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第三章 刑事、慟哭す
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那臣は絶叫した。
無意識に走り出す。
消防士が何か叫んで那臣を羽交い締めにする。
「中に知り合いがいるんだ! そいつは……そいつらは無事なのか!」
いつの間にか二人がかり押さえつけられていた。那臣の右腕に必死にしがみついていた若い消防士は、僅かに力を抜くと、歯ぎしりとともに最悪の答を返してきた。
「……判りません……火の廻りが早すぎたんです、もう中の探索も出来ない……済みませんが……」
「嘘…………だろ」
背を押され、なされるがままに通りまで誘導される。
はたと思考が繋がり、那臣は震える手でスマホを取り出した。
爆発しそうな焦燥を必死に堪え、大弥に電話を掛ける。
祈り縋るような気持ちで十回、二十回と虚しく鳴り響くコール音を聞く。
だが大弥は出てはくれない。
(俺、絶対電話出ますから。風呂入ってたって爆睡してたって絶対。
充電もしょっちゅうしてます。だって助けて欲しいって、必死に電話、掛けてきてくれた子かもしんないじゃないすか)
そんな大弥が、こんなに鳴り止まないコールを放っておくとは。
「…………嘘…………だろ……ヒロヤ…………」
那臣はそのまま路上に立ちすくみ、呆然と、のたうちまわる真っ赤な炎を見ていた。
そして怒号すら飛び交う修羅場の喧噪の中、その声は、やけにクリアに那臣の鼓膜を抉った。
「もう、これで懲りるだろ」
刹那、我に返って、反射で声の主を追う。
だが、今確かに那臣の視界の隅を通り過ぎた影は、すでに野次馬の波に紛れ姿を捉えられない。
覚えた気配だけを頼りに人をかき分け進む。それもまもなく見失い、那臣は路地で、また一人立ち尽くすしかなかった。
(何をやってるんだ俺は……!)
今、自分に関わる人間には、間違いなく危険が伴うと判っていたのに、何故不用意に大弥と連絡を取りあってしまったのか。
自分の浅はかな行動の結果、ずっと慕ってくれていた大弥に、そして捜査に協力しようとしてくれたミワにも、取り返しのつかない結果となってしまったではないか。
噛みしめた奥歯がみしりと音を立てる。涙がはたはたとアスファルトを打った。
そのとき胸ポケットのスマホが震える。みはやからの着信だ。
涙を拭うこともせず、那臣は画面に触れた。
みはやより先に口を開く。
「……みはや、ヒロヤのアパートがやられ……」
「館さん! 俺す! 大弥っす」
「……ヒロヤ? ヒロヤなのか! 生きてるのか? なんで……」
電話の向こうからの、あまりに意外な声に、一瞬言葉を失い、すぐに今度は安堵の涙で声がかすれる。
「よかった……ヒロヤ……生きてたのか、よかった……」
「俺は大丈夫っす! ミワも無事っす。館さんの未来の奥さんが助けてくれたっす!」
「はあ?」
「はい、お電話かわりました。未来の妻みはやちゃんで~す!
夫を支える妻の務めとして『秘技・内助の功』を炸裂! 大切なお弟子さんと大切な情報提供者さんをお助けしちゃいました。
心ゆくまで褒めまくってくださっていいですよ?
ご褒美は那臣さんの愛を熱烈希望です、きゃ」
悲嘆号泣した直後の、いきなりのラブコメ展開に付いていけない。
那臣は金魚のようにぱくぱくと口を動かすしかなかった。
なおもみはやは、絶好調でノリまくる。
「皆さんはとりあえず、二人の愛の巣候補にしていた某マンションに丁重に匿わせていただきますのでご安心ください。子どもは三人以上と決めてましたから、部屋数はばっちり余裕ですよ。
送り届けましたらそちらに合流します。皆さんの救出成功を祝って二人っきりで一晩中、思う存分いちゃいちゃらぶらぶしちゃいましょう!」
「……だからだな、その、ヒロヤたちを助けてくれたことには感謝してもしきれないが、だがな」
まだよく状況を飲み込めず、半ば呆けた那臣の意識を、みはやははしゃいだ声で振り回し、揺り起こしてくれる。
「もう、那臣さん、早くこちらに来てくださいな。みはやちゃん特製アプリでは、主人公那臣さんにカッコよく捨て台詞をキメたつもりのザコキャラ放火実行犯が、いままさにどや顔で小ボス放火計画犯に報告してるところのライブ中継、絶賛放映中! ですよ?」
「何だって? さっきの奴はやはり……」
「おおっといけません。この辺一体の防犯カメラ&スマホ回線は現在すべてがっちりみはやちゃんの掌の上、なんて真面目刑事那臣さんにバレたらまた叱られちゃいます。
ナイショナイショ、きゃは?」
「本人に言うな……ネタか? ツッコミ待ちか?」
みはやのテンションが高すぎる。
いや、みはやは常時ハイテンションだのだが、この突き抜け切った感じは何かヤバい、気が、する。
そして那臣の悪い予感は的中した。
「愛する夫、もとい主人を泣かせた罪は万死に値します。
守護獣を怒らせちゃったらどんなことになるか。
刮目して待て次回! そのときTOKYOは焦土と化す?
みはやちゃん無双! 積み上がる悪党の屍の山を君は見たか?」
この上なく楽しげな獣の咆吼、もといみはやの高笑いが電話の向こうから響いてくる。
もしかしたら自分は、とんでもないものの主人になってしまったのかもしれない。
「……………………すぐ、そっちへ行く。……頼むからそれまで大人しく待っててくれ…………」
無意識に走り出す。
消防士が何か叫んで那臣を羽交い締めにする。
「中に知り合いがいるんだ! そいつは……そいつらは無事なのか!」
いつの間にか二人がかり押さえつけられていた。那臣の右腕に必死にしがみついていた若い消防士は、僅かに力を抜くと、歯ぎしりとともに最悪の答を返してきた。
「……判りません……火の廻りが早すぎたんです、もう中の探索も出来ない……済みませんが……」
「嘘…………だろ」
背を押され、なされるがままに通りまで誘導される。
はたと思考が繋がり、那臣は震える手でスマホを取り出した。
爆発しそうな焦燥を必死に堪え、大弥に電話を掛ける。
祈り縋るような気持ちで十回、二十回と虚しく鳴り響くコール音を聞く。
だが大弥は出てはくれない。
(俺、絶対電話出ますから。風呂入ってたって爆睡してたって絶対。
充電もしょっちゅうしてます。だって助けて欲しいって、必死に電話、掛けてきてくれた子かもしんないじゃないすか)
そんな大弥が、こんなに鳴り止まないコールを放っておくとは。
「…………嘘…………だろ……ヒロヤ…………」
那臣はそのまま路上に立ちすくみ、呆然と、のたうちまわる真っ赤な炎を見ていた。
そして怒号すら飛び交う修羅場の喧噪の中、その声は、やけにクリアに那臣の鼓膜を抉った。
「もう、これで懲りるだろ」
刹那、我に返って、反射で声の主を追う。
だが、今確かに那臣の視界の隅を通り過ぎた影は、すでに野次馬の波に紛れ姿を捉えられない。
覚えた気配だけを頼りに人をかき分け進む。それもまもなく見失い、那臣は路地で、また一人立ち尽くすしかなかった。
(何をやってるんだ俺は……!)
今、自分に関わる人間には、間違いなく危険が伴うと判っていたのに、何故不用意に大弥と連絡を取りあってしまったのか。
自分の浅はかな行動の結果、ずっと慕ってくれていた大弥に、そして捜査に協力しようとしてくれたミワにも、取り返しのつかない結果となってしまったではないか。
噛みしめた奥歯がみしりと音を立てる。涙がはたはたとアスファルトを打った。
そのとき胸ポケットのスマホが震える。みはやからの着信だ。
涙を拭うこともせず、那臣は画面に触れた。
みはやより先に口を開く。
「……みはや、ヒロヤのアパートがやられ……」
「館さん! 俺す! 大弥っす」
「……ヒロヤ? ヒロヤなのか! 生きてるのか? なんで……」
電話の向こうからの、あまりに意外な声に、一瞬言葉を失い、すぐに今度は安堵の涙で声がかすれる。
「よかった……ヒロヤ……生きてたのか、よかった……」
「俺は大丈夫っす! ミワも無事っす。館さんの未来の奥さんが助けてくれたっす!」
「はあ?」
「はい、お電話かわりました。未来の妻みはやちゃんで~す!
夫を支える妻の務めとして『秘技・内助の功』を炸裂! 大切なお弟子さんと大切な情報提供者さんをお助けしちゃいました。
心ゆくまで褒めまくってくださっていいですよ?
ご褒美は那臣さんの愛を熱烈希望です、きゃ」
悲嘆号泣した直後の、いきなりのラブコメ展開に付いていけない。
那臣は金魚のようにぱくぱくと口を動かすしかなかった。
なおもみはやは、絶好調でノリまくる。
「皆さんはとりあえず、二人の愛の巣候補にしていた某マンションに丁重に匿わせていただきますのでご安心ください。子どもは三人以上と決めてましたから、部屋数はばっちり余裕ですよ。
送り届けましたらそちらに合流します。皆さんの救出成功を祝って二人っきりで一晩中、思う存分いちゃいちゃらぶらぶしちゃいましょう!」
「……だからだな、その、ヒロヤたちを助けてくれたことには感謝してもしきれないが、だがな」
まだよく状況を飲み込めず、半ば呆けた那臣の意識を、みはやははしゃいだ声で振り回し、揺り起こしてくれる。
「もう、那臣さん、早くこちらに来てくださいな。みはやちゃん特製アプリでは、主人公那臣さんにカッコよく捨て台詞をキメたつもりのザコキャラ放火実行犯が、いままさにどや顔で小ボス放火計画犯に報告してるところのライブ中継、絶賛放映中! ですよ?」
「何だって? さっきの奴はやはり……」
「おおっといけません。この辺一体の防犯カメラ&スマホ回線は現在すべてがっちりみはやちゃんの掌の上、なんて真面目刑事那臣さんにバレたらまた叱られちゃいます。
ナイショナイショ、きゃは?」
「本人に言うな……ネタか? ツッコミ待ちか?」
みはやのテンションが高すぎる。
いや、みはやは常時ハイテンションだのだが、この突き抜け切った感じは何かヤバい、気が、する。
そして那臣の悪い予感は的中した。
「愛する夫、もとい主人を泣かせた罪は万死に値します。
守護獣を怒らせちゃったらどんなことになるか。
刮目して待て次回! そのときTOKYOは焦土と化す?
みはやちゃん無双! 積み上がる悪党の屍の山を君は見たか?」
この上なく楽しげな獣の咆吼、もといみはやの高笑いが電話の向こうから響いてくる。
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「……………………すぐ、そっちへ行く。……頼むからそれまで大人しく待っててくれ…………」
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