29 / 95
第二章 刑事、再び現場へ赴く
14
しおりを挟む
「では続けましょうか。この図面を手に入れたお店は、けっこうがめつい対価と引き替えですが、重要度機密度信用度、そろって三つ星の優良店です。まずガセは混じってません」
「がめつい対価ね。甲斐性のない主人で申し訳ないが、経費では落とせないぞ」
みはやはまたころころと笑って手を振る。
「やだなあ那臣さん、そんな心配は一切ご無用ですよ。逆に主人の寂しい懐にこっそり愛情とお金を忍ばせておくのが、デキる美少女秘書ってものです。
那臣さんがお望みなら、○ュンク堂池袋店や紀○國屋新宿店、店ごとまとめてお買い上げする程度の資金なら、すぐに調達させていただきますよ?」
「……その具体的かつ魅力的すぎるたとえはやめてくれ」
真剣に、くらりとめまいに襲われた那臣である。
しかし、たとえたみはや自身まで、どうやら相当ショックを受けたらしい。
眉間にしわを寄せ、ぶんぶんと首を振ってみせた。
「……ええ、わたしも言ってから後悔しました。守護獣たるもの私の欲望の赴くままの行動は厳に慎むべき……とはいえ、主人の那臣さんもノリノリでしょうからねえ……この主従コンビだと本気で辺り構わず、都内大型書店、総買収総私物化を、嬉々として行ってしまいそうです……」
「……何度妄想したかなあ……紀伊○屋の中に居を構え、昼夜構わず読書三昧……新刊書は当然発売日前に読み放題……一生かかっても読み切れない、あの棚もこの棚も端から端まで俺の本……」
「……やめてください那臣さん……そんなこと言われたらわたし、国立国会図書館ジャックしちゃいますよ……チープなトンデモ本も秘蔵の稀覯本も、この日本で発行される本は、すべてわたしに捧げられる本です……」
重度の読書中毒主従は、(おもにみはやが)その気になれば手に入れられるのだと知ってしまった幸せすぎる妄想と、奇跡的に残っていた良心を総動員して、かろうじて我に返った現実との落差に、ただならぬダメージを受けた。
ダンジョン突入以前、戦闘もしていないのに、ライフはゼロ寸前だ。
まるで人生が終わったかのように、虚ろな目で並んで肩を落とす二人を、通りすがりの客がいぶかしげに眺め、通り過ぎていく。
気力を振り絞って、那臣がみはやの背を叩いた。
「……ここ、怪しい行動をしちゃダメなエリアだったんじゃないか?
場所を移すぞ。歩けるか、みはや」
「……ええ、思いっきり怪しいですねわたしたち……早く地上に出ましょう、太陽の光を浴びましょう、煩悩を落とすんです……」
「……ったく、何しに来たんだか」
ビルを出て、外の雑多な生活の臭いが混じった空気を吸うと、二人はようやく正気に戻った。
みはやが、まだ少し青い顔で両肩を抱いて身震いし、歩道脇の煉瓦作りの植え込みによろけるように腰を落ろす。
そのまま腕を組んでしかつめらしく唸った。
「……だから先日来のデートでも念入りに書店をコースから外したというのに……いけませんねえ、こと本の話になると、いろいろ人として大切なことを躊躇なく蹴り飛ばしてしまいそうになります」
「お互いに、な」
那臣も隣に腰を下ろし、同じ苦悩のポーズを取る。
そして顔を見合わせて、二人で笑った。
そうしている間にも、通りに面した一階入り口へ、次々と客が飲み込まれていく。
先程目を通したフロアガイドによると、一階にはいかにも女性客に受けそうな、健康志向のハーブや雑穀を扱うショップや、カフェが入っているようだ。やはり、女性客がほとんどである。
まだ半ば呆けた声で、那臣が月並みな言葉をつくった。
「……しっかし繁盛ってるなあ……これだけ客が入ってるんだ、さぞかし儲かってるんだろうなあ……」
「……儲かってますよお……ミッドロケーションプランニングは、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業さんですからねえ。選び抜かれたテナントはもちろん、オーナーの緑川ご夫妻の懐にもがっぽがっぽ入っちゃってます。
そしてそのざっくざくのお金さんが、紗矢歌さんから、可愛い尚毅さんに流れているんでしょう。紗矢歌さんは尚毅さん激らぶなので、貢ぐお金もハンパないみたいですねえ……」
「ふーん……ん?」
みはやのテンションが七割減だったせいで、うっかり聞き流すところだった。
それこそ今日ここへやってきた本題、キーパーソンの名前である。
隣で口に手を当て、生あくびをするみはやに向き直る。
「……それは、確かな話なのか?」
みはやが視線だけ那臣に投げて寄越す。
態度はだらけたままだが、その瞳の光は、すでにあの物騒な獣だ。
「……ちょっと待て。紗矢歌は尚毅を子ども代わりに可愛がってたんじゃなく、そういう関係なのか?」
「紗矢歌さんは三十八歳、まだまだ女を捨てる年齢ではありません。というかむしろハタチの彼氏ができてからの方が綺麗になったと、とある筋では評判です」
どうにも生臭い話になってきた。
那臣が尚毅を追っていた時に緑川紗矢歌の名前は挙がってこなかったが、みはやの情報だ。確かなものなのだろう。
僅かに首をひねる仕草から察したのか、みはやがちょっと笑って解説を加えた。
「那臣さんが、がっつり尚毅さんとおつきあいしていた時期、ちょうど紗矢歌さんは事業拡大のため、旦那様と一緒に海外を飛び回っておいででした。
そうでなくともナイショのいけない関係です。お互い周囲にはそれなりに気を使っていたみたいですし、那臣さんがいかに敏腕刑事さんとはいえ、すぐには探り当てられなくても仕方ありません」
那臣は低く唸った。
紗矢歌が尚毅の行状をどこまで把握しているかは判らない。しかし、あの凄惨な監禁暴行事件を起こしたその足で、不倫のパトロンとよろしく付き合っていたのなら、相当な鬼畜だ。
「がめつい対価ね。甲斐性のない主人で申し訳ないが、経費では落とせないぞ」
みはやはまたころころと笑って手を振る。
「やだなあ那臣さん、そんな心配は一切ご無用ですよ。逆に主人の寂しい懐にこっそり愛情とお金を忍ばせておくのが、デキる美少女秘書ってものです。
那臣さんがお望みなら、○ュンク堂池袋店や紀○國屋新宿店、店ごとまとめてお買い上げする程度の資金なら、すぐに調達させていただきますよ?」
「……その具体的かつ魅力的すぎるたとえはやめてくれ」
真剣に、くらりとめまいに襲われた那臣である。
しかし、たとえたみはや自身まで、どうやら相当ショックを受けたらしい。
眉間にしわを寄せ、ぶんぶんと首を振ってみせた。
「……ええ、わたしも言ってから後悔しました。守護獣たるもの私の欲望の赴くままの行動は厳に慎むべき……とはいえ、主人の那臣さんもノリノリでしょうからねえ……この主従コンビだと本気で辺り構わず、都内大型書店、総買収総私物化を、嬉々として行ってしまいそうです……」
「……何度妄想したかなあ……紀伊○屋の中に居を構え、昼夜構わず読書三昧……新刊書は当然発売日前に読み放題……一生かかっても読み切れない、あの棚もこの棚も端から端まで俺の本……」
「……やめてください那臣さん……そんなこと言われたらわたし、国立国会図書館ジャックしちゃいますよ……チープなトンデモ本も秘蔵の稀覯本も、この日本で発行される本は、すべてわたしに捧げられる本です……」
重度の読書中毒主従は、(おもにみはやが)その気になれば手に入れられるのだと知ってしまった幸せすぎる妄想と、奇跡的に残っていた良心を総動員して、かろうじて我に返った現実との落差に、ただならぬダメージを受けた。
ダンジョン突入以前、戦闘もしていないのに、ライフはゼロ寸前だ。
まるで人生が終わったかのように、虚ろな目で並んで肩を落とす二人を、通りすがりの客がいぶかしげに眺め、通り過ぎていく。
気力を振り絞って、那臣がみはやの背を叩いた。
「……ここ、怪しい行動をしちゃダメなエリアだったんじゃないか?
場所を移すぞ。歩けるか、みはや」
「……ええ、思いっきり怪しいですねわたしたち……早く地上に出ましょう、太陽の光を浴びましょう、煩悩を落とすんです……」
「……ったく、何しに来たんだか」
ビルを出て、外の雑多な生活の臭いが混じった空気を吸うと、二人はようやく正気に戻った。
みはやが、まだ少し青い顔で両肩を抱いて身震いし、歩道脇の煉瓦作りの植え込みによろけるように腰を落ろす。
そのまま腕を組んでしかつめらしく唸った。
「……だから先日来のデートでも念入りに書店をコースから外したというのに……いけませんねえ、こと本の話になると、いろいろ人として大切なことを躊躇なく蹴り飛ばしてしまいそうになります」
「お互いに、な」
那臣も隣に腰を下ろし、同じ苦悩のポーズを取る。
そして顔を見合わせて、二人で笑った。
そうしている間にも、通りに面した一階入り口へ、次々と客が飲み込まれていく。
先程目を通したフロアガイドによると、一階にはいかにも女性客に受けそうな、健康志向のハーブや雑穀を扱うショップや、カフェが入っているようだ。やはり、女性客がほとんどである。
まだ半ば呆けた声で、那臣が月並みな言葉をつくった。
「……しっかし繁盛ってるなあ……これだけ客が入ってるんだ、さぞかし儲かってるんだろうなあ……」
「……儲かってますよお……ミッドロケーションプランニングは、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの優良企業さんですからねえ。選び抜かれたテナントはもちろん、オーナーの緑川ご夫妻の懐にもがっぽがっぽ入っちゃってます。
そしてそのざっくざくのお金さんが、紗矢歌さんから、可愛い尚毅さんに流れているんでしょう。紗矢歌さんは尚毅さん激らぶなので、貢ぐお金もハンパないみたいですねえ……」
「ふーん……ん?」
みはやのテンションが七割減だったせいで、うっかり聞き流すところだった。
それこそ今日ここへやってきた本題、キーパーソンの名前である。
隣で口に手を当て、生あくびをするみはやに向き直る。
「……それは、確かな話なのか?」
みはやが視線だけ那臣に投げて寄越す。
態度はだらけたままだが、その瞳の光は、すでにあの物騒な獣だ。
「……ちょっと待て。紗矢歌は尚毅を子ども代わりに可愛がってたんじゃなく、そういう関係なのか?」
「紗矢歌さんは三十八歳、まだまだ女を捨てる年齢ではありません。というかむしろハタチの彼氏ができてからの方が綺麗になったと、とある筋では評判です」
どうにも生臭い話になってきた。
那臣が尚毅を追っていた時に緑川紗矢歌の名前は挙がってこなかったが、みはやの情報だ。確かなものなのだろう。
僅かに首をひねる仕草から察したのか、みはやがちょっと笑って解説を加えた。
「那臣さんが、がっつり尚毅さんとおつきあいしていた時期、ちょうど紗矢歌さんは事業拡大のため、旦那様と一緒に海外を飛び回っておいででした。
そうでなくともナイショのいけない関係です。お互い周囲にはそれなりに気を使っていたみたいですし、那臣さんがいかに敏腕刑事さんとはいえ、すぐには探り当てられなくても仕方ありません」
那臣は低く唸った。
紗矢歌が尚毅の行状をどこまで把握しているかは判らない。しかし、あの凄惨な監禁暴行事件を起こしたその足で、不倫のパトロンとよろしく付き合っていたのなら、相当な鬼畜だ。
0
あなたにおすすめの小説
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる