【R18】傭兵閣下と青い血の乙女

七鳩

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1.血濡れの初夜

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 寝室は、あたたかかった。
 石造りの城では意外だった。思わず涙が出そうになったけれど、頭を振って鏡を見る。今日夫となった男に、美しい顔を見せたかった。

 初夜だった。
 一生で一回きりの夜なのだと解っていた。エウリッタの父、ジョナルダ伯爵は、この日のために娘を仕込んだ。

「花嫁修業3年のところを1週間で仕上げてやる。ありがたいだろう」

 ジョナルダ伯爵はそう言って、実の娘であるエウリッタに3人の男娼を付けた。
 エウリッタは、7日間、毎晩、3人の男たちに純潔を奪われないままで性技を教え込まれた。だから寝不足だ。男の体温が、少し、いやかなり、嫌いになっていた。

 エウリッタは鏡を見つめる。
 真鍮の鏡台はごてごてと飾りがついている。夫の趣味なのか、夫の前に城の主だっただれかの趣味なのかわからなかったが、エウリッタは映し出された自分の顔を凝視する。
 プラチナブロンドの髪は、城の召使が二人がかりで櫛を通した。まっすぐ落ちて肩を覆っている。後ろは、立ち上がると尻のあたりに毛先が揺れるほど長かった。
 湯を上がって30分は経ったはずだが、肌がほんのりと淡い。緊張のせいかもしれなかった。
 そして、自分を見返す、ローズゴールドの瞳。
 庶子のくせに、エウリッタは、ジョナルダ伯爵の色彩をすっかり受け継いでいた。
 プラチナの髪色とローズゴールドの瞳の色は遺伝しにくい。子供の中でも、長男とエウリッタしか纏わない。
 長男は、正室との間に生まれた由緒正しい血筋の子供だから、エウリッタが同じ色素を持っていることは、周囲の嫌悪を煽り、彼女自身をいっそう苦しめるだけのものだった。
 父の遺伝子という呪いのような色を見ているのは気が滅入って、エウリッタは鏡から視線を逸らした。

(夫はまだなのかな)

 閉じたままの扉へ目を向ける。
 結婚式を挙げた今日、エウリッタは初めて夫となる男に会った。
 昼は、その男の領民たちに見守られながら、城下町でささやかな式を挙げた。それが終わると、男の城で宴があった。今日初めて見る石の城で、今日初めて会う男の重役たちに囲まれて、自分を知る人間がいっさいいない宴で、エウリッタは微笑んでいた。
 やがて時が満ちたらしく、召使たちがエウリッタの退席をうながした。
 夫は宴に残った。エウリッタは、見知らぬ召使たちに囲まれながら、湯あみをし、香油を肌に塗りこめ、髪を梳き、化粧をし、薄いけれど手触りのいい夜着をまとい、寝室で夫を待たされることになったのだった。

 宴はまだ続いている。
 一階の大広間の騒ぎが三階の寝室まで響いてくる。男たちの笑い声。娼婦たちの喘ぎ声……。石で出来た城では音がよく響く。
 娼婦を結婚式に招くというのは聞いたことがない。
 だけど、エウリッタは結婚式に一度も出たことがないから、知らないだけかもしれない。

 それか、傭兵ならではなのだろうか。娼婦たちがもてなしているのだろう、夫の重役たちの殆どは、夫が自らの部隊から引き抜いてきたと聞いている。
 だとしたら、夫は寝室に来るのだろうか?
 娼婦と寝るのではなかろうか? 初夜だし、新妻の元に来ると思いたいが、どうなのだろう?
 エウリッタは、夫のちょっとややこしい素性のことを考える。

 ロドニス・シャンティー。
 それが今の夫の名だ。
 シャンティーという名がついたのは3年前のことだった。それ以前、傭兵だった頃は、ただのロドニスだった。平民は苗字が無いのだ。
 夫は、3年前、騎士の称号と、子爵という爵位、そしてシャンティー領という片田舎の領土を国から賜って、貴族社会に仲間入りした。傭兵時代に打ち立てた戦果の褒美だったそうだ。
 いや、褒美はもう一つあった。
 領土を与えられたのと同時に、由緒ある、貴族家の娘を妻にした。
 けれど、この妻が曲者で、敵国の諜報部とひそかに通じていたことが露見した。
 夫は、その手で新妻を処刑した。初夜の、寝台の上でのことだったそうだ。
 夫が26歳で妻子がいないのは、まあ、そんな背景のせいだ。
 23歳のエウリッタもじゅうぶん「行き遅れ」枠だが、夫のような、血みどろの理由はない。たんに父親の性根の問題だ。
 結婚に失敗した(と言えるのだろうか?)あとも、ロドニス・シャンティー子爵は、国に牙を剥かんとする裏切り者どもを、その行く先々でことごとく血祭りに上げていった。
 『傭兵閣下』。
 そんな二つ名が、彼の平民の出自を嘲笑って、社交界の陰でささやかれている。けれど、最近では、『死神卿』という新しい呼び方が流行りになっている。
 エウリッタの嫁入りはそんな矢先のことだった。

(この部屋で前の花嫁は殺されたんだ。ううん、考えるのはよそう……)

 部屋の中央にある、大きな寝台を見やる。
 3年前に首を掻き切られた令嬢が流した血で赤く染まったベッドシーツは、今夜、青い月明りを静かに浴びている。
 それでも、思わず身震いした。
 自分も、3年前のその花嫁と同じに殺されるかもしれない。そう考える事情が、エウリッタにはあった。
 
(そうなったら、自分の身は自分で守らないと……)

 召使たちを退室させてから、短刀を腰紐の内にしのばせた。今その固い感触を布越しに触ってみる。
 意外と暖かい部屋だと思ったはずだ。
 なのに、指は、かじかんだように冷たくなっていた。

「奥方様、閣下がご到着です」

 そのタイミングで、扉の向こうに控える召使が告げた。
 エウリッタはびくりと肩を揺らす。鏡台の椅子から慌てて立ち上がり、ガラス窓を閉めてカーテンを引いた。背後で扉が開き、振り返る。
 当然ながら、ロドニスだった。

「エウリッタ様、良い夜ですね」

 宴の礼装のままで現れた男は、そっけない口調で言った。
 花嫁に向けるには他人行儀で冷たい声だったが、無理もないとエウリッタは思う。二人が出会ったのは今日だ。結婚式、宴をへて、自分たちが隣同士でいた時間は長かったかもしれないが、会話はほとんど無かった。たんに忙しかったし、エウリッタの方は、赤の他人である男と一体何をしゃべったらいいのか解らなかった。始終だんまりしていたのだ。

「部屋に入ってもいいですか?」

「……もちろんですわ」

 初夜に夫が寝室を訪れることを拒否する権利は妻にはないから、ロドニスが断りを入れたのは、うわべだけの礼節だとエウリッタは理解していた。
 扉を閉めたロドニスが迷わず向かったのは右手にあるナイトスタンドだった。盆の上に伏せてあるグラスをひとつ取り、手ずからデキャンタの酒を注ぐ。エウリッタは酌をすると言い出す機会もなかった。
 ロドニスの手の中で、黄金のラム酒がグラスの底まであけられていく。エウリッタは、手持ち無沙汰に見つめているしかない。

「あなたも飲みますか?」

 エウリッタの視線に気づいたようで、ロドニスが聞く。

「……いえ、けっこうです」

 ラム酒が飲みたかったわけではない。夫は「そうですか」と返した。視線すらくれることはなく、わたしに興味がないんだな、とエウリッタはまた一つ理解する。
 ジョナルダ伯爵家は、政界で大きな影響力を持つ。血縁になりたいと願う貴族はたくさんいる。だから、庶子であるエウリッタでさえ、政治の道具として嫁ぐことができている。
 目の前の男が欲するのは、ジョナルダとの血縁。
 エウリッタ本人になど魅力はない。

「寒いですか、エウリッタ様?」

 心の中を見透かしたかのようなその言葉に、エウリッタは固唾を呑んだ。

「夏も終わりです。今のうちに召使を呼んで暖炉の火を起こしましょう」

「いいえ、大丈夫です」

「……夜が深まると、召使を呼びにくくなります。いらないんですね?」

 夜が深まると。その言葉の意味深さに、別の緊張がはしる。

「……いりません、お気遣い、ありがとうございます、シャンティー卿」

 足ががくがく震えてきそうだ。窓枠を強く掴むことで耐える。初夜にいどむ乙女は、みんなこんな気持ちなのだろうか? 

「もちろんです。エウリッタ様の体は私にとって大事ですから」

「まあ。優しい言葉をありがとうございます」

 人生で二人目の妻となる女をじっと見つめながら、ロドニスが歩いてきた。
 エウリッタの目に映る彼の像がどんどん大きくなる。
 慄くように見上げながら、エウリッタは視線は逸らさなかった。背の高い夫を見つめ返した。無表情だな、と思う。目が青いな、と気づく。
 青い目をした人間は珍しくないが、ここまで鮮やかな色に出会ったのは初めてだった。シャンティ―(ガラス製)という、この土地の名前にぴったりだと思った。透きとおって、静かな光り方をしている。
 けれど今は、その無機質な光の奥に、けぶるような熱が見える気がした。獣の熱。性欲の熱さなのだと何となく理解した。

「……シャンティー卿」

 もうれつに喉が乾いていた。がさつく声帯を震わせてそう気づく。
 もうロドニスは触れられる近さだ。服の上からでもわかる、屈強な体つきは、数々の死地をくぐり抜けてきたゆえだろう。おびやかされている気持ちになって、エウリッタは、ついに一歩後ずさる。

(だめだ。短刀意味なかった。絶対勝てないもの)

 この男が殺そうと思った人間は殺されるだろうと解る。
 だったら、歯向かおうとするのは逆効果だ。

「待ってください。包み隠さずに言いますね。というか、出しますね」

 怪訝そうに、ロドニスがまばたきをして足を止めた。
 エウリッタは覚悟をきめて腰紐をまさぐった。相手に見えるように短刀を差し出すと、青い瞳がすっと滑るように動く。
 そのままロドニスが凶器を収めてくれることをエウリッタは期待したが、彼は、受け取る手を出してくれなかった。
 わずかな沈黙。

「隠し持ってたんですか、なぜ?」

 彼の問いに、エウリッタは口ごもる。

「……ジョナルダ伯爵が」

 言葉を選ぶために一度黙り込んだときだった。

「――」

 夫が低い声でぼそりと呟いた。
 外国語だったからか、その言葉は、エウリッタの緊張で真っ白になっていた頭にも、すんなりと入ってきた。
 え、と思ったとき、足元で、ワイングラスが砕けて、けたたましい音をたてた。ロドニスが持っていたグラスだった。石の床に落ちたら、ひとたまりもなかったろう。
 けれど、エウリッタは砕けたグラスを見下ろすことができなかった。
 少し先にいたはずの、大きな男が、目と鼻の先にいた。彼の体躯に視界はすっかり塞がれている。それに、利き手の手首が痛い。
 エウリッタの手首を強く握りながら、ロドニスがあいた方の手で短刀をするりと取り去った。
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