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2.どうしてここにいるんですか※R15
しおりを挟む「ジョナルダ卿……あなたの父が俺を殺そうとしているんですか?」
一日中聞いていた、私、という言い方が、俺、に代わっていることにエウリッタは気づいた。さすがに突っ込むことはなかった。それどころか、声がまったく出ない。
エウリッタの沈黙は恐怖からのものだったが、どう解釈したのか、ロドニスは首を傾げた。猫の毛のような癖のある黒い髪が、さらりと彼の目元にかかって影をつくる。小さく笑うような仕草だった。笑ってないが。
「ほかに、ジョナルダ卿に俺を殺せと命じられた人間はいますか?」
他に刺客がいないか聞いているのだ。声は平坦だった。感情が伺えない分だけ恐ろしくて、エウリッタは凍りつく舌を一生懸命に動かした。
「いいえ、ぎゃく、逆です!」
「逆?」
「あなたが、ジョナルダ伯爵にわたしを殺すように命令されているかもしれないと思ったんです! だから、身を守るために、短刀を持っていました。でも、近づいてくるあなたを見ていたら、やっぱりムリだ、絶対勝てないって思い知らされました、だから……」
まくしたてる間に、ロドニスが彼女の手首を離した。エウリッタは、大げさでなく命乞いをしている気分だった。
「どういうことですか? ジョナルダ卿が、エウリッタ様を殺そうとしている?」
誤魔化しても仕方がないと思い、エウリッタは真実を告げた。
「わたしに彼の駒としての価値がなくなったんだと思います」
「駒?」
「わたしは18歳のとき敵国で殺されるはずでした。敵国ファマンディに、我が国からの人質として留学していて、その期間に国がファマンディに攻め入ったからです。人質の役目を果たせなかったわたしは敵に殺されるはずだった。でも殺されずに帰ってきたから今や面倒くさいだけの存在になっています。貴族社会でも笑われ者です。ジョナルダ家の私生児エウリッタは、死ぬはずだったのに死なない、人間じゃない、化け物の血が流れている。『青い血の女』だって。あなたも知っているでしょう?」
エウリッタは殺されなかった人質だ。殺す価値がないと敵にさえ侮られた存在。家名にこびりつく泥みたいなその存在を、ジョナルダ伯爵は、ずっと消し去りたかったはずだ。
「そうだとして、俺があなたを殺す刺客だとなぜ思ったんですか? 俺はあなたと結婚したばかりですが」
「……シャンティー卿は、前の妻を殺しているでしょう。彼女が国の裏切り者だったからという話ですが、それだけでもなくて、国の中枢にいる偉い方々が、その女性の存在を煙たがっていたからだと聞いたことがあります。ロドニス・シャンティーは、国にとって面倒くさい人間を葬る暗殺者なんだと言う者もいるくらいです。噂だから、さだかじゃありませんけれど……」
「殺す相手と結婚する男ですか、俺は」
ロドニスが静かに聞き返した。表情はまったく動かなかったが、それがかえって、彼の苛立ちをエウリッタに伝えた。
「……そう、言われてますよ、巷では。『死神卿』とか」
「へえ」
「え、知らなかったんですか?」
「知ってました。……が、面と向かって言われたことは一度もありませんでした」
「……すみません」
失礼なことを言った自覚はあった。それでも言うべきと思ったから言ったのだ。
「シャンティー卿は、わたしを殺すように命じられていますか?」
エウリッタは、じっと彼を見つめる。見つめ返してくるロドニスの青い瞳の奥で、思考がせわしく展開しているのがわかったが、彼が何を考えているのか、何を感じているのか、いっさい察することをさせてくれなかった。ガラスの目だ、と前と似たようなことを思う。
だしぬけに、ロドニスがナイトスタンドへと歩いた。盆に置かれる二つ目のグラスの横に、エウリッタから奪った短刀をことりと置いた。
「俺はあなたを殺すように言われてません。あなたのことで、誰からも、どんな命令も受けてません」
口調はそっけなかったが、言い聞かせるように声を張り上げてロドニスは言った。
「……そうですか」
不意に力が抜けて、エウリッタは床の上に崩れ落ちた。
「よかった。ほんとうによかった」
ロドニスの言葉を疑うこともできるだろう。けれど、エウリッタは、彼が土壇場で意味のない嘘をつくような人間ではない気がした。
「よかったんですか?」
「え?」
「あなたがジョナルダ伯爵に命をねらわれているかもしれないという状況はまったく変わってませんが」
「でも、今夜は死なないでしょう。あの、シャンティー卿」
「はい」
「ごめんなさい。噂に踊らされました。あなたのことを何も知らないまま、噂を信じて、ロドニス・シャンティーという人間を勝手に想像していました」
エウリッタは、今再び近づいてくる男を見上げる。冷たい床の上に純白の夜着を波立たせながら、へたりこんだままでいると、男の手が伸びてきた。
「青い血の令嬢、俺もあなたの噂を知っていましたよ。俺は噂通りだと思いました」
助け起こしてくれるのかと思ったら、その手はエウリッタの顎に触れた。
「初めて会ったとき、炎のなかであなたを見たとき。人間離れしていると思った」
エウリッタは彼の悪い噂を信じたことを謝った。
なのに、彼は、彼女の噂を信じると言う。
謝罪に後ろ足で砂をかけるような態度のはずだ。けれど、その口調は不思議な真摯さがあって、エウリッタは戸惑ってロドニスを見つめる。
炎のなかで会った、というのは聞き違いだろうか? 自分たちは今日結婚式の会場で出会ったはずだ。
「目を閉じて」
反射的に言う事を聞いてしまったエウリッタの唇を、熱いものが包んだ。
それが何なのかすぐに解って、身が強張る。身が強張ったことを相手に悟られまいとして、いっそう全身に力が入る。
男の手が肩に回った。
なだめるような力でそっと肩を掴まれる。安堵を与えられて、ほっと息をついたら、男の舌が唇をこじあけた。彼が計算してこちらの油断を生じさせたのだと学ばされた。
「んぅ、ん、っ、ん」
身構えるひまもない。唇を割った男の舌は、エウリッタの舌をねっとりと根元から掬い上げるようにして動く。わざとのように水音をたてながら、唇を塞ぐ角度を何度も変えられた。
「ん、ふ、ぅゆ」
舌同士を絡めあう動きはそのまま、ときどき、男の舌先が、歯茎や上あごといった皮膚の薄くて敏感なところをなぞる。じわじわと官能を焦らすようだ。エウリッタは必死に息をひそめる。
こうしていると、ここ一週間の、男娼をつけられていた毎晩のことが蘇っていた。拒否権のない、悪夢のような時間が遡って、エウリッタの全身の毛を逆立てる。
(何が花嫁修業だ)
完全に裏目だ。
ロドニスにちょっと申し訳なくなった。彼が優しくしてくれているような気がしているから。
そもそも一週間の花嫁修業は文字通りのことが目的ではなかった。エウリッタは早くにそのことに気づいていた。
「ジョナルダ伯爵。あなたが虐(しいた)げたいのは、わたしじゃないですよね。あなたは毎晩そこにいるけれど、目の前で起きていることより、ずっと遠くを見ている」
ある夜、そう切り出したエウリッタに、父は嘲笑った。
「また小賢しい口答えがはじまった。生意気だね。今夜は声が枯れるまでめちゃくちゃにされてしまいなさい」
ジョナルダ伯爵はその通りに男娼たちに命じると直後出て行った。
ここ一週間で伯爵にされたことの中で、エウリッタが一番つらいと思ったのは、強制的に性を覚えさせられたことでも、彼の辛辣な言葉をぶつけられたことでもない。
そんな風にしながら、彼が至極つまらなそうに自分を見ていたことだ。
彼が、小賢しい、と思っているのも。生意気だ、と思っているのも。
めちゃくちゃにしてやりたい、と思っているのも。
エウリッタに対してではない。
伯爵がその狂気をぶつけたいと渇望している相手は、別にいる。
それを知っていたから、エウリッタの憎しみは際限なく燃え上がる。
(結局言えなかったな)
ジョナルダ伯爵がエウリッタを殺したいと思う動機は、2つある。1つは、ロドニスにも言った。もう一つは言えなかった。
わざと言わなかったのか、たんにタイミングを逃してしまったのか、自分でもわからなかった。
(ジョナルダ伯爵のことを『クズ狸』って言ってくれた)
ロドニスはいちど外国語で呟いた。
あのとき『クズ狸が』と言ったのだ。ジョナルダ伯爵を差していた。
エウリッタは聞き取れた。さっき彼にも言ったように敵国であるファマンディに留学していたから、ファルマンデイ語が解る。
ロドニスは独り言っぽかったから、エウリッタに聞かせるつもりはなく、たんに彼女の留学歴を忘れていたのだろう。ロドニス本人はどこでファマンディ語を習ったのだろう?
ジョナルダ伯爵を悪く言う人間に、エウリッタは会ったことがなかった。
ジョナルダ伯爵がいかに非道なことをしても、大貴族への恐怖がみんなの声を奪ってしまう。
でもロドニスはあの男をクズと言った。エウリッタのためなんかじゃなかった。なかったけれど、スカッとした。
「……ん」
男の舌が、上唇をいたずらに舐め上げるようにしてから出ていった。
「ひぅっ?」
と思ったら、べろり、と音がするような大きい動作で、頬を舐められた。
びっくりして変な声が出た。エウリッタは慌てて口を押えると伏せていた睫毛を上げてロドニスを見る。
「あの、――っ」
また悲鳴を上げそうになった。視線が合ったまま、ロドニスがエウリッタを抱き上げたからだ。大胆さと、硝子細工に触るときのような用心深い優しさを思わせる抱き方だった。
エウリッタは両腕を彼の首に回した。不安定な体勢に怯えて、本能的にしがみついたのだ。
そうやって運ばれた先は寝台だった。
彼の首に腕を回しているから、自然とロドニスの顔を注視しているエウリッタを、ロドニスは背中からゆったりとベッドシーツの中に沈めた。
「処女でしょう?」
あけすけだな、と思ったけれど、エウリッタは素直に答えた。
「はい。貴族間の結婚はだいたいそうですよ。女性は清らかです。わたしも私生児とはいえ一応認知はされてますから、そこは、そうです。……シャンティー卿は切り替えが早いですね?」
「切り替え?」
「だって、ついさっきまで、お互いをお互いの刺客かもしれないって疑ってたじゃないですか。どうして急に触ってくるんですか?」
「嫌ですか?」
いや?
正直に言うといやだ。正直に言わないが。
「いや、とかじゃなくて、……性急に抱き上げたり、く、口づけをしたり、そういうのも、初夜に嫁を翻弄する計算でやっているのかなあ、と考えていました」
「へえ」
ロドニスは、じっとエウリッタの顔に見入っていた。
「エウリッタ様は口を閉じているときと印象が違いますね」
「よく言われますわ。……ごめんなさい、決して気を悪くさせるつもりじゃなかったんです」
小うるさい。小賢しい。1番最近では、ジョナルダ伯爵にそう言われた。
恥じ入って目を伏せるエウリッタを見て、ロドニスが首を傾げる。
「なぜ謝るんですか? 妻がしゃべる声が俺は嫌いじゃありません。……多分それ以外の声も」
ロドニスのがさつく親指が、エウリッタのなめらかな唇をなぞる。
「悲鳴も嫌いじゃないと思います。処女なら、痛いですよ」
エウリッタは思わず笑ってしまった。
痛い事をされるときに『痛いよ』と忠告されたことはなかった。でも、このひとはちゃんと言うのだ。
相手を殺す時も言うのだろうか。
殺しますよ、と。今と同じ、色香がしたたる低く掠れる声で。
「我慢します、……旦那、さま」
彼女のことを『妻』と呼んだ男に、エウリッタはそう囁く。
男の吐息がやわらかく唇に吹きかかって、彼女は目を閉じた。
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