モリウサギ

高村渚

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第四章 刑事の元へ、仲間が集う

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 警視庁刑事部参事官館那臣たちともおみは、平凡な一庶民である。
 幸い生まれてこのかた、生存が危ぶまれるほどの極貧を経験したことはなく、地方公務員として都から貰うささやかな俸給は、大家の厚意に甘えた格安の家賃と、慎ましい生活費をまかなうのに充分だ。
 まあ、あともうちょっと懐に余裕があれば、ハードカバーの文芸新刊書や専門書を欲しいだけ躊躇ためらわず買えて、図書館での貸し出し予約待ち期間の長さに辟易へきえきすることもなくなるのだがそれはさておき。
 そんな那臣はこの夜、仕事絡みも含めて、これまでの人生でほとんど縁のなかった、超高級と名の付く建物にうっかり足を踏み入れ、カルチャーショックで軽く脳震盪しんとうを起こしていた。
 旧知のNPO職員大弥ひろやと、そして殺人事件の情報提供者ミワの命を奪われそうになった。二人は危ういところでみはやの手によって救い出されたのだが、その後みはやが待ち合わせ場所に指定したのが、元麻布にある外資系ホテルだった。
 那臣は、二人の身を案じつつ、急いで指定されたホテルに向かった。
 するとみはやは、そのホテルのコンシェルジュだという若い女性とともに、エントランスで出迎えてくれたのだ。
「館様、お待ちしておりました。ようこそ」
 品野立貴たつきと名乗った女性は、微笑して深く頭を下げ、そして片手を掲げて那臣たちを奥へと誘った。
 洗練された仕草は、一目で厳しく訓練された接客のプロだと判る。
 制服も、フロアで立ち働く他のスタッフとは違うものだ。金と黒でデザインされた胸元のネームプレートが、控えめにその存在を主張していた。
 那臣たちを先導する、品野の凛とした後ろ姿にかすかな既視感を覚える。
 襟足できっちりまとめた黒髪と、整った鼻筋が印象的な美人だ。
 どこかで会ったことがあったか、すぐには思い出せなかった。
 自分が安易に大弥と連絡を取り合ったせいで、大弥たちを危険な目に合わせてしまった。再び大弥たちの居場所を『敵』に教えるような間抜けな真似をするわけにはいかない。
 そう反省し、いつも以上に周囲の気配に神経をとがらせ、街中の監視カメラにすら気を配りながらここまでやって来た那臣であったが、初めてまともに足を踏み入れた超高級ホテルの華麗な雰囲気に圧倒され、違う意味での緊張で、あからさまな挙動不審となっていた。
 やや押さえた柔らかな照明に照らし出されたフロアが、訪れる客を心地よく迎え入れてくれる。歩を進めるごとに絨毯じゅうたんは足に馴染なじみ、さりげなく置かれているのは繊細な装飾を施した調度。エントランスの片隅では、ピアニストが優しくショパンを奏でていた。
 きょろきょろとせわしなく視線を泳がせる那臣を、みはやがわざとらしい溜息でさとす。
「那臣さ~ん、そのおのぼりさん丸出しな怪しい眼球運動をやめていただけませんか? これだからイナカモノは、と東京人さんにさげすまれるネタを提供しないでください。このホテルの素晴らしさはこれから向かう客室でも十分に堪能たんのうできますよ、ね、立貴さん?」
 品野がエレベーターのボタンを操作しながら、くすっと笑ってうなずく。筋金入りのイナカモノ那臣としては背を縮めて赤面するしかない。
 エレベーターは十階で止まった。
 表示を見ると、十階はラグジュアリー・フロア受付となっている。
 フロア奥のカウンターから、品野と同じ制服の男女が優雅に礼をして迎えてくれた。
 品野にうながされるまま別のエレベーターに乗り換える。
「ここ十階にはラグジュアリー・フロア専用の受付と、フロアにご宿泊のお客様のみご利用いただけるラウンジがございます。
 十階から十一階、そして十四階が客室。
 本日ご用意いたしましたお部屋は十四階のヴィラ・スィートでございます」
 脳内の辞書で英単語を直変換し、眉根を寄せる。
 ヴィラとやらはリゾート地の別荘のことで、ホテルの中にあるようなものではない、のではなかったか。
 その疑問はすぐに解消した。
 エレベーターが十四階に止まる。
 ホールの壁には、よく見かける客室の番号などを示すプレートが何も掲げられていなかった。
 ホールから重厚なドアを開けて廊下へ出る。これまた美しい彫刻が施されたドアの前でみはやがチャイムを鳴らし、カードキーを使ってドアを開けた。
 その場所だけで安いホテルの客室ふたつ分はありそうな広すぎる玄関(?)を抜け、次のドアを開けたその向こうには、確かにリゾート地の別荘が存在していたのだった。
 鮮やかな緑の観葉植物が目に飛び込んでくる。
 コートを着たままでは汗ばむほど暖かな空間が広がり、常夏の室温にふさわしく、部屋の中央には楕円形の小さなプールが水をたたえていた。
「……な……んだここは」
入り口で呆然と立ちすくむ那臣に、はしゃいだ声が掛けられる。
「あ、館さん! お疲れさまっす! お先にやらせてもらってます」
 プールサイドの藤製のチェアーでは、すっかりくつろいだ様子の大弥がバトワイザーを掲げてみせた。
 サイドテーブルに可愛らしく盛りつけられたフルーツが置かれ、大きなマンゴーを丸かじりしていた金髪の少女が、口の周りの果汁を飛ばして叫ぶ。
「ともちんだよね? ちぃーす! このマンゴーおいしいよぉ、ともちんもこっちきて食べなよ。
 あーもうヒロ、ビールばっか飲んでる! ミワには飲ませてくんないくせに!」
「たりめーだろ、ミワお前未成年だろうが!」
「っせーなこのくそジジイ!」
「あはは、大弥さんとミワちゃんはほんと仲良しさんですねえ。まるでわたしと那臣さんみたいです」
 非日常の景色の中繰り広げられるほのぼのとした会話に付いていけず、那臣は必死に眩暈めまいこらえる。
 確かほんの三十七分ほど前、自分は、業火の中取り残された二人を思い血の涙を流したのではなかったか。
 いや元気そうなのは本当によかったのだ。よかったのだが、だがしかし。
「……みはや、状況を説明してくれ。この南国リゾート状態はいったいなんなんだ?」
 眉間のしわからにじみ出る頭痛を、指先で押さえ問う。
 みはやはいつの間にか、ミワの隣に陣取ってマンゴーにかぶりついていた。
「ほももへうひひほははむほ……」
「何を言ってるか判らん! 口にものを入れたまま喋るんじゃない!」
「……ほほふはむひみひひへふへえ」
 こちらは判った。お父さん厳しいですねえ、だ。
 いかにも美味そうに果肉を口一杯頬ばって、もごもごと言葉にならない返事を、品野が受け取って説明してくれる。
「こちらのお部屋には、今ご覧の室内プールのほかに、ジム、書斎、ダイニングと二つのリビング、三つのベッドルーム、三つのバスルームがございます。
 私、品野と他三名の専属スタッフが、望月様と田中様のお二方がご滞在の間、ご不自由のないようおもてなしいたします。
 館様からも、ご要望がありましたら、なんなりとお申し付けくださいませ」
「いや……ご滞在って……」
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