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第四章 刑事の元へ、仲間が集う
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時間は少し遡る。
那臣たちが品川駅に降り立つ一時間ほど前、市野瀬は、本来の勤務先である新宿中央署へとひょっこり顔を出した。
原口莉愛の事件の捜査本部で、久保田管理官とともに部屋に残って、各捜査員から届く報告を整理し指示を出していた倉田恭士は、管理官に軽く合図をして席を立った。
「いやあ、古巣って落ち着きますねえ! 久しぶりに深呼吸した気分です!」
「なーにが古巣だ、勝手に出て行ってまだ二日も経ってねえだろうが」
脳天気に伸びをする市野瀬に、恭士がツッコミを入れた。
むさっ苦しい大部屋の、年中無休終日営業の、全く有り難くない大繁盛ぶりが懐かしいとは、市野瀬もよくぞ我が社に染まったものだ。
「えー? 主任も一度本庁行ってみれば判りますよ。RPGマップでいうところの『どくのぬまち』ですよあそこは。一歩歩くと一ライフが減るって実感できます」
回復しなきゃ、と市野瀬は、自販機のミルクたっぷりカフェオレのボタンを押す。
「んなこたぁ知ってるから、賢者の俺は、魔王の城には近付かねえって決めてんだよ」
刑事課フロアの奥の奥。自販機の設置された喫煙スペースの隅でポケットから煙草を取り出し、さりげなく市野瀬に顔を寄せた。
「で、我らが秘密結社のボスの指示は何だって?」
恭士の問いに、市野瀬は誇らしげな笑みで答える。
「もちろんナイショです、一歩アジトを出たら全員敵。たとえ主任でも極秘任務は明かせません」
「ほー、偉くなったもんだな市野瀬のくせに」
鼻先に思いっきり煙を吹きかけてやる。市野瀬は両手を大げさにぶんぶん振り回して煙を払った。
「もう、自分にまで受動喫煙させないでくださいよ。これだから喫煙世代は……」
「禁煙世代生まれのガキは黙って質問に答えてりゃいいんだ」
「ああもうわかりましたってば! 煙! やめてください!」
再度の煙攻撃に耐えかね、市野瀬は渋々背負ったデイパックから資料を取り出した。
デイパックにはその童顔にやけに似合う、人気ゲームキャラクターの大きなマスコットや缶バッチがいくつも付けられている。
「名波班長厳選、館参事官公認、館組の厳正な審査によってランキング形式で並べ替えた被害者(疑い)リストです。自分の任務は上から順番に片っ端から担当の所轄を回って、再度『オーディション』と被害者の関連について調べてくる、なんです」
「ふーん……で、真っ先にリストのトップに上がってる新宿中央署にやってきた、とね」
「刑事課長にも、くれぐれもよろしくと挨拶してこいと言われましたんで、自分ちょっと行ってきますね」
新宿中央署の松浦刑事課長は、河原崎派の急先鋒と言われている一人だ。
(……現時点からボディーガード就任、てか)
恭士は、片手を振って市野瀬を見送り、灰皿にぐいと煙草を押しつけた。
新宿中央署を出て渋谷南署へと向かう道すがら、市野瀬は運転席でずっとぶつぶつぼやいていた。
「だから、この『任務』は自分が手を挙げて参事官からお受けしたんですよ? なんで主任がくっついてくるんですか? ああもう煙草やめてくださいよ!」
助手席で恭士はわざと煙草に火をつけ、ふかしてやる。
「阿呆、行動は常に二人組、捜査の基本だろうが。だいたいこれは俺の車だぞ、倉田警部補さまのお車を運転できて光栄です、くらい言ってみろってんだ」
「あーあ、秘密の特命っぽさ半減じゃないですかぁ……ちぇー」
「ドラマの見すぎだそりゃ……心配すんな、俺は俺の仕事で忙しいんだよ。出来の悪い部下の仕事ぶりを見届けたら、すぐにでも引き返すさ」
「出来が悪いとかひどいです主任~……もう、名波班長といい、何だって自分の上官はこんなに口の悪い人ばっかりなんですかね……」
「アレと俺を一緒にすんな! 俺ぁあそこまでスカした無愛想上から目線野郎じゃねえぞ!」
よほど相性が悪いのか、名波の名前を出したとたん、被り気味に恭士がキレだした。
恭士が感情を剥き出しにするのは、実は相当珍しいことだ。
「なんかそれ名波班長も言ってたんですよねえ……『あのへらへらちゃらけたおとぼけ野郎が一等気に食わねえ』とか……お二人とももういい大人なんですから、同じ館組同士、仲良くしましょうよ……っぐえぇ」
赤信号で停止した瞬間、恭士の固め技が、市野瀬の気道と急所に見事に決まる。
「てめえこそ上官に上から説教とかトボケんじゃねぇっ!」
「ぐるぢいです~…はなじで~……しゅに、信号、あお……!」
運転手が死亡寸前のまま、車はなんとか渋谷南署近くの通りに滑り込んだ。
ウインカーを出して脇へ車を寄せる。
「まったく、死ぬかと思いました……」
「死にたくなかったら、あの仏頂面野郎の話題を俺に振るな」
車を降りるなりへたり込んだ市野瀬の尻を、恭士が冷たく蹴り飛ばす。
「ほれ、駐禁切符切られたらお前持ちだぞ? さっさと行ってこい」
「パワハラ反対です~、主任、暴力上司なんて今時流行りませんよ」
「我が社は常に時代の最後尾なんだよ、いいから行け」
市野瀬は痛そうに尻を撫でながら、しかしさっくりと復活した。
恭士に無邪気な笑顔を向け敬礼する。
「じゃ、行ってきま~す。生活安全課へ寄って資料もらったらすぐ戻りますので」
「ああ、ヒカリエとかにふらふら寄り道しに行くんじゃねえぞ」
「自分、子どもじゃありませんから!」
「上官命令だ、従えガキんちょ!」
拗ねた顔を露わにし、市野瀬は、ふぁーい、と、気の抜けた返事を寄越した。
那臣たちが品川駅に降り立つ一時間ほど前、市野瀬は、本来の勤務先である新宿中央署へとひょっこり顔を出した。
原口莉愛の事件の捜査本部で、久保田管理官とともに部屋に残って、各捜査員から届く報告を整理し指示を出していた倉田恭士は、管理官に軽く合図をして席を立った。
「いやあ、古巣って落ち着きますねえ! 久しぶりに深呼吸した気分です!」
「なーにが古巣だ、勝手に出て行ってまだ二日も経ってねえだろうが」
脳天気に伸びをする市野瀬に、恭士がツッコミを入れた。
むさっ苦しい大部屋の、年中無休終日営業の、全く有り難くない大繁盛ぶりが懐かしいとは、市野瀬もよくぞ我が社に染まったものだ。
「えー? 主任も一度本庁行ってみれば判りますよ。RPGマップでいうところの『どくのぬまち』ですよあそこは。一歩歩くと一ライフが減るって実感できます」
回復しなきゃ、と市野瀬は、自販機のミルクたっぷりカフェオレのボタンを押す。
「んなこたぁ知ってるから、賢者の俺は、魔王の城には近付かねえって決めてんだよ」
刑事課フロアの奥の奥。自販機の設置された喫煙スペースの隅でポケットから煙草を取り出し、さりげなく市野瀬に顔を寄せた。
「で、我らが秘密結社のボスの指示は何だって?」
恭士の問いに、市野瀬は誇らしげな笑みで答える。
「もちろんナイショです、一歩アジトを出たら全員敵。たとえ主任でも極秘任務は明かせません」
「ほー、偉くなったもんだな市野瀬のくせに」
鼻先に思いっきり煙を吹きかけてやる。市野瀬は両手を大げさにぶんぶん振り回して煙を払った。
「もう、自分にまで受動喫煙させないでくださいよ。これだから喫煙世代は……」
「禁煙世代生まれのガキは黙って質問に答えてりゃいいんだ」
「ああもうわかりましたってば! 煙! やめてください!」
再度の煙攻撃に耐えかね、市野瀬は渋々背負ったデイパックから資料を取り出した。
デイパックにはその童顔にやけに似合う、人気ゲームキャラクターの大きなマスコットや缶バッチがいくつも付けられている。
「名波班長厳選、館参事官公認、館組の厳正な審査によってランキング形式で並べ替えた被害者(疑い)リストです。自分の任務は上から順番に片っ端から担当の所轄を回って、再度『オーディション』と被害者の関連について調べてくる、なんです」
「ふーん……で、真っ先にリストのトップに上がってる新宿中央署にやってきた、とね」
「刑事課長にも、くれぐれもよろしくと挨拶してこいと言われましたんで、自分ちょっと行ってきますね」
新宿中央署の松浦刑事課長は、河原崎派の急先鋒と言われている一人だ。
(……現時点からボディーガード就任、てか)
恭士は、片手を振って市野瀬を見送り、灰皿にぐいと煙草を押しつけた。
新宿中央署を出て渋谷南署へと向かう道すがら、市野瀬は運転席でずっとぶつぶつぼやいていた。
「だから、この『任務』は自分が手を挙げて参事官からお受けしたんですよ? なんで主任がくっついてくるんですか? ああもう煙草やめてくださいよ!」
助手席で恭士はわざと煙草に火をつけ、ふかしてやる。
「阿呆、行動は常に二人組、捜査の基本だろうが。だいたいこれは俺の車だぞ、倉田警部補さまのお車を運転できて光栄です、くらい言ってみろってんだ」
「あーあ、秘密の特命っぽさ半減じゃないですかぁ……ちぇー」
「ドラマの見すぎだそりゃ……心配すんな、俺は俺の仕事で忙しいんだよ。出来の悪い部下の仕事ぶりを見届けたら、すぐにでも引き返すさ」
「出来が悪いとかひどいです主任~……もう、名波班長といい、何だって自分の上官はこんなに口の悪い人ばっかりなんですかね……」
「アレと俺を一緒にすんな! 俺ぁあそこまでスカした無愛想上から目線野郎じゃねえぞ!」
よほど相性が悪いのか、名波の名前を出したとたん、被り気味に恭士がキレだした。
恭士が感情を剥き出しにするのは、実は相当珍しいことだ。
「なんかそれ名波班長も言ってたんですよねえ……『あのへらへらちゃらけたおとぼけ野郎が一等気に食わねえ』とか……お二人とももういい大人なんですから、同じ館組同士、仲良くしましょうよ……っぐえぇ」
赤信号で停止した瞬間、恭士の固め技が、市野瀬の気道と急所に見事に決まる。
「てめえこそ上官に上から説教とかトボケんじゃねぇっ!」
「ぐるぢいです~…はなじで~……しゅに、信号、あお……!」
運転手が死亡寸前のまま、車はなんとか渋谷南署近くの通りに滑り込んだ。
ウインカーを出して脇へ車を寄せる。
「まったく、死ぬかと思いました……」
「死にたくなかったら、あの仏頂面野郎の話題を俺に振るな」
車を降りるなりへたり込んだ市野瀬の尻を、恭士が冷たく蹴り飛ばす。
「ほれ、駐禁切符切られたらお前持ちだぞ? さっさと行ってこい」
「パワハラ反対です~、主任、暴力上司なんて今時流行りませんよ」
「我が社は常に時代の最後尾なんだよ、いいから行け」
市野瀬は痛そうに尻を撫でながら、しかしさっくりと復活した。
恭士に無邪気な笑顔を向け敬礼する。
「じゃ、行ってきま~す。生活安全課へ寄って資料もらったらすぐ戻りますので」
「ああ、ヒカリエとかにふらふら寄り道しに行くんじゃねえぞ」
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