モリウサギ

高村渚

文字の大きさ
89 / 95
第六章 勝利の朝

9

しおりを挟む
 が、ちょっとした茶目っ気を出したその男は、わざわざ操縦席から降りはじめた。
「おい、勝手に待機を解くな」
 もう一人の男にたしなめらるのにも構わず、女の横に回り込む。
 そして彼女が乗り込めるよう手をさしのべた。
「どうぞお嬢さん、むさくるしい機内で申し訳ないが、安全運行には自信があります。快適なフライトをお約束しますよ?」
 アクション映画のヒーローよろしく、にやりと決めたつもりの笑顔に、女もヒロインのごときあでやかな微笑で応える。
「あら、頼もしいこと」
 女はすいと手を伸ばし男の手に触れる。
 その瞬間男の視界がひっくり返った。屋上の固いコンクリートに背中から落とされた男は、呼吸も出来ず悶絶した。
「でも私、自分で操縦出来ますので」
 にっこりと微笑み、返す手でスカートを跳ね上げる。
 もうひとりのパイロットがとっさに武器に手を伸ばす間もなく、太股のホルスターからモデルガンを引き抜き構え、男の顔に向かって撃ち放った。やや間抜けな炸裂音とともに、ハバネロエキス入りのカプセルがまともに男の両目を襲う。男は本日五人目のトウガラシ犠牲者となった。
 戦うホテルコンシェルジュ、品野立貴たつきは、軽く両手の埃を払ってみせた。
 屋上に配置された敵を排除し、逃走用のヘリを運行不能にしておくため、二十八階の窓から外壁を伝って、屋上へ侵入するという離れ業をやってのけた彼女であるが、その手腕をいかんなく発揮するまでもなかったようだ。
 ヘリのパイロットはあっさりと制圧出来、他に敵らしき人影もない。みはや風に言えば『美女工作員の無駄遣い』状態であった。
 三十階、三十一階、そしてこの屋上と、そこそこ派手な装備のそれなりの戦闘経験者が配置されていたようだが、本気で襲撃を警戒していなかったようにも感じられる。
 警備システムについてもそうだ。岩城が侵入した内部のネット構造も、勤務管理システムと半端な連携を噛ましていなければ防げたルートだ。
 警備員たちは、ことが起こっても右往左往するしかできずにいた。ろくなリーダーを雇っていなかったのだろう。
「……でも、そうよねえ。まさか警察が、ここまで攻め込んでくると思わないわよね、普通」
 半ば憐れみの表情を浮かべて、立貴は風にほつれた髪を指に絡めた。
 権力の頂点を極めたものは、自身の玉座が、無数の砂粒で形作られていることを忘れるものだ。
 まさかひとつの砂粒の反乱から、玉座そのものが崩壊するとは、夢にも思わないのだろう。
 風に舞い上がり聞こえてくる夜の街の喧噪けんそうに混じって、慌ただしい足音が屋上に近づいてくる。
 あのお人好しの砂粒が起こす逆転劇が、これからここで拝めそうだ。裏方は裏から見守ることにしよう。
 立貴は足音も立てずに排気塔の陰へと自らの姿を消した。


 ぎいと不快な音を立てて屋上の扉が開く。
 やや息を荒らげた尚毅が屋上へ走り出た。ヘリの姿を確認してわずかに片頬で笑みを浮かべたが、すぐに異変に気づく。
 二人のパイロットが屋上に転がり、一人はぴくりとも動かず、もう一人は顔を手で覆って悶え苦しんでいる。
 駆け寄り近づくと、二人とも、ヘリを操縦できそうにない状態であるのがすぐに判った。
 一瞬大きく目を見開き口をぽかんと開けた尚毅は、次の瞬間癇癪かんしゃくを起こし、コンクリートの地面に足を打ち付けた。
「何なの? 高い金貰って雇われておいて、どいつもこいつも役立たずばっかりじゃん」
 ごつごつと、痛覚を無視するかのように固い地面を蹴り続ける。
 追っ手が僅かに遅れて屋上に辿り着いてもその動作をやめることはなかった。
 那臣ら捜査員に袋小路に追いつめられたことにも気付いていないかのようだ。
 尚毅と、その周囲に、武器を持った仲間がいないか様子を伺いながら、捜査員たちは距離を詰める。
 市野瀬が至近距離まで近づき、身柄を確保しようと手を伸ばす。
 そしてうつむいた尚毅の横顔をのぞき込んで、思わず、その手を引いた。
 複数の銃口を向けられたその時でさえ、気丈に戦いに身を置いた市野瀬ですら、本能のレベルで近づくことを躊躇ためらうほどの凄まじい邪気。
 余人を圧倒する負のエネルギーを、尚毅の瞳は宿していた。
 市野瀬は、自らの身体の不可思議な反応に戸惑いながら、再び勇気を奮い立たせ、尚毅の左腕を抱え込むため身を近づける。その反対側から、恭士が助けるように腕を伸ばした。
 そのとき、ゆらりと尚毅が顔を上げた。
 離れてひとり立つ那臣ともおみの方へ首だけ向けて、清々しい声で宣言する。
「終~了、ゲームオーバーだあ。ざ~んねん、捕まっちゃった」
 その笑顔は、残酷なまでに無邪気で、罪という言葉を知らない子どもの表情だった。
 時間が凍り付いたように、捜査員たちは動けなくなる。
 すぐにその鎖を断ち切ったのは恭士だ。
「……ゲームだと? お前……」
 怒号を放って襟首をつかむ恭士に、尚毅はにこやかに語りかける。
「暴力は止めてよね。俺、もう降参してるんだから。大人しく捕まってる被疑者殴ったりしたら、ボーナスの査定に響くんじゃないの? 刑事さん」
「この……ッ!」
 恭士が逆上して、固めた右拳を振り上げた。それを那臣の静かな声が止めた。
「恭さん」
 恭士が大声でひとつ吠えて拳を下ろす。
 傍らの市野瀬も、歩み寄る那臣をつい睨みつけた。悲壮な瞳は、那臣を、正論をふりかざす臆病者と責めているかのようだ。
 手を伸ばせば届く距離にまで尚毅に近づくと、那臣は尚毅の目をしっかりと見据えた。
 尚毅は、あっけらかんとした笑顔を浮かべて那臣の目を見返してくる。その瞳の奥には、悪びれるという感情など、一筋も含まれていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

旧校舎の地下室

守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。

処理中です...