19 / 48
19 松さんと馨さん
しおりを挟む
オフモードの課長の飲みっぷりに少しばかり唖然としてから、はっとして私もグラスに口を付けた。
その後、次々と出てくる料理の美味しさを味わいながらカウンター内の二人を紹介してもらう。
店主が松さん。その奥さんが馨さん。二人きりで営んでいるこの居酒屋で近所の人を相手に細々と自由に商売をしているらしい。
課長は入社してすぐの時期にこの店を見つけ、それから忙しい仕事の合間を縫って通っているとか。
二人の気さくさと、いつの間にかお客の増えた店内の陽気な雰囲気によって、課長と2人で飲んでいるという緊張は薄れて自然とその場の空気を楽しむ余裕が生まれる。
会社から駅とは逆方向にあるこの店は我が社の社員が来ることもなく、(二面性のある)課長にとっては一人で気軽に飲める隠れ家的スポットなのだそうだ。
そんな店を私なんかに紹介もよかったのだろうか、と思いはした。
けれど私はすっかり店の雰囲気に染まって、いつの間にか松さんと馨さんに「陸ちゃん」などと呼ばれるようになり、かなり陽気になっていた。
おしゃべりの話題は尽きることなく、調子に乗って普段の課長の様子を話すと松さんも馨さんもとても興味深げにしたので、さらに口が滑べる。
「課長ったら仕事中は全然笑わないんですよ。いつも眉間に皺寄せて、皆にすごく恐れられてます」
「はー、恭介が厳しいのはなんとなくわかってたが、なんだか陸ちゃんの言ってる感じのイメージはなかったな」
「しょうがないじゃないっすか、俺はまだ31歳っすよ。平社員にはじめは馬鹿なやり取りだってしてた同期だっているんだ。どうにか威厳を出さなきゃって俺がどれだけ苦労してきたことか」
「確かに恭ちゃんの年齢で課長さんなんて大きな会社じゃ滅多にいないものね。年上の部下なんて沢山いるでしょ?」
「確かに…年上の部下もいっぱい居ますね。大変そう」
「お前、今更それに気が付くのか。気が付いたならもっと俺を敬え」
「何言ってるんですか。仕事中にこれでもかっていうくらい敬ってるじゃないですか。というか、仕事中に課長に逆らうなんて恐いこと誰もできません」
「あら、陸ちゃんみたいな女の子にも厳しいの?」
「厳しいなんてもんじゃないですよ。というか男女差別はうちの課には良い意味でも悪い意味でも無いんで」
「まあ、川瀬しか女はいないからな。女として気を使わなきゃいけないようなやつは一課にはいらない」
「恭介の職場には女は陸ちゃんしかいねえのか?」
「はい。他の課には沢山いるんですけど」
「うちじゃ普通の女は仕事はできないからな」
「まるで私が普通の女ではないとおっしゃているように聞こえますが?」
テンポの良い会話はとても心地が良かった。しかし、聞き捨てならない言葉には敏感に反応してここぞとばかりに掘り下げる。これもお酒の力があってのことだ。
女の身方は女ということで馨さんも私に同調して課長の言葉を非難する。
「恭ちゃんったら女の子にそういう言い方はダメよ。陸ちゃんみたいな美人で頑張り屋な女の子だからやっていけるんだって素直に言わなくちゃ」
「いや、そこまで言って欲しいわけでは。美人じゃないですし」
馨さんはその仕事柄やたらめったら私のことを褒めてくれる。社交辞令だとは分かっているし、嬉しいといえば嬉しいのだけれど、見た目のこととなるとこそばゆい。
さり気なく褒め攻撃にストップをかけようとしたのだけれど、馨さんは止まらなかった。
「あらやだ陸ちゃん、折角美人さんなんだから営業のお仕事なのに自分の容姿をわかっていないのはダメよ。恭ちゃんなんて自分のイケメンっぷりを利用して、お仕事相手が女性だったらとことんメロメロにさせてきたんだから」
「とことんメロメロ…」
「ちょっと馨さん、なんちゅーことを言うんですか」
慌てた課長をだったが、他の客の料理を準備しながら松さんがぼそりと呟いた言葉に追い打ちを掛けられる。
「確かに昔の恭介は女が相手だったらどんな仕事も取ってこれる、なんて言ってたなぁ」
「うわ、課長ってナルシストだったんですね」
「松さん、変なことを思い出さないでくださいよ。あんなの冗談で言ってたに決まってるじゃないっすか。それに、それを言うなら川瀬だって大したもんだぜ。無自覚だけど」
「あら、やっぱり」
馨さんが嬉しそうに両手を胸の前で合わせる。
一方私は急に引き合いに出され訝し気に課長を見やる。
「何のことですか? 私はナルシストじゃないですよ」
課長はふんと鼻を鳴らした。
「俺だってナルシストなんかじゃねーよ。そうじゃなくて、お前取引先の男にしょっちゅう飲みに誘われてるらしいじゃん」
「……誰から聞いたんですか、そんなこと」
確かに取引先の担当者に食事やら飲みやら誘われることはあるといえばある。
けれどもそれこそ社交辞令。私じゃなくても仕事相手として気に入って貰えればよくある話のはず。
そう口にすると「ほらやっぱり無自覚」と人を小馬鹿にするように唇の端を上げた。
イラッとしたので何か言い返してやろうとしたが、その前に課長が笑みをより深くした。
「それになんてったって、内の課で一番いい男に言い寄られているんだからな」
私ははっとして課長を見る。
課長は頬杖をついてニヤリとこちらを眺めるようにしている。
何が『一番いい男』だ。
「またそういう冗談言って…」
冷たい視線を送ると「冗談じゃないけどな」と余裕の表情だ。
何を言っているんだか。
そもそも私は誰にも言い寄られてなんていない。
タチの悪い上司にからかわれているんだ。
そうに決まってる。
これ以上ナルシストに付き合っている暇はない。
話を掘り下げてきそうなカウンター越しの二人の意識を他に持って行くため、不自然なほど思いっきり話題を変えた。
その後、次々と出てくる料理の美味しさを味わいながらカウンター内の二人を紹介してもらう。
店主が松さん。その奥さんが馨さん。二人きりで営んでいるこの居酒屋で近所の人を相手に細々と自由に商売をしているらしい。
課長は入社してすぐの時期にこの店を見つけ、それから忙しい仕事の合間を縫って通っているとか。
二人の気さくさと、いつの間にかお客の増えた店内の陽気な雰囲気によって、課長と2人で飲んでいるという緊張は薄れて自然とその場の空気を楽しむ余裕が生まれる。
会社から駅とは逆方向にあるこの店は我が社の社員が来ることもなく、(二面性のある)課長にとっては一人で気軽に飲める隠れ家的スポットなのだそうだ。
そんな店を私なんかに紹介もよかったのだろうか、と思いはした。
けれど私はすっかり店の雰囲気に染まって、いつの間にか松さんと馨さんに「陸ちゃん」などと呼ばれるようになり、かなり陽気になっていた。
おしゃべりの話題は尽きることなく、調子に乗って普段の課長の様子を話すと松さんも馨さんもとても興味深げにしたので、さらに口が滑べる。
「課長ったら仕事中は全然笑わないんですよ。いつも眉間に皺寄せて、皆にすごく恐れられてます」
「はー、恭介が厳しいのはなんとなくわかってたが、なんだか陸ちゃんの言ってる感じのイメージはなかったな」
「しょうがないじゃないっすか、俺はまだ31歳っすよ。平社員にはじめは馬鹿なやり取りだってしてた同期だっているんだ。どうにか威厳を出さなきゃって俺がどれだけ苦労してきたことか」
「確かに恭ちゃんの年齢で課長さんなんて大きな会社じゃ滅多にいないものね。年上の部下なんて沢山いるでしょ?」
「確かに…年上の部下もいっぱい居ますね。大変そう」
「お前、今更それに気が付くのか。気が付いたならもっと俺を敬え」
「何言ってるんですか。仕事中にこれでもかっていうくらい敬ってるじゃないですか。というか、仕事中に課長に逆らうなんて恐いこと誰もできません」
「あら、陸ちゃんみたいな女の子にも厳しいの?」
「厳しいなんてもんじゃないですよ。というか男女差別はうちの課には良い意味でも悪い意味でも無いんで」
「まあ、川瀬しか女はいないからな。女として気を使わなきゃいけないようなやつは一課にはいらない」
「恭介の職場には女は陸ちゃんしかいねえのか?」
「はい。他の課には沢山いるんですけど」
「うちじゃ普通の女は仕事はできないからな」
「まるで私が普通の女ではないとおっしゃているように聞こえますが?」
テンポの良い会話はとても心地が良かった。しかし、聞き捨てならない言葉には敏感に反応してここぞとばかりに掘り下げる。これもお酒の力があってのことだ。
女の身方は女ということで馨さんも私に同調して課長の言葉を非難する。
「恭ちゃんったら女の子にそういう言い方はダメよ。陸ちゃんみたいな美人で頑張り屋な女の子だからやっていけるんだって素直に言わなくちゃ」
「いや、そこまで言って欲しいわけでは。美人じゃないですし」
馨さんはその仕事柄やたらめったら私のことを褒めてくれる。社交辞令だとは分かっているし、嬉しいといえば嬉しいのだけれど、見た目のこととなるとこそばゆい。
さり気なく褒め攻撃にストップをかけようとしたのだけれど、馨さんは止まらなかった。
「あらやだ陸ちゃん、折角美人さんなんだから営業のお仕事なのに自分の容姿をわかっていないのはダメよ。恭ちゃんなんて自分のイケメンっぷりを利用して、お仕事相手が女性だったらとことんメロメロにさせてきたんだから」
「とことんメロメロ…」
「ちょっと馨さん、なんちゅーことを言うんですか」
慌てた課長をだったが、他の客の料理を準備しながら松さんがぼそりと呟いた言葉に追い打ちを掛けられる。
「確かに昔の恭介は女が相手だったらどんな仕事も取ってこれる、なんて言ってたなぁ」
「うわ、課長ってナルシストだったんですね」
「松さん、変なことを思い出さないでくださいよ。あんなの冗談で言ってたに決まってるじゃないっすか。それに、それを言うなら川瀬だって大したもんだぜ。無自覚だけど」
「あら、やっぱり」
馨さんが嬉しそうに両手を胸の前で合わせる。
一方私は急に引き合いに出され訝し気に課長を見やる。
「何のことですか? 私はナルシストじゃないですよ」
課長はふんと鼻を鳴らした。
「俺だってナルシストなんかじゃねーよ。そうじゃなくて、お前取引先の男にしょっちゅう飲みに誘われてるらしいじゃん」
「……誰から聞いたんですか、そんなこと」
確かに取引先の担当者に食事やら飲みやら誘われることはあるといえばある。
けれどもそれこそ社交辞令。私じゃなくても仕事相手として気に入って貰えればよくある話のはず。
そう口にすると「ほらやっぱり無自覚」と人を小馬鹿にするように唇の端を上げた。
イラッとしたので何か言い返してやろうとしたが、その前に課長が笑みをより深くした。
「それになんてったって、内の課で一番いい男に言い寄られているんだからな」
私ははっとして課長を見る。
課長は頬杖をついてニヤリとこちらを眺めるようにしている。
何が『一番いい男』だ。
「またそういう冗談言って…」
冷たい視線を送ると「冗談じゃないけどな」と余裕の表情だ。
何を言っているんだか。
そもそも私は誰にも言い寄られてなんていない。
タチの悪い上司にからかわれているんだ。
そうに決まってる。
これ以上ナルシストに付き合っている暇はない。
話を掘り下げてきそうなカウンター越しの二人の意識を他に持って行くため、不自然なほど思いっきり話題を変えた。
0
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜
白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳
yayoi
×
月城尊 29歳
takeru
母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司
彼は、母が持っていた指輪を探しているという。
指輪を巡る秘密を探し、
私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。
【完結】育てた後輩を送り出したらハイスペになって戻ってきました
藤浪保
恋愛
大手IT会社に勤める早苗は会社の歓迎会でかつての後輩の桜木と再会した。酔っ払った桜木を家に送った早苗は押し倒され、キスに翻弄されてそのまま関係を持ってしまう。
次の朝目覚めた早苗は前夜の記憶をなくし、関係を持った事しか覚えていなかった。
出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜
泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。
ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。
モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた
ひよりの上司だった。
彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。
彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……
ワケあり上司とヒミツの共有
咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。
でも、社内で有名な津田部長。
ハンサム&クールな出で立ちが、
女子社員のハートを鷲掴みにしている。
接点なんて、何もない。
社内の廊下で、2、3度すれ違った位。
だから、
私が津田部長のヒミツを知ったのは、
偶然。
社内の誰も気が付いていないヒミツを
私は知ってしまった。
「どどど、どうしよう……!!」
私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
定時で帰りたい私と、残業常習犯の美形部長。秘密の夜食がきっかけで、胃袋も心も掴みました
藤森瑠璃香
恋愛
「お先に失礼しまーす!」がモットーの私、中堅社員の結城志穂。
そんな私の天敵は、仕事の鬼で社内では氷の王子と恐れられる完璧美男子・一条部長だ。
ある夜、忘れ物を取りに戻ったオフィスで、デスクで倒れるように眠る部長を発見してしまう。差し入れた温かいスープを、彼は疲れ切った顔で、でも少しだけ嬉しそうに飲んでくれた。
その日を境に、誰もいないオフィスでの「秘密の夜食」が始まった。
仕事では見せない、少しだけ抜けた素顔、美味しそうにご飯を食べる姿、ふとした時に見せる優しい笑顔。
会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。
これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる