あいつだけは敵に回さないほうがいい

星上みかん(嬉野K)

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まぁ……あれだ……

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「何年くらい前だったか……5年くらいだったと思うが……まぁ年数なんてどうでもいい」

 どうでも良くはないと思う。だけど、主人がどうでも良いと言うのならそれでいいのだろう。

「当時、俺には息子がいた。名前はチハヤ」

 息子が、か。過去形であることを考えると……

 って、ちょっと待て。息子?

「……結婚してない、って言ってませんでしたっけ?」
「そんなこと言ってないぞ。ただ、見る目のないやつだって言っただけた」

 少し前の会話を思い出す。『あんた、俺が結婚してるように見えるか?』みたいな問に、私は『ちょっとだけ』と答えたのだった。それに対し主人は『見る目のないやつだな』と返答した。

 ……それは『ちょっとしか結婚してないように見えるとは、見る目のないやつだな』ということか。俺は結婚してるのに、ちょっとだけとは何事だ、ということだったのか。
 
 紛らわしいにもほどがある。おかげで勘違いしていた。

 とにかく、と主人は話を進める。

「俺の息子チハヤはヴァイオリン……チェロだっけ? いや……コントラバス? まぁなんでもいいが、楽器をやってたんだよ」

 もっと息子に興味を持ってやれよ。楽器の名前くらい覚えておいてほしい。

「だが、チハヤは内気で弱気な奴でな。自分ひとりで黙々と練習してるだけで、演奏会とかに出たことはなかった。俺はそれを常々もったいないと思っていて、演奏会に出てみないか?とか誘っていたんだが……まぁ断られてたわけだ」

 ふむ……チハヤさんは結構演奏がうまかったみたいだな。だが、それを人前で披露するのには、性格上無理があったわけだ。

「あいつの演奏を望んでたのは俺だけじゃないぞ。あいつの音色を聞いた事がある人間は、全員が思ってた。チハヤの演奏を多くの人に聞いてもらいたいってな」

 それほど、魅力的な演奏だったのだろう。魅力的な人物だったのだろう。

「そんで……チハヤには楽器仲間がいたんだ。チハヤにとって親友でクラリネットを……いや、フルート? リコーダーだったか……とにかく笛を吹いてる友達がいたんだ」

 どうしても楽器は覚えられないんだな。

「ま、そいつは大してうまくなかったんだがな。というかド下手だったんだが、とにかくチハヤと仲が良かった」

 ド下手……どんだけ下手だったんだ。それとも主人の親バカか? 自分の息子であるチハヤさんと比べて、という話か?

「そいつの名前が、ソラっていうんだ」
 
 なるほど……そんな気はしていた。

「当時のソラは熱血漢で友達思いで……まぁいい奴だったよ。ポンコツだったけどな」

 熱血漢……? そんなソラさんの姿は、今のソラさんの姿からは想像できない。冷めきっているようにしか見えないのだ。どちらかというと、ポンコツというのは納得できるけれど。

「当時のソラは喋れたんだ。だが、とある事件があって喋れなくなった。喋らなくなったのか、喋れなくなったのかは、俺はしらんけどな」

 事件ねぇ……声を失うほどの事件か。

「ソラも、うちのチハヤの演奏に惚れ込んだうちの一人だった。そんで、その音色を多くの人に聞いてもらいたいと思っていた。まぁ、俺と一緒だな」

 どれだけ素晴らしい音色だったのだろう。私も聞いてみたかった。主人の口ぶりからすると、もう聞けないだろうから。

「それで……ソラはチハヤの背中を押すわけだ。きっとうまくいくから、演奏会に出てみないかと」

 ああ……なるほど。なんとなく想像できた。事の結末が。

「そんで、チハヤは親友の頼みなら、と演奏会に出ることを決めたわけだ。そっからは……まぁあれだ。期待されてた奴だからな、大規模になっていったんだ」
「大規模……ですか」
「ああ。チハヤが演奏会に出ると知った人が、その演奏会を大規模なものにしようと画策した。運営側からすれば、金づるだからな。まぁいろんなお偉いさんやら、大勢の観客やら、寄せ集めたわけだ」
 
 ああ……想像できてしまった……私は大勢に注目されるのは嫌いじゃないほうだが、それでも心臓が震えるであろう状況。その状況に、チハヤさんは立たされることになった。

「そんな状態になって、チハヤは当然尻込みした。やめたいって泣き言を言ったりもしたんだが、そこを支えてくれたのがソラだったわけだ」

 支えてくれた、か。おそらくチハヤさんの……息子の人生に多大な影響を与えたであろう出来事に対して、そう言えるのか。優しい人なんだな、この主人は。

「きっと大丈夫だから頑張ろうって声をかけてもらって、チハヤは舞台に上がった」
「……」
「結果はお察しの通りだ」

 大失敗、だったのだろう。いや、本当は成功と言える成果だったのかもしれない。だが、チハヤさんが失敗したと思ってしまった。当の本人がそう思ってしまった。そうなれば、本来の結果など意味をなさない。

「それを気に病んだチハヤは……まぁ……あれだ……」
「いいですよ、言わなくて」
「……悪い……」
「いえ……」

 そんな苦しそうに話されても、こちらが困るだけだ。
 実の息子の死に様なんて、親としては語りたくないだろう。
 きっと、チハヤさんは自殺してしまったのだ。自分の失敗に耐えられなくて、この世を去ってしまったのだろう。

 ……人間関係って、本当に難しいな。誰も悪くない。誰にも悪気はない。誰もが他人の幸せを願っていた。にもかかわらず、結果は最悪だった。

 これだから……人生はわからない。どうしたらいいか、わからない。
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