モリウサギ

高村渚

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第五章 刑事たち、追い詰める

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「乾杯!」
 一日の激務の後である。特に現役捜査員四名は酒もそこそこに、もんじゃにはがしをせっせと運び、腹に納めていった。 
 古閑こがの隣に座った名波は、古閑のグラスが空くと間髪置かず、瓶を手に取り古閑に勧めた。
 名波にしては珍しく、幾分緊張気味にビール瓶を傾ける。うっかりグラスからあふれそうになった泡を、古閑が慌ててすする。
 恐縮して頭を下げた名波に、古閑は気さくに笑いかけた。
「こんな年寄りに、そう緊張するもんじゃねえよ」
 勧められた返杯を受ける手つきもぎこちない。
「……いえ、お噂はかねがね」
 古閑が在職中に打ち立てた数々の手柄は、刑事畑の捜査員の間では伝説となっている。名波にとっても畏敬いけいすべき相手だ。
 そんな名波の様子を斜め向かいから観察していた恭士が、にやにやと笑いながらグラスを傾けた。
「あの孤高のオレ様が、しおらしくお酌してやがる、じいさんも捨てたもんじゃねえなあ」
 名波に聞かせるための大声だ。間髪置かずに名波から恭士へ、氷点下のにらみと盛大な舌打ちが飛んだ。
那臣ともおみさん、あのお二人、実はとっても仲良しさんなんでしょうか? もしかして双方ツンデレ? きゃ」
「……当たらずとも遠からずだろうが、それは本人達に言うなよ。山元屋の二階が血染めになりそうだ」
「血染めの二階ですか。新撰組だ! 御用改めでござる! ってやつですね、わくわく」
「それは池田屋だろう」
「では峰吉、ちくと軍鶏しゃもを買ってこい、でどうでしょうか?」
「それは近江屋」
 那臣とみはやが、はがしで口元を隠す真似をして語り合う。もちろんこの会話も両人に聞かせるためだ。案の定ネタにされた二人は仲良く揃って、歴史小説オタクの主従をにらみつけた。
 微妙に不穏な空気の漂う場を、古閑が年の功で仕切り直す。
「……あんまり酒が回っちまう前にはじめたほうがいいんじゃねぇか? もんじゃ食って酒呑むためだけに、これだけの面子集めたわけじゃぁねぇだろうが」
 那臣は残ったビールを飲み干すと、代わりのグラスに烏龍茶を注ぐ。
「まあ、皆で旨いもんでも食って英気を養おう会、でも構わないんですがね。ではぼちぼち始めますか」
 階下からサッカー中継の騒がしい音声が聞こえてくる。
 追加のもんじゃと烏龍茶を運んできてくれた店主に、しばらく外してくれと頼むと、むしろ試合終了まで降りてくるな、追加オーダーも遠慮してくれと笑って返されてしまった。Jリーグブーム以前からの、古株のサッカーファンなのだそうだ。
 ひょいと階下をうかがって、市野瀬が後ろ手ですすけたふすまを閉めた。
 それを合図に、那臣が口を開く。
「とりあえず渋谷南署の件のご報告から。関係者の取り調べはほぼ終わりましたが、田辺警部補以下七名の犯行ということでカタがつきそうです」
「割れナベのわりに頑張ったじゃねえか、副署長のたいらにも繋がせないとはねえ」
「恭、おめぇの同期だったかな」
「えーえ、屁理屈ばっかりこいて上しか見ねえ、使えねえ奴ですよ。
 平あたりに『桜の代紋の威信を懸けて、組織を崩壊に導く異分子たちを排除せよ!』とかなんとかけしかけられて、しっぽ振って従っちまったんじゃないですかね」
 面白くもなさそうにはがしを弄ぶ。
 古閑も低くうなりながら、烏龍茶で口を湿した。
「みはやちゃんがカメラを仕込まなかったら本当に、『那臣の命令で、市野瀬が同期の山下を脅して記録庫荒らしをしようとして、止めに入った連中と大乱闘。仕方なく発砲。当たり所が悪くて市野瀬死亡』って筋書き通りに進んでたんだからなあ」
「みはやの姐御あねご、かっけーです! 感激しました!」
「姐御ですか、きゃはっ、ゴクツマってやつですね~。やった!」
「やった、じゃねえ。妻でもねえし」
「せっかく市野瀬さんにお褒めいただいたというのに恐縮です。パパ攻略ルートをあまり進められなくてごめんなさい」
「仕方ないさ、俺らや那臣だって、いきなり河原崎のおっさんまで釣れるとは思ってねえだろ」
「……いえ、それがその……」
 那臣が、バツが悪そうに顔をしかめ、みはやを睨む。
 みはやは小首を傾げて舌を出して見せた。
「バックヤードでは上物が釣れているのですよ? 
 市野瀬さんがご挨拶に伺った直後、新宿中央署の松浦刑事課長の携帯から渋谷南署の平副署長の携帯へ電話が架けられてます。通話は十七秒ほど。
 そのあと平副署長のデスクの内線電話から田辺係長のデスクの内線に十三秒ほど通話がされちゃってますから、悪巧みの伝言ルートは完全解析済み、なんですけどねえ……」
 一同が唖然あぜんとする中、那臣の深すぎる溜息が響く。
「……携帯の通話履歴はともかく、警察署内の内線の使用状況とか……どうやって調べたのかは知らんが……判ってるだろうが、そんなもの証拠にできんぞ」
「当然です。松浦課長さんをはじめ、河原崎パパ傘下とおぼしき皆さんのスマホに、ウイルス経由で仕込んだ盗聴アプリの音声を解析しましたなんて、わたしだって口が裂けても那臣さんに言えません」
 那臣は鉄板にがくりと伏せ沈みそうになった。いい加減、がっちりこの危険な獣の手綱を締めておくべきだろうか。
「……ふおぉぉぉおっ、か、カッコよすぎです……! みはや姐御サイコーで……むご?」
 興奮して立ち上がろうとした市野瀬の口のあたりを、恭士は腕で塞いでそのまま固め技に入ってやった。
「お前はいちいち感激してんじゃねえ。落ち着け、幼稚園児か」
「んんん……ひどいです主任~! 自分幼稚園児じゃありま……むごぅ」
 もごもごとじゃれあう二人を無視して、名波が冷静な分析を加える。
「そもそも一連の連続失踪殺人に河原崎親子が噛んでるってとこから、参事官の単なる邪推、私怨由来の妄想にすぎないと言われたらそのとおりですからね。
 もし一連の事件が奴らの犯行だとして、余計に深く捜査が及ぶかもしれないという危険を冒してまで、何故わざわざ、『オーディション』関連のリストを餌に市野瀬をおびき出したのか」
「何故って、いまさら何ほざいてやがる。その餌食いつき大賛成、ってけしかけたのお前らしいじゃねえの?」
 恭士のからかうような口調に、名波はまた眉間にしわを寄せる。
「別にけしかけちゃいない……ただ犯行の態様から、河原崎尚毅が真っ黒で、親の勇毅も間違いなく絡んでる、そう確信はしたがね」
 あれから那臣に聞かされた、『前の事件』のことを思い出し、名波はグラスを握りしめ、唾を吐き出すように舌を打った。
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