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第6話

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 夜もふける程に語らった。と言ってもお互いの身の上について詳しく話したわけじゃない。
 互いに譲れぬ心の線引があり、踏み越えないように、傍から見ればつまらない語らいだっだだろう。

 だが、有意義な時間だった。彼という人が少しばかり見えた。
 今だ素性の見えないウイル様だが、その人柄が垣間見えたのだ。
 この御方の幼少の出来事、学び舎での日々、飼っていたネズミの珍事まで。
 話の上手な方では無いのだろう、順序よくという訳では無かったが伝わる物があった。

 恐ろしく美麗なお姿も、今は霞んで親しく感じる。

 ……時間だ。

「夜も更けて参りました、今夜はお休みになりましょう」
「ああそうだな。女性を遅くまで無理に付き合わせるとは情けない限りだ。
反省だな」
「役目に従ったまでの事、お気になさらず」
「今度はそのような言葉を聞かないよう努力しよう」

 私達はそれぞれの部屋へと戻って行く。
 とはいえ狭い屋敷だ。性別を考慮して三つある部屋の端同士に自室を持った。



 暫くして、妙に寝付けない私は気分こなしに部屋を出た。
 シンと静まり返った屋敷の中は、当然にランタンも消えて自分一人の世界の広がりを知覚させられる。
 足音を立てず、ソロリと歩く。
 使用人のいない生活にも慣れた。
 あの屋敷に住んでいた頃は、夜間には夜間の人間がいた。
 慣れぬのは、消えてくれない記憶だけだ。

 瞬間何かが音を立てた。それは小さいが、この静寂に置いて強弱に意味は無い。
 小さな虫だ。虫の名前は知らないがコロコロと小さく鳴いている。 
 それは綺麗であったが、だからこそこのような場所にいるものではない。
 その虫を優しく摘むと、窓から外へと離す。
 羽を広げ光輝く夜空へと消えていった。

 夜空。
 そういえばこちらに来てからまともに見た事はない。
 窓から見えるその景色は、実に美しいものだった。月明かりに照らされた雲が、まるで白い絨毯のように流れていく。この世界が丸いことを、如実な表現だ。
 そして何よりも星々の輝きが素晴らしい。
 煌々こうこうとしたその光景に、思わず見惚れてしまう。
 この世には美しいと思える物がある。
 人の醜さすらも包み込む清廉さがそこにはある。

 そんな時、背後から声をかけられた。
 振り向けばそこにいたのはウイル様だった。
 彼は少しばかり驚いた表情を浮かべていたが、すぐにその顔は穏やかなものに変わる。
 そのまま窓枠に手をかけると、同じように外を眺め始めた。
 しかし、何故ここに? 疑問が湧くと同時に、彼が口を開いた。

「貴女の部屋からはこの風景が見えるのか」
「ええ、残念ながら」
「俺には縁遠いものだ」
「左様ですか」

 会話はそれで終わった。しかし、彼はそこから動こうとはしない。
 私もまた動く事はしなかった。不思議な時間が流れる。

 どれくらい経っただろうか?
 不意にウイル様は、私の方に視線を向けた。

「俺は、貴女の事をもっと知りたいと思っている」
「私めなど、今やただのサラタでございますれば」
「俺にとって、貴女はそれだけの存在ではない。この気持ちが何なのか、まだわからないが、確かな事だ」
「……私は」

 言葉が出なかった。何を言えばいい。
 彼の真剣な眼差しが私を貫く。嘘や誤魔化しを許さない強い意志を感じる。

「俺と共に来て欲しい。貴女がいない人生が考えられないのだ」
「……返事など出来ません。
今の私には、貴方様にお仕えする事しか考えられぬのです」
「ならば俺が貴女に付いて行こう」
「お戯れが過ぎます……っ」

 私の拒絶の言葉を受けても、彼の瞳は揺らぐ事はなかった。
 それどころか、一歩近づき手を取られる。
 その手はとても温かく、それでいて力強いものであった。
 だけれども、私はその手に力を込めて押し返す。
 それでもウイル様の手は離れない。
 そうして長い時間が過ぎた頃、ようやく解放された私は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

(ああ、なんて事……)

 どうしてこんな事になってしまったんだろう。
 ここまでの事になろうとは思わなかったのだ。
 ただ、ほんの少しだけ彼の心の隙間に入り込めたら良かった。
 それがいつしか、こんな事に……。
 手を離されたウイル様の目に浮かぶものは、困惑と……。
 
 自らの行動に、その手を眺めてから降ろす。
 困惑と、後悔だろうか?
 悔いるように顔をしかめ、ウイル様は反対の腕で私の背中へ手を回し、そのまま抱き起こして下さった。

「すまぬ」
「……いえ、……ごめんなさい」
「謝らないでくれ!」

 その怒号に身体が震えた。
 思わず出たのだろう、彼も自分の出した大声に驚いている。
 私を抱きしめる手に震えが生まれ、それが背中へと伝わり、彼の気持ちが私の心で形作れられる。

 怖いのは私だ。
 男の人に想われる事が、怖いのだ。
 あの王子との件が引いているなど思いたくは無い。でも、家族にも否定された事が、結果として恐怖に繋がってしまっていた。

 これでは、いけない。
 ウイル様には否などない。このような卑しい女が、俗世に囚われた女が共に生きて良いわけがない。
 だが、その前にまずは言わねばならない事がある。

「申し訳ありません。私は、貴方の想いに応えることはできません」
「……」
「ですが、感謝しております。このような私を気遣って頂き、誠に感謝致します。
その御恩を返させて頂きますので、それまでを共とさせて頂くという形でならば」

 瞬間、ウイル様の手の力が解かれる。
 抱き寄せていた私の顔から、その逞しい胸元が離れ。
 いや、やはり卑しきは私という女だ。何故、もの寂しさなど感じてしまうのか。
 
 認める訳にはいかない、あの方の胸の内に、私の心が捉えられているなどと。
 捨てて、忘れ去られるべき卑しさなのだ。あのような感情如きは。

「わかった。……では、それまでは俺は今のままでいよう。
貴女の傍にいると約束したい」
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで、これ以上はありません」

 その日はそれで、どちからと言うでも無く解散となった。
 それぞれの部屋へと戻り、ベッドへ蹲る私は、今に縋り付く未練を失わずに済んだ事に安堵を覚えて、離す事を躊躇って……。

 だから、卑しいのだ。私如きは……。


 いつの間にか、意識は夢の中へと逃げのびていた。

 ……
 …………
 ………………

 あの夜の事、私達二人は口にも、勿論態度にも出さず。
 この共同生活は、順調であると言って差し支えない。
 いつかは終わらせなければ、そうだ、終わらせなければならないのに。
 この生活を楽しんでいる自分がいた。
 それは、とても浅ましい考えだ。
 私には、そのような資格など無いはずなのに。
 ウイル様は、毎日のように屋敷に帰ってこられた。
 その度に、私に色々と話をしてくれる。
 狩りの話や、森で起こった出来事など、やはりどれもが新鮮で興味深かった。
 そう思わせるように話すのだから、この方には話術の才覚が見える。

 ――ああ、いつまで。せめて、このまどろみの中で死ねるなら。

 つまらない願いだ。死を願う者に女神は微笑みを与えては下さらないのに。






 終わりは訪れた、私の望むように。
 そして、私の望まぬ形で。
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