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第五章 刑事たち、追い詰める
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長谷は、新宿中央署正面玄関前の立ち番警官に愛想良く会釈し、署を後にした。体を左右に揺らしながら、こせこせと夜の新宿の街を歩いていく後ろ姿を、恭士と市野瀬が、上の階の窓から見送る。
「どうだ市野瀬、お前の謎の第六感で見た長谷は」
「なんですか主任、そのアヤシゲなネーミング。普通に刑事の勘ってゆってくださいよ」
「阿呆、そんな大層なモンは、せめて十年刑事やってから口にしろ。それでも古閑のじい様には『嘴の黄色い雛鳥が』とか言って嘲笑われるだろうがな」
「わぁ、その台詞、この前読んだなろう小説で中ボスキャラが言ってました! 自分、是非是非言われてみたいです~!」
「じい様に頼んでおいてやるよ、仲介料は那臣の野郎にツケといてやる。で?」
「で? ああ、長谷ですね。めっちゃ尚毅と知り合いですよね、あれ」
「俺としては結構揺すってみたんだが、あの野郎そんな素振りもみせなかったがな?」
多少意地悪く振ってみても、その解が当然であるかのように疑わない表情を返してくる。
「あの人なんとゆうか、慣れてますよね。『なんにもしらないボク』へのスイッチの入れ方、堂に入ってます」
「確かにそんな感じだな。小並感の語彙力はともかく、お前の妙なセンサーは結構当てになるもんだ」
「妙なとかひどいです主任~」
抗議の突進をかましてきた市野瀬の額を片手で押さえ、恭士はふたたび窓の外に目を遣った。
交差点の信号が青になり、横断歩道を渡っていく長谷の背後に、距離を置いて尾行する捜査員の姿があった。
昼食、あるいは遅い朝食でもとりに出ようとしたのか、住まいのアパートからくわえ煙草でのんびりと出てきた長谷を、署へ任意同行したのが正午すぎ。現在時計は午後八時を回っている。
ただの参考人として事情を伺うには、やや長すぎると言われても仕方ない拘束時間ではある。
こんな時だけ、法令遵守を盾に嫌味をねじ込んできた松浦刑事課長は、捜査員たちの絶対零度の凍てつく視線に撃退され、這々の体で課長室へと退散していったらしい。
現場の捜査員たちも、事の背景が次第に明らかになって来ると、流石に一部の上層部の圧力の意図するところに疑問を感じるようになっていた。。
長谷と同時進行で、原口莉愛をスカウトしようとした男にも参考人として任意の取り調べを行い、先程帰らせたところだった。こちらもほぼ似たような反応をしてみせたらしい。
個人営業のタレント仲介業者をしていて、AVメーカーに紹介するつもりで莉愛に声を掛けた。急に連絡が取れなくなったが、夜の仕事の女にはよくあることで、特に気にも留めなかった。まさか殺されているとは思わなかったそうだ。この男にも尾行をつけ泳がせている。
「中野区のイベント打ち合わせは、クラブで知り合ったタナカさんに頼まれて行きました。そういえばケイ・シティ・オフィスってゆう会社名だったかも? タナカさんの連絡先も知りません~だったらしいですね。
今回の関係者、皆さんクラブで友活してるようですけど、そんなに楽しいんでしょうか。自分も行ってみたいです!」
「わかったわかった、ハタチになったら連れていってやるよ」
「しゅに~ん! 自分、もう二十九です~!」
「つーかあっちは、長谷より嘘が下手なようだぞ」
「署出てすぐスマホいじってたそうですし、たぶん焦って尚毅くんにSOSコールしてたんじゃないでしょうか」
「だろうな。さて、尚毅がどうでるか」
莉愛の事件の捜査本部には増員が図られ、本庁の捜査一課から、そして新宿中央署の刑事課からもさらに人員が投入されていた。
松浦課長はこれ以上の人員投入に反対してみせたらしいが、久保田管理官の「捜査員を投入して、事件の真相が明らかになると、どなたかに不都合があるんですかね」という一言にあっさりと押し切られたのだとか。
「久保田のおっさん、判って言ってたなあれは」
「松浦課長、今にも『河原崎さんに言いつけるぞ~!』って返しそうでしたよね」
「小学生かよ」
胸ポケットのスマホが震える。恭士は画面を確認すると、市野瀬の背を叩いてみせた。
「高輪台署で話を聞いてたOB掃除部隊の奴ら。身分詐称の件は送検しねえって連絡したあと、行方が判らないそうだ。高飛びするかもしれん、探すぞ」
羽柴は周囲を警戒しつつ、きしむ建物の扉を開けて、屋内に身体を滑り込ませた。
本庁の組織犯罪対策部在職中は、容疑者を探り当てる嗅覚と、どこまでも食らいついて離さない執念深さで、猟犬とあだ名されたものだ。
身のこなしは当時のままであったが、今、彼は、追う立場でなく追われる立場となり果てていた。
町工場と倉庫が建ち並ぶ一角の、今は使われず放置された廃屋である。所々割れたガラス窓から差し込む鈍い日差しだけの薄暗い空間には、工具の部品であったらしい鉄屑や、運送用のパレットが散乱し、錆と朽ちた木の臭いが漂っていた。
羽柴は顔をしかめて、盛大に唾を吐き捨てる。
何だって自分はこんな辛気くさい場所に、人目を忍んで隠れるように来ねばならないのか。
背後に人の気配を感じたが、振り向きもせず、ざらついたコンクリート打ちっ放しの床を軽く蹴った。
「……お前等と一緒じゃ、バカンスにもならねえな」
言われた方にしても、好きこのんで元上官と海外逃亡したいわけはない。むっとした表情を、それでもすぐに隠して、律儀に「すみません」と頭を下げてみせた。
勇毅が高輪潮音荘に派遣した『お掃除部隊』の六人は、犯罪の痕跡を完全に隠蔽するために、元警察官らによって構成されたグループであった。警察の捜査手法を知り尽くし、警察在職経験を生かして、警察が使ってくるであろうあらゆる鑑識、科学捜査をくぐり抜ける隠蔽工作を迅速的確に行い、これまで河原崎親子を捜査の手から逃がしていたのだった。
「どうだ市野瀬、お前の謎の第六感で見た長谷は」
「なんですか主任、そのアヤシゲなネーミング。普通に刑事の勘ってゆってくださいよ」
「阿呆、そんな大層なモンは、せめて十年刑事やってから口にしろ。それでも古閑のじい様には『嘴の黄色い雛鳥が』とか言って嘲笑われるだろうがな」
「わぁ、その台詞、この前読んだなろう小説で中ボスキャラが言ってました! 自分、是非是非言われてみたいです~!」
「じい様に頼んでおいてやるよ、仲介料は那臣の野郎にツケといてやる。で?」
「で? ああ、長谷ですね。めっちゃ尚毅と知り合いですよね、あれ」
「俺としては結構揺すってみたんだが、あの野郎そんな素振りもみせなかったがな?」
多少意地悪く振ってみても、その解が当然であるかのように疑わない表情を返してくる。
「あの人なんとゆうか、慣れてますよね。『なんにもしらないボク』へのスイッチの入れ方、堂に入ってます」
「確かにそんな感じだな。小並感の語彙力はともかく、お前の妙なセンサーは結構当てになるもんだ」
「妙なとかひどいです主任~」
抗議の突進をかましてきた市野瀬の額を片手で押さえ、恭士はふたたび窓の外に目を遣った。
交差点の信号が青になり、横断歩道を渡っていく長谷の背後に、距離を置いて尾行する捜査員の姿があった。
昼食、あるいは遅い朝食でもとりに出ようとしたのか、住まいのアパートからくわえ煙草でのんびりと出てきた長谷を、署へ任意同行したのが正午すぎ。現在時計は午後八時を回っている。
ただの参考人として事情を伺うには、やや長すぎると言われても仕方ない拘束時間ではある。
こんな時だけ、法令遵守を盾に嫌味をねじ込んできた松浦刑事課長は、捜査員たちの絶対零度の凍てつく視線に撃退され、這々の体で課長室へと退散していったらしい。
現場の捜査員たちも、事の背景が次第に明らかになって来ると、流石に一部の上層部の圧力の意図するところに疑問を感じるようになっていた。。
長谷と同時進行で、原口莉愛をスカウトしようとした男にも参考人として任意の取り調べを行い、先程帰らせたところだった。こちらもほぼ似たような反応をしてみせたらしい。
個人営業のタレント仲介業者をしていて、AVメーカーに紹介するつもりで莉愛に声を掛けた。急に連絡が取れなくなったが、夜の仕事の女にはよくあることで、特に気にも留めなかった。まさか殺されているとは思わなかったそうだ。この男にも尾行をつけ泳がせている。
「中野区のイベント打ち合わせは、クラブで知り合ったタナカさんに頼まれて行きました。そういえばケイ・シティ・オフィスってゆう会社名だったかも? タナカさんの連絡先も知りません~だったらしいですね。
今回の関係者、皆さんクラブで友活してるようですけど、そんなに楽しいんでしょうか。自分も行ってみたいです!」
「わかったわかった、ハタチになったら連れていってやるよ」
「しゅに~ん! 自分、もう二十九です~!」
「つーかあっちは、長谷より嘘が下手なようだぞ」
「署出てすぐスマホいじってたそうですし、たぶん焦って尚毅くんにSOSコールしてたんじゃないでしょうか」
「だろうな。さて、尚毅がどうでるか」
莉愛の事件の捜査本部には増員が図られ、本庁の捜査一課から、そして新宿中央署の刑事課からもさらに人員が投入されていた。
松浦課長はこれ以上の人員投入に反対してみせたらしいが、久保田管理官の「捜査員を投入して、事件の真相が明らかになると、どなたかに不都合があるんですかね」という一言にあっさりと押し切られたのだとか。
「久保田のおっさん、判って言ってたなあれは」
「松浦課長、今にも『河原崎さんに言いつけるぞ~!』って返しそうでしたよね」
「小学生かよ」
胸ポケットのスマホが震える。恭士は画面を確認すると、市野瀬の背を叩いてみせた。
「高輪台署で話を聞いてたOB掃除部隊の奴ら。身分詐称の件は送検しねえって連絡したあと、行方が判らないそうだ。高飛びするかもしれん、探すぞ」
羽柴は周囲を警戒しつつ、きしむ建物の扉を開けて、屋内に身体を滑り込ませた。
本庁の組織犯罪対策部在職中は、容疑者を探り当てる嗅覚と、どこまでも食らいついて離さない執念深さで、猟犬とあだ名されたものだ。
身のこなしは当時のままであったが、今、彼は、追う立場でなく追われる立場となり果てていた。
町工場と倉庫が建ち並ぶ一角の、今は使われず放置された廃屋である。所々割れたガラス窓から差し込む鈍い日差しだけの薄暗い空間には、工具の部品であったらしい鉄屑や、運送用のパレットが散乱し、錆と朽ちた木の臭いが漂っていた。
羽柴は顔をしかめて、盛大に唾を吐き捨てる。
何だって自分はこんな辛気くさい場所に、人目を忍んで隠れるように来ねばならないのか。
背後に人の気配を感じたが、振り向きもせず、ざらついたコンクリート打ちっ放しの床を軽く蹴った。
「……お前等と一緒じゃ、バカンスにもならねえな」
言われた方にしても、好きこのんで元上官と海外逃亡したいわけはない。むっとした表情を、それでもすぐに隠して、律儀に「すみません」と頭を下げてみせた。
勇毅が高輪潮音荘に派遣した『お掃除部隊』の六人は、犯罪の痕跡を完全に隠蔽するために、元警察官らによって構成されたグループであった。警察の捜査手法を知り尽くし、警察在職経験を生かして、警察が使ってくるであろうあらゆる鑑識、科学捜査をくぐり抜ける隠蔽工作を迅速的確に行い、これまで河原崎親子を捜査の手から逃がしていたのだった。
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