【R18】傭兵閣下と青い血の乙女

七鳩

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23.雨の夜に終わったものとこれから始まるもの

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 6月に入ると、中央では夜雨が多くなる。
 そのせいで娼館は商売あがったりになる。男たちがお忍びの馬車で出かけるのが難しくなるからだ。
 けれどそういう季節の風流はジョナルダ家ではどうでもいいらしく、シュルツ・ジョナルダ伯爵は家から2つ街離れた遠出をしてこの夏の愛人がいる旅館でめくるめく夜を過ごした。それから1人で別の高級宿に帰ってきた。
 夜12時を過ぎてもバトラーと複数の召使いが行き来する正面玄関を抜けると泊まっている部屋に直行する。
 部屋の戸を開くと肌寒い雨季の温度がジョナルダ伯爵の身に絡みついてきた。客室の暖炉の火を切らすなんて高級な宿でありえない。ふつうなら異常に気付くはずだがこれもどうでもよかったのか、ジョナルダ伯爵は何も気にする様子なく部屋に入った。
 背後で戸を閉めると羽織っていた外套をラックにかける。馬車から玄関までの短いあいだに少なからず降られたようで、外套の長い丈を伝って雨粒が伝っていき、しとしとと床へ落ちていく。
 ふつうなら召使を呼んで外套の手入れをさせるはずだがやはりどうでもいいらしくてジョナルダ伯爵は1人ソファカウチにかける。その動作を見たところでロドニスは物陰から姿を現わした。

「おや」

 ジョナルダ伯爵はすぐに珍客に気づいた。ほとんど正面へ出たから当然だった。死角から襲うかとも思ったがそれだと物足りなかったのだった。

「誰かいるのは解っていたけれど君だとは思わなかった。革命家たちの中でいい地位を築いているはずだろう? どうして自ら手を汚すのかな? 部下にやらせればよかったのに」

「あなたは妻の仇のようなものだから」

 ほう、とジョナルダ伯爵が興味を覚えたように目を細めた。それから何か考えるように目を伏せた。

「リッタはルイスよりバカだから可愛い。ルイスとリッタの戦いはリッタが勝ったようだ」

 ひどく満足げな口調だった。この男をよく知っているとは言えないが珍しいことの気がしてロドニスは不信感を抱く。

「ジョナルダ家の跡取りのルイス・ジョナルダ様のことですか? その男がリッタと何の関係があるんですか?」

「リッタは君に何も言わなかったのかね」

「……聞いてません」

 薄笑いと落ち着いた口調が腹立たしい男だ。ムッとしてロドニスは言い返した。ジョナルダ伯爵が喉の奥で笑う。

「じゃあ知らなくていい。親子の間には他人がわからないことがある。私とリッタの間にもだ。君が私を殺すのはそれが嫌だからだね?」

「そうですね」

「妻の仇だとか言いながらそれが本音じゃないかな?」

「かもしれません」

「素直だね」

「あなたも素直に答えてくれたらいいんですが、……今夜ひとりで外へ出たのはなぜですか? 国の名だたる貴族家が次々に革命で殺されたり捕えられたりしている。身の危険は感じているでしょう?」

「逆に聞くが、どうして私に辿り着くまでこんなに時間がかかったのかな? 最後まで取り残された残飯の気分だよ」

「革命勢力に今夜狙われることは解っていたということですか?」

「2か月以上も反逆勢力に怯えて息を潜めていたんだ。ちょっと息抜きをしたら裏目に出た。君が現れた。それだけだよ」

「なぜリヴを私の城に置き去りにしたんですか?」

 聞くと、ようやくジョナルダ伯爵の目線が床からロドニスへ向けられる。
 3月のこと、エウリッタがロドニスに秘密でジョナルダ伯爵を城に招いた。それについては妻に言いたいことは多々あったし罰も存分に与えたが、そのときジョナルダ伯爵は『贈り物』だと言って城の近くの藪にリヴを放置して帰ったのだった。
 発見されたとき、リヴはひどい火傷を負っていた。意識不明の重体だった。ロドニスは犬笛の早馬でこれを知って急きょ城に戻ったが、エウリッタと召使たちの看病の甲斐あって、リヴは3週間後には起き上がれるようになった。

「リヴは今どうしているかな?」

「妻の親族として手厚く匿っています。これからシャンティ―領の1領民として城で仕えてくれるでしょう。それが本人の願いです」

「そうか」

 ジョナルダ伯爵がうなずいた。笑ったようだった。

「リヴは私のことを何か言っていたかな」

 ロドニスは答えに詰まる。
 
「……いいえ、リヴはあなたのことは何ひとつ言ってませんでした」

 ジョナルダ伯爵はそれ以上聞いてこなかった。
 ロドニスは腰の剣を抜いた。凶器を手に近づく彼を見ても顔色一つ変えない男の正面へ進み出た。真っ向から斬りつけたかったから。
 リヴは藪の中で発見されてから丸2日目を覚まさなかったそうだ。下腹にある火傷がかなりひどかったせいだった。
 ロドニスの優しい妻はつきっきりでリヴの看病をした。
 3日目に目を覚ますと、リヴは涙ぐむエウリッタに自分がここに来たいきさつを話した。エウリッタの城へ向かう日の朝、ジョナルダ伯爵はリヴの腹を焼いた。そして朦朧とする彼女を無理やり馬車の旅に同行させるとエウリッタの城の近くのそのへんの藪に転がしていったらしい。
 リヴは、10年以上前にジョナルダ伯爵の元に引き取られたときその下腹にジョナルダの家紋の焼き鏝(ごて)をされたことも語った。エウリッタはそれは初耳だったらしくて姉を家畜のように扱う父に激怒した。焼き鏝を今新しく焼き潰したなら、父は姉を捨てたのだ、最後までひどいことをする、と憤慨した。
 そんな彼女にリヴは何も言わなかったそうだ。
 ただ一言だけ『バカなやつ』とジョナルダ伯爵を罵った。そして泣いた。涙は多分ジョナルダ伯爵のためだった。ロドニスはさっき嘘をついた。『バカなやつ』が、リヴがジョナルダ伯爵に向けた最後の言葉だった。
 この男に教えてやる義理はない。
 ジョナルダ伯爵はリヴの腹にある家紋を消したかったのだろう。革命の時代だ、召使であろうともジョナルダ家の者なら反逆者とみなされる。捕まったら何をされるかわからない。彼はリヴと彼自身とのつながりを完全に絶ち切ったのだ。
 リヴはエウリッタに何も言わなかった。
 ロドニスも言うつもりはない。
 リヴとジョナルダ伯爵の間にはエウリッタが思うよりずっと複雑な関係があったかもしれない。けれどそれはエウリッタが知らなくていいことだ。ジョナルダ伯爵は最低の父親で、男としてクズ。それだけでいい。それすら今やどうでもいい。

「斬り殺されたいんですか?」

 ロドニスは束の間のあとに聞いた。入室時に外套の傍に立てかけたその剣を取りに行くくらいの時間は許すつもりだったが、ジョナルダ伯爵はソファカウチから立ち上がる気配がいっさいない。

「老いぼれに戦えというのかね。しかも相手は死神卿だ。もともと剣一筋で出世したウィルディア傭兵団の師団長、勝てるとは思わないよ」

 愁傷なことを言いながら、ジョナルダ伯爵はロドニスを冷たい視線で射貫いている。肉食獣のように獰猛な視線だ。触発されて、ロドニスの全身が熱くなった。どくどくと心臓が耳元まで登ってきて早鐘を打つ。滾るような興奮を堪える為にロドニスは下唇を舐めた。
 こんなことは初めてだった。
 人を殺すのが射精するくらい気持ちいい。
 自分は今どんな顔をしているんだろう。
 剣を振りかぶるロドニスを見上げ、義父は笑っている。

「ああよかった。君は立派な狂犬になった。リッタの心を食らう、たった1人の男になる気分はどうかな?」

 というか、リッタをリッタと呼ぶ男は世界に自分1人でいい。
 そうか。だから気持ちいいのか。

「おめでとうロドニス君。新しい時代に」

 自分の物が、自分だけの物になる。
 





 はなやかな音楽が8月の緑を揺らしていた。
 城主の帰還の音色だった。城主とともに旅をしている早馬が一足先に城に知らせに来ると、音楽隊が中庭に飛び出していって、あわただしく軍調のマーチングをはじめる。
 見上げれば、暗くなる空の下、主塔のてっぺんが蜜柑色に灯った。その明るさが淡いオーロラのように落ちる外壁を鳥影が過ぎっていく。

「出迎えの音楽聞こえてるけど、やばくない?」

 城の外まで聞こえてくる音色に、リヴがのんびりと言った。急いで帰ってきたから息が上がっている。

「早く戻りませんと、ああ、奥方様がお出迎えに遅れるなんて前代未聞ですわ! わたしの責任です! どうしましょう!」

 リヴより何オクターブか高い金切り声でアグネスが嘆く。今日はこの2人と護衛に志願したジェレニーを連れてナーラ川下方のきれいな水辺で釣りを楽しんだのだった。そこへ城の遣いがすっ飛んできてロドニスが今夜着くと告げたのだ。

「3日後に帰るはずが急に予定が早くなったんだから誰も見送りに出なくてもわかってくれるよ」

 重たいドレスを引き上げて歩きながらエウリッタは肩で息をする。女性が外で走るのははしたない。どんなに急いでも早歩きなのだ。

「そんなこと言って、リッタちゃんもロドニス様が早く帰って嬉しいでしょ?」

「嬉しくなくはない」

「あーあ、城にいたら豪華なドレスを着てお化粧してロドニス様を出迎えられたのにね?」

「そこまでしたらすごく会いたかったみたいでいや」

「すごく会いたかったのでございましょう、奥方様?」

「会いたくなくはない」

「見栄っ張りじゃん」

「……」

 最近リヴとアグネスが変に徒党を組んで自分をからかうようになってきた。エウリッタは早々に降参してぱっと駆けだした。

「まあっ奥方様! はしたない!」

「1秒でも早く会いたいんじゃない? わたしは走るの嫌」

 アグネスとリヴが口々に不平を言いながらもリッタを追う。すると黙って彼女たちを背後から見守る金髪の騎士も走って追ってきた。
 革命の時代になった。
 中央ではほぼ毎日どこかの貴族家が潰れている。国の重役が殺されたり投獄されたりして、それを尻目にナグダライダや革命に友好的だった数少ない貴族たちや平民のリーダーたちが政治の中央へとのし上がっている。
 そんな目まぐるしい時代にあって、けれどシャンティ―の田舎は静かだ。異様に静かだ。城主が革命に友好的だった貴族のひとりだから。そして物理的な距離が中央から遠いから。
 ジョナルダ伯爵は6月に死んだ。
 暗殺だったらしい。革命運動がどんどん激しくなっていくなか生き残っていたがとうとう死んだ。
 暗殺者は誰だったのだろう。
 それはもう解らないらしい。夫に聞いたが探り当てることは難しいそうだ。
 けれど、この方がいいのかもしれない。
 どこのだれとも解らない誰かに、父は殺された。その方が早く父を忘れられそうだ。
 父の訃報が入って、だれにも知られずに1回夜泣いた。あの男に泣かされるのはあれが最後の1回かもしれない。

「ああ! 橋がもう下がってる!」

「奥方様、橋の石だたみは走りにくいので気をつけてください」

 ジェレニーが穏やかに忠告をくれる。エウリッタは走るのをやめなかった。りんりんという虫の声と豪華な音楽と物々しいマーチングの足音が重なるような跳ね橋を走っていく。
 視線を上げれば、城門に人だかりが見える。

「旦那様!」

 やっぱり遅れた。
 声の限りに呼べば、黒い外套に身を包む男が振り返った。
 漆黒の髪が揺れて、それが暮れゆく空より黒いことに気づいた。ロドニスは犬笛や料理長がいる出迎えの陣を抜けてきた。乱暴とも言えるような、待ちきれない仕草で皮手袋を両手とも外してニ腕を広げた。
 凍てつく瞳は、エウリッタを見ると和らいだ気がした。
 そうであってほしいと思った。
 わたしの死神卿。
 わたしの救出者。英雄。わたしの。わたしだけの。

「旦那様!」

 エウリッタは彼の胸に飛び込んだ。
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