不可視の糸 ~剣を持たない田舎娘が皇太子の護衛を目指した結果の革命譚~

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第一章 護衛になりたい田舎娘

9.護衛を目指す娘

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「無礼者。許しもなく口を開くな」

 勢いあまって自分が許可なく話してしまったことに気が付いたレオーナは慌てて開いたままになっていた口を閉じる。反射的に指摘をしてきたダジルに視線を向けると、深い眉間の皺が目に入った。アウルやテッドと同世代であろう顔が警戒心剥き出しの目で睨みつけてくる。筆頭補佐官であり優秀なアウルの右腕だと把握はしていたが、その性格までは皇城外ではわからない。気難しそうな印象だが、皇太子の側近が皆テッドのようなタイプの人間でも困ってしまう。ここは大人しくアウルからの発言許可を待とうと、視線を正面に戻した。すると、そこには不可解そうな表情があった。

「護衛になりたいと主張していることはテッドから聞いて知っている。女の身で職を得ようとする者が護衛を目指すというのは、いささか常軌を逸しているように思えるが」

 デューアの女は家庭に入って家を守り子を育てるのが一般的であり、家の外へ出て職を求める者は少ない。アウルでなくともデューア国民ならばレオーナは異常と見なされて当然だった。

 デューアの働く女は基本的二種類に分けられる。仕方なく働くか、働きたくて働くかだ。レオーナが世話になっていたカロナは前者に当てはまる。夫の病や死によって家計を支えるために止む無く働く女は、強者主義の思想からは働かなくては生きていけない下級な者と見なされる。結婚の適齢期を超えた女がする労働は神が与えた前世や今世での行いの贖罪と考えられるからだ。

 一方若い娘は違う。ホリーの場合は家計を助けるためという理由もあるだろうが、若い娘は基本的に自ら望んで働く。彼女達の目的は条件のよい結婚相手を探すこと。女の地位は父親もしくは夫の地位で決まってしまう。よって婚礼前の若い娘が自らの未来を切り開く唯一のチャンスが結婚であり、相手によって女の人生は大きく左右される。より地位の高い男を求めて娘達は都市や城で働きたがり、滞在費やめかし込む為に金を稼ぐのだ。なので、華やかで人と交流が多い仕事が好まれる。とは言え、酒場でレオーナに絡んできたような徹底した強者主義者は弱者と認識している女が働く姿を嫌うため、職場選びは難易度が高い。若い娘達は良い働き口を探すために時には家族ぐるみで奔走する。そして、若い女性が働いているとなれば、その娘が良縁を求めていますと看板を背負っているようなもの。レオーナもジフのところで働いている時に男に何度か声を掛けられたこともあったし、中央門の前に座り込んでいるときも「皇太子の嫁になるのは無理だ」なんて軽口を何度も掛けられたりもした。

 ただ、レオーナは条件の良い結婚相手を探し出したいなどという野心はないし、家計の為に泣く泣く働いているわけでもない。それをそのまま伝えるとアウルは特に驚いた様子もなく一つ頷くと、新たに疑問を口にする。

「しかし、見たところ護衛が務まるようには見えん。そもそも、何故俺の護衛などになることを望む?」

 心底不思議そうに想定内の疑問を投げられる。確かにレオーナは女同士で比べればかなり筋肉もあるし、長身の部類に入るが、相手が男だったら商人と比べられたとしても線が細い。

「私は皇太子殿下のお役に立ちたいのです。そしてお側に仕えるには護衛になるしか今の私には選択肢がありませんでした」

「そんなことはなかろう。側に仕えることが望みならば、まず女中になって侍女を目指す方が現実的に思えるが」

「女中になるための試験は五年前に受けました。最終面接直前までいきましたが、試験の責任者だった方の理不尽に歯向かったら、二度と試験を受けられなくされてしまいました」

「……何故、歯向かった?」

「年齢が成人に満ちていないことと、田舎者だから教養も常識もないと決めつけられ最後の面接を受ける資格はないと突然弾かれそうになったので、反論しました。そこで説得出来たのならよかったのですけれど、途中で唯一私を庇ってくれた他の受験者にその責任者が物を投げ、怪我を負わせました。にもかかわらず謝りもしない態度に腹が立ってしまって。……こんな試験二度と受けるかと啖呵を切ってその場を後にしてしまいました。その際に受験資格を永久に剥奪されることに」

 テッドから笑って吹き出した気配がした。一方正面のアウルは「なるほど」と一言うと、ダジルに目配せを一つした。するとダジルは少し不服そうにしながらも頷いて、胸ポケットの内側から取り出した手帳に何やら書き出していた。アウルはそんなダジルの様子を確認するとレオーナに問いを重ねる。

「女中への道がそこで閉ざされたとしても、護衛を選ぶにはまだ早い。女ならば肉体労働が基本の護衛より、文官の方が目指しやすかったのではないか?」

「文官を目指すべきだと考えた時期もありました。けれども、適性がなかったのでやめました」

「適性がない、というと?」

「興味のない内容の文字を読んでいると眠くなります! 知識のある大人に帳簿などの資料を読ませてもらって、教えを乞うたこともありました。ただ、何度教わっても意味がわからないことばかりでした! 頭を使うより体を動かす方が性に合うのは幼いころからだったので、文官への道は諦めました!」

 何の自慢にもならない情けない話を堂々と口にすると、とうとうテッドの口元が噴火した。

「素直過ぎるっ! 自分が馬鹿だってことをこんなに堂々と宣言する人初めて見た!」

「うるさいぞ! それに、ずっとニヤニヤして落ち着きがなさ過ぎる!」

 ダジルが苛立った様子で嗜めるが、テッドは態度を変えようとはしなかった。

「いや、無理だね。こんなの笑わずにいられないよっ。レオーナの話はいつ聞いても面白いけど、今回はピカイチだね!」

「得体の知れない女に対する警戒心が低過ぎる。護衛なのだからもっと警戒しろ!」

「確かに得体は知れないけどね。これでも一応警戒はしてるんだけど、それも馬鹿馬鹿しくなってくるくらい害意のかけらも感じないなぁ。そもそも危険だと判断した相手だったらここまで通してないし」

「お前の目が節穴って可能性だってある!」

「はははっ、それは失言だなぁ。なら俺を護衛に選んだ方の目も節穴って事になる」

「なっ!? 不敬だぞ!!」

 飄々とし続けるテッドに掴み掛かる寸前のダジル。二人のやりとりを目を白黒させながら見上げていたレオーナの耳に鶴の一声。

「二人とも、その辺にしておけ」

 アウルの淡々とした指摘とテッドのあっさりとした謝罪。ダジルはテッドと同列に扱われたことに心外だと言わんばかの表情を浮かべたが、すぐに生真面目に形式ばって頭を下げる。アウルと側近達の人間関係が何となしに察せられる様子に見入っていたレオーナだったが、アウルの声に直ぐに視線を正面に移す。

「文官を諦めた経緯はわかった。それでも俺は納得が出来ない。お前に剣が扱えるのか?」

「いいえ。私に剣は殆ど扱えません」

「剣が扱えない人間が護衛になれるはずがないだろう!!」

 事実を述べたらダジルが声を荒げた。それまでと比べようのないほどの剣幕に顔色を窺えば眉を吊り上げている。対してレオーナは黙って発言の許可が降りるのを今度は律儀に待つ。すると、アウルがダジルを一瞥した後に問うた。

「剣が扱えぬのに、護衛になりたいと望むのか?」

「はい。剣は全く扱えぬわけではありませんが、男の刺客相手に皇太子殿下を護るほどの実力はありません。ただ、私には――」

「ふざけるな!! 無知な田舎娘が護衛になりたいなどと思い上がるのもいい加減にしろ!! アウル様、時間の無駄です! まだまだやらねばならぬ執務は残っているのですから、こんな無意味な面会など早々に切り上げて戻りましょう!」

 もの凄い勢いでまくし立てられ、レオーナは面食らう。非常識な自覚は元よりあったが、剣技の有無がここまで重要視されるとは思っていなかったのだ。他の技術で護衛能力を補填できる自信があったのだ。だから、どうにかそれを伝えようと試みるが、ダジルは剣が使えないのに護衛を目指していたレオーナが許せないらしく、とりつく島もない。このままではアウルではなく、ダジルによって夢を絶たれそうな雲行きを感じ大いに焦り始めた時だった。

「確かにダジルが言うように俺は暇ではない。ついつい好奇心が先行して、時間を費やしてしまったが、最も重要な確認をまだしていなかったな」

 アウルは立ち上がるとゆっくりと歩み出す。ダジルの前を通り過ぎ、護衛としてレオーナにいつでも剣を向けられる間合いに立っていたテッドを片手一つでその場にとどまる様にと命じ、レオーナの目前に立った。かと思うと、なんの躊躇もなくしゃがみ込み、レオーナと視線の高さを合わせた。

「俺の護衛になって、何を望む。何をしたい。その先に何を見ている」

 至近距離で見る紫紺の瞳は、過去に目にしたそれよりもより強い光を宿しているように見えた。

 しゃがみ込む動作の中で大きな手が腰の剣の柄を握るのが視界に入った。信用されているわけではない。いつでも首を刎ねることが出来るのだと見せつけられたのだとすぐに理解した。

 言外で脅しつつ、その口では目的を語れと命じる。嘘偽りが通用すると思うなよ、と紫紺の瞳が何もかも見透かすような強い眼差しでレオーナを射る。まるで、強力な魔物と対峙して進退窮まった時のよう。動悸がして呼吸が浅くなる。

 さすが『腑抜け』と同時に『最恐』とも呼ばれ、恐れられる人。

 レオーナは冷たくなりそうな指先をぎゅっと握り込む。そして、いつかと同じように紫紺の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

「殿下のお役に立つことで、殿下が望む世界を作る一助になりたい。ただ、それだけです」

 強い信念を込めて発した言葉にはこの一瞬だけではなく、レオーナの長年の想いがのっていた。

 故郷でこの世を呪ったあの日から足掻くように歩き続けた結果、たどり着いたのがこの場所だ。

 アウルが自らの事を覚えているかはわからない。けれども、それはどうでもよかった。アウルがレオーナを覚えていてもいなくても、その行いと業績があの日交わした誓いを守り続け、同じ想いを胸に抱え続けていると教えてくれたから。

 他力本願なことは百も承知で、自分には成し得ない偉業をアウルならやり遂げられると信じられた。だから、ほんの少しでも助けになりたい。アウルの側に仕えることで、その心身を守り支えることが出来れば本望だ。その一心でレオーナは常識を捨てて女の身で護衛になることを望み、その術を手に入れた。

 命をかけてでも、役に立つと決めたのだ。

「私に護衛をやらせてください」
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