モリウサギ

高村渚

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第五章 刑事たち、追い詰める

16

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 先程の成瀬との会話は、那臣の胸元のマイクを通じて、石川たちにも聞かせている。捜査員たちの目は一様に、獲物を視界にとらえた狩人の光を放っていた。頼もしい限りである。高い検挙率を誇る優秀な同僚たちの静かな熱気にうなずき、それから向かいのビルの陰へちらりと視線をった。
 スルガ珈琲店のお持ち帰りスイーツの袋が、ひょこんと揺れて消える。那臣は深々と、苦味成分満載の溜息を吐き出した。
「あいつは……帰ったら説教決定だ」
 不機嫌常態の直属の上官ならともかく、温厚そのものだった記憶しかない那臣のしかめっ面の原因を、背後のビルの主に対するものと思ったのだろうか。
 同意の念を込めるように、石川がドスの利いた低い声で話しかけてきた。
「しかし本当にあの成瀬がこんな事件のホシとは……。
 テレビのドキュメンタリー番組で、奴を見たことがあります。自身が主催するボランティア団体の慰問で訪れた病院で、難病に苦しむ女性を親身に慰めてましたよ、
 涙ぐんでさえいましたが、あれはとても演技には……」
 事前に共有した事件の状況に加えて、先程の会話である。
 石川にも成瀬がであると確信できたに違いない。
 世間が知る成瀬の人物像とあまりにもかけ離れた凶悪な事件に、首を捻ってうなる経験浅い捜査員の分析を、那臣は静かに否定した。
「一つの側面だけ見て人となりが全部判るわけじゃあないさ。
 インタビューや著作、関係者の評判を潰していくと、成瀬は性的に奔放ほんぽうな、性を売り物にする女に、異常なまでの嫌悪感を抱いてる節がある。
 ……厳格な家庭で育った品行方正な男には、たまにいるんだよ。セックスにだらしない女は処分するべき存在だと思っている、極端な正義感をこじらせた、狂った輩がな」
「……それで現場を買ってまでコロシですか……」
 凄惨せいさんな犯行にも慣れているはずの石川が、わずかに巨体を震わせた。
 自らの偏った価値観に操られ、何の落ち度もない一人の人間の命を奪う。達成感に酔いしれた殺人者の醜悪な表情を想像するだけで、吐き気すら覚えそうだ。
 そびえ立つビルを仰ぎ、石川は、隣の上官を見ることなく宣言した。
「必ず奴を上げてみせますよ、自分ら名波班に任せてください」
 いからせた肩から、見えない炎が立ち上っているかのようだ。
 それは、他の捜査員たちも同様だった。




 警察署は、何の後ろめたいところのない善良な市民にとっても、あまり喜んで日参したい場所ではない。すねに傷持つ人間なら殊更ことさら、視界に入るのすら御免被るといったところであろう。
 加えて、ちょっとお話を伺いたいなどと警察手帳を見せられ、刑事に同行されて殺風景な小部屋に案内された日には、警戒するなと言う方が無理な相談だ。
 ところが旅行代理店『王様の休日』元代表、長谷翔吾は、いたって愛想良く、特におびえる様子もなく雑談に応じていた。
 もっともそのリラックスした態度は、応対する刑事のユルさも手伝ってのことだろう。
「え~? 今、大人気の東欧でも、そんなに安く行ける裏ワザがあるものなんですね!」
「そうっすよ、刑事さんもどうすか? 俺もう仕事は辞めちゃったけど、お得なルート知ってるんで、紹介できますよ?」
「是非是非~!」
 前振りのはずの雑談で、市野瀬が何やら妙に意気投合してはしゃいでいる。今にも個人的に連絡先を交換しかねない勢いだ。
 恭士は片頬のひきつりを残したまま、あくまでするりと自然に、会話に加わった。 
「いいっすね、俺も是非と言いたいところなんですが、なかなかまとまった休みも取れなくてねえ」
「刑事さんってお仕事も、さぞかしお忙しいんでしょうね、お疲れさまっす」
 長谷は、如才ない笑顔を見せて、大げさに頭を下げてみせた。
 客商売に向いた、くだけた愛想のよさ、びた目つきの裏に、善良さと正反対のものを嗅ぎ取ってしまうのは、刑事の性というものか。
「東欧って、今、すごい人気なんですよね。そんな格安ツアー売り出してたら、大儲けだったんじゃないですか? 長谷さんお一人でやってらっしゃったなら、人件費もかからなかったでしょうし」
「いや~それほどでもないすよ。これはイケる!って企画も、思ったより売れなかったりするんすよね」
「おやめになったのはその所為ですか?」
「まあ、そうっすね」
「どのくらいの期間、やっていらっしゃったんですか?」
「結構短かったっすよ、あんまり儲からないって判ったんで、さっさと撤退したっつーか」
 長谷の語った期間は、みはやが探り出してきたホームページの開設期間と、さほど変わらなかった。簡単にボロを出すつもりはなさそうだ。
「じゃ、今はもう、自動車輸入代行だけで稼いでいらっしゃる」
「ええ、そうっす」
 事務机の相向かいに座る長谷に、恭士は、何気ない手つきで、一枚のプリントアウトされた写真を差し出した。
「こちらは、十月十一日に、JR大崎駅構内で行われたイベント風景を撮影した動画に映っていたものです。このチラシを配っている人物は、長谷さんですよね」
 長谷は全く動じる気配を見せなかった。
 写真を手に取ると軽く目を見開き、張り付いたような笑顔で、わざとらしく驚いてみせる。
「あ~これ俺っすね。やだなあ、写ってたんすかあ? カメラ来てたのは知ってたんすけど、恥ずかしいなあ。俺、カメラ写り悪いんすよね」
 へらへらと照れた素振りを続ける長谷を、恭士は正面から見据え、その視線を合わせた。
 トレードマークの軽い口調から一転、一段階声のトーンを落とすと、ひやりと冷気の漂う凄みが顔を覗かせる。
「このイベントは、若者の就労支援を目的に、厚労省の外郭団体が港区のイベント企画会社ケイ・シティ・オフィスに依頼し、開催されたものだった
 ……長谷さん、ケイ・シティ・オフィスとどのようなご関係で?」
 殊更に尚毅の会社名を重ねて問う。
 僅かな揺れも見逃さないぞと、照準を合わせられた長谷の瞳孔は、照れ笑いのまぶたで隠された。
「ああ、そんな名前の会社だったんすか? 全然知らなかったっすよ」
「知らなかったと?」
「はい。あんときは確か、知り合いの奴から、人足りないからちょっと手伝ってくれって、急に」
「知り合いですか。その方の名前は?」
「確か……カズって奴っす、本名は知らないっす」
「カズ。その男、ケイ・シティ・オフィスの社員ですか?」
「さあ、社員なのかただのバイトなのかなんて知らないっすよ。聞いてないんで」
「聞いてない、ですか」
「普通聞かなくないっすか? お前社員? それともただのバイト? とか」
 まあそうだ、と、恭士は苦笑して、横でテキストを打ち込む市野瀬に、ちらりと目を遣った。
「その方の連絡先を教えてもらえますかね」
「連絡先っつってもね……クラブで何度か顔合わせた程度なんで」
「その程度の知り合いだと。では、ケイ・シティ・オフィスの実質的な経営者である、河原崎尚毅のことはご存じですか」
 恭士は神経を集中させて長谷の気配を探ろうとした。
 しかし長谷の態度から、表だってこれといった戸惑いや動揺、怯えの感情は見て取れない。変わらずへらりとした笑みを浮かべて、首を傾げてみせただけだった。
「さあ……知らない名前っすね。社長さんすか? 当日来てた奴には、そんな名前の奴はいなかった気はしますけど……」
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