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狩る側と狩られる側

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「アレか」 

 遠く離れた一角から、処刑人は王都のある一点を眺める。
 そこでは黒の執事服を身に纏った白髪の男が1人、店のカウンターに立っていた。
 
 男はにこやかな笑みを浮かべながら、接客をしている。
 
 暗殺者として優れた聴覚を持つ処刑人でも、これだけ距離が離れていると何を話しているかは聞き取れない。

 しかし、話の内容など、処刑人にとってはどうでもよいことだった。

 ――どんな相手かと思えば、ただのジジイか。

 処刑人は少なからず落胆していた。

 処刑人がベリックの命によってこれまで始末してきた標的は99人。
 
 性別や年齢は本当に様々だ。
 10代に入りかけたくらいの少年もいれば、60歳間近の老人もいた。
 全員に共通して言えるのは、主であるベリックにとって邪魔な存在だということだ。

 相手が誰であろうと、処刑人はただ淡々と与えられた仕事をこなすだけだった。
 失敗した標的は1人もいない。
 全てを確実に処理してきた。

 処刑人は小さく頭を振って、白髪の男を見る。

 100人目があんなジジイというのは拍子抜けだが、これも仕事だ。
 いつものようにさっさと片付けてしまえばいい。

 処刑人は表情を変えることなく、凪いだ心でその時を待っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 処刑人は大通りを歩いていた。

 既に日は落ち、周囲の店に明かりが灯っている。
 この時間帯になると人通りは少なくなっている。
 だが、まったくないというわけではない。

 しかし、誰一人として処刑人に気づく者はいなかった。

 処刑人が身に着けているマントに、認識を阻害する魔法が掛けられているためだ。

 加えて処刑人は暗殺向きのスキルを複数持っている。
 その1つが『気配遮断』だ。

 マントの効果と『気配遮断』によって、誰にも気づかれることなく処刑人は標的の店の前に到着した。

 標的は――中にいるな。
 
 一度気配を認識してしまえば、標的が何処にいるのかも分かる。
 標的の周囲に他の気配は感じられない。
 間違いなく今は1人だけだ。

 処刑人はまるで気負うことなく、店の中に入っていった。

 店の中は明るいが処刑人には関係ない。
 処刑人は一直線に標的の下へ向かった。

 標的の男は、店の奥で片づけをしていた。
 背を向けてしゃがんでおり、当然のことながら処刑人に気づいている様子はない。

 処刑人が音もなく床を蹴る。
 飛ぶのではなく、滑るように男との間合いを詰める。

 男は、処刑人の手が届く間合いに入っても背を向けたままだ。
 処刑人は、右手に握りしめていた短剣を男の心臓目掛けて振り下ろす。

 標的に気づかれることなく近づき、背後から一撃で仕留める。

 これが99人を始末してきた、処刑人の必殺のパターンだった。
 
 そう、今までは。

 ――なにっ!?

 処刑人は驚かずにはいられなかった。

 短剣が突き刺したのは標的の心臓ではなく、地面だった。
 一瞬で男の姿が消えてしまったのだ。

 いったいどこに――と思った次の瞬間、突然背筋に悪寒が走った。

「どちら様でしょうか?」

 丁寧な言葉遣いだ。
 
 返事はせず、処刑人の身体がくるりと反転し、静止状態から最高速へ瞬時に切り替わる。

 彼の手に握られた短剣は、標的の男の身体へ向けられていた。

 だが、短剣はまたしても男に届くことはなかった。

 短剣が男の体に届く前に、右手首をがっちりと握られてしまったのだ。

「もう一度お聞きします。どちら様でしょうか?」

「ぐっ……」

 処刑人は男の手を振りほどこうと試みるが、男の握力は凄まじく、握っていた短剣を床に落としてしまった。

 処刑人は心の中で小さくない訝しさを覚えていた。

 このマントと『気配遮断』を用いた攻撃に気づく者など、未だかつて誰もいなかった。

 それだけではない。
 暗殺者である自分の背後を取る俊敏さに、振りほどくことが出来ないほどの力。

 どれもただのジジイにはできない芸当だ。
 
「お答えいただけませんか。これは困りましたね」

 男は空いている方の手で己の口ひげを撫でる。

「貴方の特徴で私が思いつく方と言えば、ベリック侯爵が雇われていらっしゃるという『処刑人』と呼ばれている方くらいなのですが」

「……!?」

「おや? その反応は当たっているということでしょうか」

 化け物めっ!

 処刑人は心の中で悪態をつく。

 目の前の男についての脅威度を、事前の予想から一気に最高ランクへ引き上げた。

 処刑人は自ら床を蹴って空中側転する。
 
 男は処刑人から手を離し、距離を取った。

 処刑人が靴に隠していた短剣を伸ばして、男に攻撃を仕掛けたからだ。

 着地した処刑人に、男が横蹴りを放つ。

 その前に処刑人は全力で心臓を守った。

「ぐっ……!」

 男の足が処刑人の腕に接触した瞬間、鈍い音とともに処刑人は後方――店の入り口へ吹き飛ばされた。

 男がゆっくりとした歩みで入り口へ向かう。

「……おや?」

 そこに処刑人の姿はなかった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 処刑人は全速力で店から遠ざかっていた。

 くそっ!

 標的の始末に失敗したのは初めてだ。
 それだけではない。
 反撃を受けてしまうとは。

 動かなくなった左腕を見る。
 左腕は、たった一撃の蹴りで折れていた。
 
 あの場に留まっていたら、きっと勝ち目はなかっただろう。

 これほどの窮地に立たされたのは初めてだ。

 だが、まだ完全に失敗したわけじゃない。

 いま標的から遠ざかっているのも、奴を確実に仕留めるための戦略的撤退なのだ。

 今日のところは一旦退いて、傷が癒えてからもう一度仕掛ける。

 次は必ず仕留めて見せる。

「ここまで離れれば十分か」

 処刑人は足を止めて周囲を探った。
 辺りは明かりもなく暗闇に包まれているが、人の気配は感じられない。

 処刑人はふう、と大きく息を吐いて緊張を解いた。

 その時である。

 カツ、カツ、カツ、と。

 足音が聞こえてきたのだ。

 バカなっ!?

 近くに人の気配はなかったはずだ。

 足音はどんどん大きくなる。
 この気配は――いや、間違いない!
 
「ここにいらっしゃいましたか」

 あまりの衝撃に、処刑人は覆面に隠れた瞳を大きく見開いた。

 ありえんっ!!

 現れたのは執事服を身に纏った白髪の男。
 処刑人の標的である。

「け、気配はしなかったはずだ……なぜ……?」

 男は胸に手を当て、余裕の笑みを浮かべる。

「気配を消すくらいできなくては、お嬢様の執事は務まりませんので」

 何を言っているのか、処刑人は理解できなかった。
 だからこそ処刑人は悟ってしまった。

 自分が狩る側で男が狩られる側だと思っていた。
 だが、それは間違いだったのだと。

「貴方にはお聞きしたいことがあります。店までご同行願えますか? 大人しくしていただけるのでしたら、命までは取らないのでご安心ください」

 男の告げた言葉に、処刑人は抵抗するのを諦めた。
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