姫ティック・ドラマチカ

磨己途

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第三幕 攻勢・ヒストリカ

133 惜別と決意

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『ユリウス。話があるわ』

 ジョゼが改まってそう話し掛けてきたのは、グリュンターク家での大捕り物から約半月経ったある日───プリシラから、反転魔法を狙いどおりに実行する目途が付いたという説明を受けた日の夜のことだった。

 あの一件が落ち着いたあとからしばらくして、ジョゼが不気味なほど大人しくなったので、何かあるだろうと思っていた俺は、少し安心しながら聞く姿勢を取った。
 黙っていられると、また俺に隠れて良からぬ企みを練っているのではと勘繰ってしまうからだ。
 ジョゼがどうしても顔を見ながら話したいと言うので、衣装ケースの上に腰掛け、姿鏡に自分の姿を映す。

 そう言えばジョセフィーヌの姿になった自分を意識してすぐの頃にも、こうやって、見慣れぬ自分の姿を鏡に映して見つめていたな……。

 何も分からず不安であったあの頃の気持ちを思い出す。
 俺は寝巻の裾から覗く白い生足を鏡に映さないように身体を傾けて座り直した。

『私は、ユリウスがアークレギスに帰るのに反対よ』

 何となく、そういうことを言われるのではないかという予感はしていたので、さほどの驚きはなかった。
 俺は落ち着いて切り返す。

「今さらそれはないだろ? 二人で協力して元の身体に戻るって、最初からそういう約束だったじゃないか」
『じゃあ、ごめん。その約束は守れない』

 ミスティといい、ジョゼといい。女性に約束を守ってもらうというのはなかなか難しいものらしいな。

「ジョゼが反対しても関係ない。身体の主導権は俺にあるんだ。成功するように祈りながら、気持ちよく見送ってくれないか」
『ユリウスが寝ている隙にお父様とお母様に全て話すわ。ユリウスが起きているときには何もできないように、どこかに私を監禁してもらう』

 今になってその手札を切るのか。
 だが本当に本気なら、俺には言わず、黙って実行すればいい。
 こうして前もって言うからには、話し合う余地はあるはずだった。

「父君や母君だって、ジョゼが元に戻ることの方を願うはずだろ? お二人に対しても、俺はこの身体をきちんとお返しする責任がある」

 多少の傷や痣は付けてしまったが、それは時が経てば自然と癒えて解決するはずだった。
 それくらいは、呪術による重篤な病を乗り越え、大事な一人娘を救ってみせた見返りに目をつぶってもらうとしよう。

『お父様やお母様は、きっと今のジョセフィーヌの方がお気に入りよ。女性らしくて、品があって、王女になる責任感も強くて、その能力もある。防衛計画の話とか、貧民窟の開発計画とか、みんな貴方を褒めてたじゃない』
「防衛計画はともかく、貧民窟の開発計画はほとんどジョゼの手柄みたいなもんだろ? セドリックやオリアンヌ、プリシラ。皆が協力してくれたからだ。これからもそうだ。一人で背負わなくてもいい。周りの皆を頼ればいいんだから」

『いや。そういう話じゃないんだって。何でこんな話になってるのかなあ、もう!』

 ジョゼが苛立って語気を強めた。
 鏡の中のジョセフィーヌは、駄々をこねる幼児に手を焼く母親のような、少し悲しげな面持ちでこちらを見つめていた。
 上手く行き過ぎたジョセフィーヌという王女の道筋を、これからは彼女が一人で歩んでいかねばならない。
 そういう意味ではきっとプレッシャーに感じる部分があるには違いないが……。

「元に戻りたくないのか? 自分の身体を取り戻せるんだぞ? 物語を書く時間だっていっぱい作れるようになる」
『ユリウスはすっかり成功する気でいるけど、プリシラの魔法が失敗する可能性とかは考えないわけ?』

「言ってたろ? ジョゼも一緒に精霊の世界に飛ばされるなんてことはないって」
『あれは本当に余計な一言だったわ。プリシラがああ言わなきゃ、まだユリウスもためらってくれたでしょうに……』

「もし仮に失敗したとしても、俺が一人で精霊の世界に閉じ込められるだけだ。あるいは何も起きないか。どっちにしろ試すだけの価値はある」
『それよ! それで何でやってやろうっていう発想になるのよ。永久に、その精霊の世界に閉じ込められちゃう可能性があるってことよね?』

「助けに行ける可能性があるからだ。ミスティや父上、アークレギスの皆を。それができるのに、このままのうのうと平和なこの地で生きていくことはできない」
「…………」

 俺がそう言うと、ジョゼは黙ってしまった。
 今日の話し合いはこれで終わりかと思って腰を浮かせ掛けたとき、ようやくジョゼが返事を返した。

『待って。仮に成功したとしての話よ? ……これは、私なんかが簡単に口にしていいことじゃない気がしたから、ずっと言わずにいたんだけど……』
「いいよ。何でも言ってくれ。もう知らない仲じゃない。未練にならないように、思ってることは今のうちに全部言って欲しい」

 自分で言ったその言葉は、ジョゼとの永遠の別れを想起させ、胸の奥に言い知れない寂しさを募らせることになった。

『分かった。私これからユリウスに酷いこと言うからね? 覚悟しなさいよ?』

 そういう自覚があり、たっぷり悩んだ末に、本人に断ってから口にするだけの分別が付いたのだなあと感慨深く思う。
 歳もそう変わらないはずのジョゼに対し、自然と俺は、娘の成長を喜ぶ父親のような心持ちになっていた。

『アークレギスに帰ってどうするのかって話。……百年も前の、もう何もかも終わってる場所に戻って、それでどうなるの? 敵の大軍が攻めて来てて、武器や防具もほとんどなくて、勝ち目もない戦いに行こうってことでしょ?
 それってもう……、死にに行くようなものじゃない!』

 今度は俺が黙り込む番だった。
 鏡から目線を逸らすと、ジョセフィーヌの寝室の様子が目に入った。
 そのまま首を回し、部屋の中を丹念に見渡す。
 僅か半年あまりのことだが、随分見慣れてしまった部屋だった。
 豊かになった国の、その国で最も高貴な身分の女性の寝所。
 衣食住足りて、多くの者から慕われ、貧民層の生活水準向上という、これからやるべき大義もある。
 仮に俺がここで一生を終えるという選択をしても、それはそれで十分価値のある、満ち足りた人生を歩むことができるに違いないと思えた。
 だが……。

「これは俺の人生じゃない。他人から奪い、他人に成り代わり、他人を欺き続ける人生に甘んじるわけにはいかない」
『奪ったんじゃないわ。仕方なかったのよ。それに……、前にも言ったでしょ? いい相棒だって……。もう……、もう助からない人のためじゃなくて、今ここにいる私のために残ってよ! 次期女王の命令よ。残って私を助けなさい』

「……ああ。君は、次期女王だ」
『っ……、じゃあ───』

「きっと良い統治者になる。君は優しい娘だ」
『そんな……。大人みたいなこと、言わないでよ……』

 俺の頭の中で響くジョゼの声は悲しげに震えていた。

「俺は生まれてからずっと、あの砦村を守るため、稽古に明け暮れてきたんだ。人生のほとんど全てを懸けて……。敗色濃厚だからと言って、逃げ出すわけにはいかないんだ。アークレギスやこの国を守る礎となる。それが俺の大義なんだ」

 俺は鏡に映るジョセフィーヌをしっかりと見据えながらそう言った。
 鏡の中のジョセフィーヌは、決意に満ちた、覚悟の決まった瞳でこちらを見つめ返していた。

『……駄目。そんな理由じゃ許さない』
「……どんな理由だったら許してくれるんだ?」

『嘘でもいいから約束して。ミスティを助けるって。どんなに追い詰められてても、彼女を救い出して、遠くへ逃げて。そこで二人で幸せに暮らすの。私、物語はハッピーエンドじゃないと許さないわ』

 ジョゼの中では、アークレギスの村にいた人々は一人残らず滅ぼされたと考えられているようだった。
 無理もない。村や砦は跡形もなく、後世にその子孫が残っているという噂や記録もないのだから。
 だがせめて、二人ぐらいなら……。俺とミスティの二人だけなら、どこかに落ち伸びて慎ましく暮らすことができたのだという慰めを得たいと考えたのだろう。

「分かった。約束する。でも、言っておくがこれは嘘じゃないぞ。絶対に何があってもミスティを……、それだけじゃない、砦村の皆を救い出してみせる」
『……いいわ。許す。ごめんね。わがまま言って。……ありがとう』

「おい。嘘じゃないって。慰めなんかじゃないぞ? 俺は本気だ」
『……どういうこと?』

「十分勝算はあるってことだ。俺はアークレギスの領主の息子として、皆を窮地から救うために百年前のアークレギスに帰るんだ」

 それから俺は、ずっと自分の頭の中だけで練り上げていた考えをジョゼに打ち明けた。
 それは、巨大な湖となったアークレギスを去る際にぼんやりと頭に思い浮かべていた空想。
 そしてそれは、ミスティからの手紙を読んだことで、もはや確信と呼べるまで大きく膨らんだ希望だった。

 最後にミスティがこちらに連絡を寄こしたとき、すでに魔力は枯れかけていると書いてあった。
 それなのに、あの巨大な穴を穿うがつほどの魔法に関しては一切触れられていなかった。

 つまりそれは、ということだ。
 そんな強力な魔法を使うには、俺があちらに帰って、向こうの───百年前のアークレギスの───魔力を元に戻してやる必要があるはずだった。
 だから本当は俺は、プリシラが今必死になって準備してくれている魔法が失敗するとは微塵も思っていなかった。
 そうでなければ、辻褄が合わないではないか。

 全て説明し終えた後もジョゼは完全に納得はできていない様子だったが、一旦一人でよく考えて整理してみるというので、その夜の話し合いはそこまでにして、俺は寝かせてもらうことにした。
 すっかり冴えてしまった頭で眠りに就くには、しばらく時間を要したが、ようやく微睡まどろみかけたとき、ジョゼが小さく囁くような声で言った。

『私、ユリウスたちのことを物語にして書くわ。私たちが今、こうして平和に暮らしていられるのも、全部ユリウスたちが命懸けで戦ってくれたお陰なんだって。これから先ずっと、語り継がれるように』

 それはいいな、是非頼む……。

 俺がそうやって返事をできたかどうかは、はっきりと覚えていない。
 夢のように聞いたジョゼの言葉を最後に、俺は深い眠りへと落ちていた。
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