モリウサギ

高村渚

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第六章 勝利の朝

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「河原崎尚毅。連続女性誘拐殺人、それから元警察官ら殺害未遂の重要参考人として話を聞きたい。署まで同行します、いいですね」
 形通りの台詞に、尚毅の含み笑いが不快に被さる。
「……殺人て……俺、人なんて一人も殺してないよ? 元警察とかいう奴ら殺そうとしたのは伊武だし。女痛めつけて強姦って殺したいって変態趣味のおっさんに、楽して金稼ぎたいっていう馬鹿な女を紹介しただけ。
 あ、共犯になるんだっけ? 幇助ほうじょ? どっちだっけ? 
 まあいいやどっちでも。屁理屈だよねあんなの」
 軽い口調に、全身の血液が逆流し、肌が不快に泡立つ。
 下げた両の拳を、骨がきしむほど握りしめた。
 そんな那臣ともおみの様子を楽しむかのように、尚毅はさらに言葉を連ねていく。
「需要と供給をマッチングさせただけ、純粋にビジネスだよ。
 犯したのも殺したのも俺じゃないし、俺が段取りつけなくたってあのおっさんたちは同じ事してたんじゃないの? 
 それなのに俺まで殺人犯扱いとか、マジ巻き込むのやめてほしいよねって感じ?」
 悪魔のシステムを作り上げ、一人ひとりの命を、尊厳をモノ扱いして取引の場を提供した。十六人もの女性たちに悲惨な最期を迎えさせておきながら、まるで他人事だ。
 尚毅をにらみつける。その視界が、あまりの怒りに朱に霞む。
 どす黒い赤に染まっていく闇の中央で、闇に君臨する未だ年若い悪魔の王が、那臣にささやいた。
「ま、とりあえず負けは負けだから。
 俺死刑になるのかな? 
 執行の日まで犯した罪を振り返って反省して悔悟して……って」

 ひゃっははははは。

 尚毅の高笑いが、闇の世界に響きわたる。
 勝ち誇り、完全に正気を保ったままの瞳が、那臣を、那臣が那臣たるものを征服してくる。
「ばっかみたい、俺がそんなことすると思うんなら、あんた相当お目出たいよね。反省はさ、悪いことをしたと思ってる人がするものだよ? 
 俺は俺基準で、悪いことなんて何ひとつしたことはない。
 だから反省する必要はない。
 OK? 正義の味方さん」
 刹那、尚毅に向けて鋭い殺意の矢が放たれんとする。気を感じた那臣の腹から、咄嗟とっさに大きな怒号が発せられた。
「やめろ、みはや!」
 自分でも信じられないほど迷いのない制止だった。
「……どうしてですか? この悪魔をこの手で殺してやると、そう思ったんじゃありませんか?」
 排気塔の陰から銃を構えたみはやの声が、インカム越しに聞こえる。
 めた思考のまま、噴き上がる激しい感情が今、みはやの中で暴れていた。
 人として、欠片ほどの悔悟を覚えることのないまま自らの生に幕を引かんとする尚毅の魂を、このまま逃がしてよいのかと。理不尽に人生を奪われた彼女たちが振るうことなく終わった逆襲の刃を、このままび付かせ消し去ってよいのかと。
 それはそのまま那臣の怒りだ。そのはずだった。では何故自分は、自分が振り上げた拳を自ら押しとどめるのか。
 さらにみはやが畳みかける。
「……尚毅さんは、行為としての罪を認めはしても、悔い改めることはないでしょう。死刑の宣告を受けたとしても、絞首台の奈落に落ちるその瞬間まで、犠牲になった人たちへ一度も謝罪の言葉を口にすることさえないかもしれません」
 何故だろうか、みはやの声は震えていた。
 その感情の揺らぎは憤りや怒りではないように、那臣には感じ取れた。
 みはやらしくもない、今にも泣き出しそうな、心細さに戸惑うような声だ。
「……彼に、更正を期待しますか?
 彼にも、厳正な裁判と、拘置所での正当な処遇を約束するんですか?
 彼のために犠牲となった人たちの、ご遺族の悲しみはそれでいやされるんですか? 
 彼らの振り上げた拳の行き先など、どうなっても知らんふりですか?」
 まるで自分自身の救いを求めているかのようだ。みはやの声が、那臣を激しく問いつめてくる。
 那臣の内からも、同じ声がきこえてきた。
 あの過去の、尚毅の犯罪を立証することができなかった事件。犠牲となった女性の家族の内には、悲しみや諦めのその前に、燃えさかる怒りの感情があったはずだ。
 土下座して謝罪させても、死刑判決が下されても足りない、むしろ自身の手で八つ裂きにしてやりたいと、その心が那臣には痛いほど判っていたはずだ。
 そして今度も、殺された女性たち、彼女たちを大切に想う人たち、数え切れない人間の心が、尚毅を許せないと、この手で殺してやりたいと叫んでいる。その声が、銃を握ったみはやの指に宿っている。
 それを何故止めるのか。
 那臣は目を閉じて、ひとつ、ふたつ、息をする。
 己が何者なのか思い出すために。
 そして、ゆっくりと、自分を形作っているものの名を口にした。
「俺は、警察官だ」
「警察官だから」
 那臣の言葉を、みはやは繰り返す。
「警察官だから、犯人を殺してしまったら責められるから、ですか? 
 むしろ世論は好意的かもしれませんよ? 
 殺人罪で訴追されるから? あれだけの罪を犯した尚毅さんです。もしかしなくても裁判員は那臣さんに同情して減刑を望むでしょう。
 懲戒免職になるから? 那臣さんには何をいまさら、ですよね。
 これから警察内部も、勇毅さんのおかげで自分たちまであることないこと騒ぎ立てられ大変な迷惑を被ります。
 逆に拍手喝采、諸悪の根源をよくぞ殺してくれたと褒められたりするかも……」
「みはや」
 みはやの語る逃げ道を、那臣はそっと遮った。
 自らの退路を断たねば、自分が自分でなくなってしまう。
「俺は警察官だ、検察官でも裁判官でも死刑執行人でもない。
 事件を捜査し、被疑者を逮捕する、それがすべてだ」
「そう決まっているから、ですか?」 
 なおもみはやが確かめてくる。もうその声は涙でかすれていた。 
 姿の見えない、でもそこにいて繋がっている相棒の、同志の、そして自らの背を叩くように、那臣は微笑してみせた。
「決めたのは仲間だ。『仲間で決めた仲間のルールは守る、たとえ神が異論を唱えても』。だろう? 違うのか、みはや」
 那臣とみはや、二人を繋ぐ一冊、『ヴァルナシア旅行団』の台詞を唱える。
 迷いはなかった。
 両横の恭士と市野瀬を促す。
「さあ、署へ連行しますよ」
 我に返った恭士と市野瀬が、ぎこちない動作で尚毅を屋上の扉へと連れていこうとした。すれ違いざま、尚毅がなおも楽しげに那臣を挑発してきた。
「何、何? 何の話だったの? なんか香ばしすぎて臭ってきそうな会話じゃん? 
 刑事さん、もしかして厨二?」
 恭士と市野瀬の殺気と、それから尚毅の冷笑を、那臣は、信念という強い力を持つ声でまとめて黙らせた。

「河原崎尚毅、お前も『仲間』だ。そういう話だよ」

 尚毅の笑みが、一瞬ひるんだ。 
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