ」
那臣の姿を映し出すみはやも、ゆっくりと頷いてみせる。
「では、改めてお仕事の時間、ですね」
つい、と、みはやの指先が空を指す。
「あの難攻不落の最上階は、緑川夫妻の持ち物とはいえ、事実上、紗矢歌さんのプライベートエリアです。が、いかに彼女が有名実業家とはいえ、一個人の私室にあれだけの警備は不自然だとは思いませんか?」
緑川紗矢歌は仮にも有名企業のトップだ。仕事上の重要機密をいくらでも抱えているだろう。私室といっても専用オフィスということなら、情報漏洩をおそれて厳重な警備体制を敷いているという理屈は通る。
しかしみはやは、ファンタステイ新宿最上階にて、緑川紗矢歌が会社としてではなく個人名で、金にあかせた豪華な内装工事を発注していたという情報を掴んだのだという。
「施工業者には、VIPをもてなすためのサロンだと説明していたそうですが、果たして本当の用途はなんなんでしょうねえ」
少し歩きませんか、と、みはやは立ち上がった。
那臣も後に続いて歩き出す。
「外にバレたら不都合な使い方をしている、そう見るのが自然だな。客がVIPなのは本当かもしれないが、そいつら相手に公にできない接待をする秘密クラブか、違法カジノか……そしていかにもそんな使い方を好みそうな尚毅が紗矢歌の愛人だとしたら……だが、あのビルの建築当時、尚毅はまだ十七、八歳だろう。まあ、その、未成年だろうが、当時からそういう関係にあったとしてもおかしくはない……いや待てよ」
言葉を切って思考を巡らす。
法に触れる方法で資金を調達する、それはどちらかといえば父親の方の常套手段ではなかったか。
「……むしろ勇毅が主導して、秘密クラブを開設するノウハウを教え、運営を親類の紗矢歌と、それから息子に任せる。その可能性もあると見るべきなんじゃないか」
みはやが目を見開き、ぽん、と手を打つ。
「おお、なるほどです。勇毅さんの得意技は、その手の業界の方々と仲良しさんになって、なにかとお目こぼしする代わりになにかと見返りをいただく、でしたよね。
お付き合いの過程で、その手の業界の方々のビジネスモデルを参考に、ご自分でもナイショのサイドビジネスを始めちゃおっかな、なんてお考えになったのかもしれません」
生臭さにいささかうんざりして顔をしかめる。
だが、この推論は十分にありえる話だ。
河原崎勇毅は警察庁を退職してしばらくしたのち、二年ほど天下り先の警備会社の役員を務め、その後政治家へと転身した。警備業界とその関連団体の支援を受けて衆議院議員選挙で当選し、以来、国会議員として着実に党内での地位を上げてきている。
体育会系の豪快な性格で、元キャリアらしく頭も切れる。面倒見がよいため警察内部にも勇毅を慕うものは多い。
ある意味政治家向きの人間であるが、問題は普通の政治家以上に裏社会との親和性が高いところだ。
警察庁在職時から裏社会との黒い噂が絶えず、選挙の際も、裏社会から多額の資金が、役員を務めていた警備会社や商社など表の団体を経由して、後援会に流れ込んでいたようだ。違法な選挙資金を取り締まるべき捜査第二課の課長からして河原崎一派である、まともな捜査は期待できまい。
ってことは、その年下の彼氏を付け狙ってた俺は……」
「はい、正解です。那臣さんを殺すリスト筆頭に挙げてる方は、メンツをつぶされそうになったお父様の河原崎勇毅さんだけじゃありません。
むしろ感情的には、あたしのダーリンをいじめるなんて許せな~い!の、緑川紗矢歌さんのほうが、殺意が強いくらいでしょう。
ファンタステイ新宿ビルの警備室に、指名手配犯館那臣、報奨金上限なし生死問わず、むしろ見つけたら即射殺せよ!くらいのポスターが貼ってあったりしてもおかしくありません。
ね? 変装して潜入捜査して正解だったでしょ?」
「あれを変装というならな。それ以前になぜわざわざそんな場所に姿を晒しに行った?」
「おやおや、らしくありませんねえ」
おどけた仕草でみはやは軽く目を閉じ、また見開いた。
みはやの淡い黒の瞳が那臣を映すと、深く暗い銀の色に変わる。その銀は透明に凪いで、無慈悲な鏡となる。
「遠くから尚毅さんの幸せをお祈りしちゃってよろしいのですか、那臣さん?」
ふいに横っ面を殴られた。
殴ったのは、鏡に映し出された自分だ。
(……いいんです、もう)
白い光景が脳裏で点滅する。
静かに微笑む男の白い頬と、閉じられた白いカーテン。小さな庭に揺れていた白い秋桜の花弁。
(何もなかったんです、何も……)
錆びた門扉が、きいと鳴いて閉まる。
割れるほど噛みしめた奥歯がぎしぎしときしむ音と、隣に立つ古閑が力なく肩を叩いてきた音。
何もなかったと、どうして言えるだろう。そこに確かにあったささやかな幸せを、すべて奪われたというのに。
だが犯罪は、暴かれねば無きものと同然だ。
加害者も、事件現場も、すべて完璧に隠匿され何一つの証拠も挙げられなければ、そこには傷ついた被害者がただ残される。
そして何一つの証拠も挙げられなかったのは、捜査員であった己だ。
「那臣さんがお望みなら、古閑さんへそうしたように、被害者の彼女とご家族のためにいくらでもお金を用意します。
良いお医者様だって探しますし、どこかゆっくり静養できる場所の手配もします。
……でも那臣さんができることは、たぶん違いますよね」
みはやが低く囁く。
その声は、那臣が内に閉じこめ置き去りにしようとしていた問いそのものだった。
彼らは諦め忘れなければ、この先、生きていくことができない。
だが己は諦め忘れ去って、この先、生きていくことができるのか。
たったひとつのシンプルな答えを、那臣はようやく思い出した。
「……俺は、警察官だ。犯罪者を逮捕する、俺に出来ることはそれだけだ」
那臣の姿を映し出すみはやも、ゆっくりと頷いてみせる。
「では、改めてお仕事の時間、ですね」
つい、と、みはやの指先が空を指す。
「あの難攻不落の最上階は、緑川夫妻の持ち物とはいえ、事実上、紗矢歌さんのプライベートエリアです。が、いかに彼女が有名実業家とはいえ、一個人の私室にあれだけの警備は不自然だとは思いませんか?」
緑川紗矢歌は仮にも有名企業のトップだ。仕事上の重要機密をいくらでも抱えているだろう。私室といっても専用オフィスということなら、情報漏洩をおそれて厳重な警備体制を敷いているという理屈は通る。
しかしみはやは、ファンタステイ新宿最上階にて、緑川紗矢歌が会社としてではなく個人名で、金にあかせた豪華な内装工事を発注していたという情報を掴んだのだという。
「施工業者には、VIPをもてなすためのサロンだと説明していたそうですが、果たして本当の用途はなんなんでしょうねえ」
少し歩きませんか、と、みはやは立ち上がった。
那臣も後に続いて歩き出す。
「外にバレたら不都合な使い方をしている、そう見るのが自然だな。客がVIPなのは本当かもしれないが、そいつら相手に公にできない接待をする秘密クラブか、違法カジノか……そしていかにもそんな使い方を好みそうな尚毅が紗矢歌の愛人だとしたら……だが、あのビルの建築当時、尚毅はまだ十七、八歳だろう。まあ、その、未成年だろうが、当時からそういう関係にあったとしてもおかしくはない……いや待てよ」
言葉を切って思考を巡らす。
法に触れる方法で資金を調達する、それはどちらかといえば父親の方の常套手段ではなかったか。
「……むしろ勇毅が主導して、秘密クラブを開設するノウハウを教え、運営を親類の紗矢歌と、それから息子に任せる。その可能性もあると見るべきなんじゃないか」
みはやが目を見開き、ぽん、と手を打つ。
「おお、なるほどです。勇毅さんの得意技は、その手の業界の方々と仲良しさんになって、なにかとお目こぼしする代わりになにかと見返りをいただく、でしたよね。
お付き合いの過程で、その手の業界の方々のビジネスモデルを参考に、ご自分でもナイショのサイドビジネスを始めちゃおっかな、なんてお考えになったのかもしれません」
生臭さにいささかうんざりして顔をしかめる。
だが、この推論は十分にありえる話だ。
河原崎勇毅は警察庁を退職してしばらくしたのち、二年ほど天下り先の警備会社の役員を務め、その後政治家へと転身した。警備業界とその関連団体の支援を受けて衆議院議員選挙で当選し、以来、国会議員として着実に党内での地位を上げてきている。
体育会系の豪快な性格で、元キャリアらしく頭も切れる。面倒見がよいため警察内部にも勇毅を慕うものは多い。
ある意味政治家向きの人間であるが、問題は普通の政治家以上に裏社会との親和性が高いところだ。
警察庁在職時から裏社会との黒い噂が絶えず、選挙の際も、裏社会から多額の資金が、役員を務めていた警備会社や商社など表の団体を経由して、後援会に流れ込んでいたようだ。違法な選挙資金を取り締まるべき捜査第二課の課長からして河原崎一派である、まともな捜査は期待できまい。
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