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編集者って大変

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「あら? 誰かお客さんでも来たの?」

 リビングで七海と録画していたアニメなどを観て静かに過ごしていると、母さんが帰ってきた。

「なんか定晴の編集者がきてる」
「編集者?」

 七海がそう答えるも、母さんは小首を傾げる。
 急に編集者が来たと言われてもよくわからないだろうな。
 疑問符を浮かべる母さんに、先ほどの経緯を俺は説明する。

「東京からここまでやって来るなんて編集者さんも大変ね……」

 この暑い中、スーツを着て片道六時間。
 本当ならば、今すぐベッドで横になりたいくらい疲れているだろうな。

「ところで、忠宏。飲み物やお茶菓子は持って行ってあげたの?」
「……あ」

 母さんにそう言われて、そんなことをすっかり忘れていたことに今気が付く。
 俺が間の抜けた声を上げると、母さんは呆れたように息を吐いた。

「海藤さんは遠くから来て疲れているでしょうし、定晴君もずっと集中して作業は無理でしょう? 休憩でも提案したらどう? ちょうどスイカもあるし」
「スイカあるの!?」
「ええ、ご近所さんから貰えたのよ」

 七海が食いつくと、母さんがドンとテーブルの上にスイカを置いた。
 これは随分と大きいな。多分、俺達だけじゃ食べきれないから定晴や海藤さんにも食べてもらおうという魂胆だろう。

「わかった。ちょっと声かけてくる」

 俺もスイカは嫌いではないが、全部食べ切られる程大きな胃袋はしていない。
 急いで定晴と海藤さんを呼んでこなければ。

 立ち上がってリビングを出て、俺は静かに階段を上がる。
 二階に上がると、俺の部屋から激しくタイピングを打つ音が聞こえてきた。どうやら定晴はちゃんと原稿を書いているみたいだ。
 タイピングのリズムが尋常ではないくらいに速い。まるでキーボードを連打しているかのようだ。
 なんとなく真面目に仕事をしている雰囲気があるので、近寄りづらいが放置していると俺が母さんに怒られる。それに中にいる海藤さんや定晴も喉が渇いているかもしれないし。
 俺は自分の部屋の扉を静かにノックする
 どうして自分の部屋なのに緊張しながらノックしなければいけないのだろうな。
 そんな不思議なことを考えていると、静かに扉が開いて海藤さんが顔を出した。
 それだけで不思議といい匂いが漂ってくる。
 いつもと同じ俺の部屋なのに、そこから海藤さんが出てくるだけで別の部屋のように思えるから不思議だ。なんて思っている場合じゃない。

「原稿の方はどうですか?」

 こうやって尋ねると、なんか俺も編集者っぽく感じられるな。

「最初はごねていましたが、書き始めるとのってきたのか、いい感じに進んでいますね」

 海藤さんの視線の先では、定晴がひたすらにノートパソコンと向かい合ってキーボードを打っていた。真面目な表情で画面を向かい合う表情を見れば、集中していることがわかる。

「なるほど、スイカが手に入ったので休憩でも如何と思いましたが、今は放置する方がよさそうですね。飲み物やお茶菓子を持ってくるだけに――」
「スイカ!? 休憩!?」

 真面目な雰囲気に押されて引き下がろうとしたのだが、定晴はガバッと顔を上げて叫んだ。
 画面に集中していたものの、見事に都合のいいキーワードだけは聞こえてしまったらしい。

「何でもありません。原稿に集中してください」
「いーや、そんなことはない! 確かに聞いた言葉から推測するに、スイカを食べて休憩をしようと忠宏が提案してきたはずだ!」

 海藤さんがそう言うも、定晴は画面から目を離してそのような推理をする。
 全部聞こえていたのではないだろうかと思える程ドンピシャだ。

「ほら、見ろ。もう部屋にこもってから三時間も経っている! ああ、喉も乾いたし、小腹も空いてきた。これ以上、文字を打つことはできない」

 ノートパソコンを遠ざけて、テーブルに突っ伏してしまう定晴。
 それを見た海藤さんは深くため息を吐いた。

「……なんか邪魔をしてしまったみたいで申し訳ないです」
「いえ、結構な時間も経っていましたし、ここらで休憩が必要でしょう」

 海藤さんがそう言うなり、くううと可愛い音が鳴る。
 その音源は目の前にいる海藤さんのお腹の辺りからで……。

「すいません、実はお昼ご飯を食べていなくて。お言葉に甘えてスイカを頂いてもいいでしょうか?」
「ええ、勿論です」
「よし、休憩だ。スイカを食べに降りるぞ!」

 休憩ができる流れと判断したのか、定晴が逃げるかのように走って一階へ降りていく。
 それを苦笑しながら見て、俺と海藤さんも一階へと向かう。
 しかし、七海や先に降りたはずの定晴の姿が見えないな。

「いらっしゃい。あなたが定晴君の編集者さんね?」
「すいません、勝手にお邪魔させて頂きまして。海藤と申します」

 母さんと海藤さんはにこやかに自己紹介を始めたので、割り込める余地も必要もない。

「忠宏兄ちゃん、こっち!」

 スイカはどこだろうと思っていると、リビングの出口で七海が手招きしていた。
 七海に付いていって移動すると、縁側にいつの間に帰ってきたのか父さんと、定晴が座り込んでスイカを食べていた。

「ここで食べよ!」
「おー、そうだな」

 縁側で中庭や空を眺めながらスイカを食べる。悪くないな。
 七海に促されるままに腰を下ろした俺は、ここにも置いてある大皿からちょうどいい大きさのスイカを一つ手に取る。
 綺麗な長い三角形をしたスイカの赤い部分を一口。
 シャクリと音が鳴り、スイカ独特の甘みがじんわりと中で広がる。
 事前に氷水の中で冷やされていたのか、身が程よく冷たくて美味しい。

「んー、気持ちのいい甘みだな」
「美味しいね」

 にこにこと笑いながら七海も小さな口でスイカを頬張る。
 その様子はまるでリスのような小動物が少しずつ物を食べているようでとても微笑ましい。

「ふっ!」
「もう! 定晴! さっきから種噴いて汚い!」
「バカを言うな。何のために庭に面している縁側でスイカを食べているというのだ。こうして口の中にある種をすぐに吐き出せるようにだろうが。ぷぷっ!」

 七海が非難するも、定晴はそう言って口の中からスイカの種を吐き出す。

「ええ、そうなの?」
「まあ、そうだね」

 スイカは種が多いからな。いちいち種を見つけて丁寧に吐き出していては食べるのが非常に面倒だ。
 とはいっても、そんなことが大っぴらにできるのは男性ならではだと思うが、七海の年齢であれば子供だしセーフだろう。

「じゃあ、あたしも飛ばす!」

 俺が苦笑しながら肯定してみせると、七海はシャクシャクトとスイカを食べ進める。
 それから口の中をモゴモゴと動かし、種だけを選別すると小さな口から飛ばした。

「ふん、全く飛んでないではないか。情けない」
「えー、定晴もう一回飛ばしてみてよ」

 七海にそう言われると、定晴がスイカを食べて種だけを飛ばす。
 それは七海の飛ばした種よりも三十センチ程先で落ちた。

「ふっ、まあこの程度は当然だな」
「むう、負けないもん!」

 定晴渾身のドヤ顔を見て、七海が悔しそうにしながらスイカを食べ進める。
 何だかスイカを味わうことよりも種を遠くに飛ばすことに意識が向いてしまっている気がするな。

 スイカを一口食べると、口の中でいくつものコロコロした種が出てきた。
 口の中でモゴモゴしていると、定晴と七海からジーっとした視線が向けられる。
 どうやら俺にも飛距離を競わせたいらしい。
 二人の期待に応えるべく、俺は口の中をすぼませて種を飛ばす。
 すると、種は勢いよく飛んでいき、定晴よりもさらに三十センチくらい遠くに飛んだ。

「なっ! バカなっ!?」
「すごーい!」

 遠くに飛んだ種を見て、定晴と七海が驚く。
 ふっ、こちとらあちこち移動して働いていた元社畜。普段運動をしない定晴と、子供の七海とは肺活量が違うのだ。

「フンっ!」

 そんな事を思っていると、奥にいた父さんが種を飛ばした。
 それは俺の飛ばしたところを優に超えており、その余りの速さと飛距離によって目で追いきれない程だ。

「おじさんの飛ばした種どこまで飛んだ!?」

 これには俺を褒めていた七海もすぐに意識が持っていかれて、サンダルを履いて着地点を探しに行く。

「忠宏の一メートルくらい先はいったな!」

 いくら何でもそれは盛り過ぎなのでは……いや、さっきの勢いならあり得るな。
俺も気になって傍に置いてあるサンダルを履いて見に行くと、本当に一メートルくらい先にスイカの種が転がっていた。

「すごい! 二メートルくらい飛んでる!」
「何だと……」

 七海の言葉を聞いて定晴も慄く。
 やはり現役で体を動かしている農家に肺活量は敵わないということだろうか。
そんな事を思っていると、挨拶と世間話が終わったのか母さんと海藤さんがやってきた。

「そんな所でしゃがんで何を見ているの?」
「おじさんが飛ばしたスイカの種! 凄いんだよ! ここまで飛ばしたんだ!」

 七海の無邪気な笑みを称えながらの言葉に、母さんが少し咎めるような視線を送り、父さんが少し気まずそうに視線を逸らす。
 だけど、母さんはすぐに表情を柔らかいものにした。

「あら、そう。それはすごいわね」

 女の子の教育的には微妙なところであるが、年齢的にも見逃すことにしたのだろう。

「海藤さんも座って、スイカを食べてね」
「ありがとうございます。では、いただきます」

 母さんに促されて海藤さんが隣に座り、スイカを手に取って食べる。

「はぁ、スイカなんて久し振りに食べました」

 海藤さんの口から漏れたのは、とてもしみじみとしたものだ。
 言葉からにじみ出る心労が酷く伝わる。

「東京とかにいると、中々こういう果物に手を出そうって思いませんよね」
「もしかして、忠宏さんも東京にいたことが?」
「ええ、というより辞めて帰ってきたんですけどね」
「そうだったのですか。私も編集の仕事を辞めて、こういうところに住みたいです……」

 東京から仕事を辞めて帰ってきたと言うと、大概の人は驚いたり、心配しながらも呆れるような素振りを見せる人が多いのだが、海藤さんはごく自然な態度だった。
 まるで長年の友達であった礼司や、曲がらぬ心を持っている定晴のよう。

「仕事を辞めたと言っても、あまり驚かれたりしないんですね……」
「え? 何か気に障るような反応でもしてしまいましたか?」
「いえ、こういうことを言うと、皆さん色々な反応をしますから」

 俺がそう言うと、言いたいことの意味を理解してくれたのだろう。海藤さんが神妙に頷いた。

「私も編集者でダークネスカイザー先生のような色々な作家さんを相手にしていますからね」
「おい、その言い方だと仕事を辞めた奴より、僕のような作家の対応の方が大変と言いたげではないか」
「ええ、その通りですよ! 原稿は期日に上げてくれないし、電話に出ないし、メールの返信は遅いし、改稿はほとんどしてくれないし!」

 定晴の自覚のない言葉で火が点いたのか、海藤さんの言葉がヒートアップする。
何せ締め切りを破って、このような場所まで出向かせてしまっているのだ。普段から定晴の相手をする海藤さんの心労は大変なものであろう。

「まあまあ、今は休憩なのだし、仕事のことは忘れて休みましょう? ほら、塩はここにあるから良かったら使ってね」
「すいません。そうでしたね。今はゆっくりさせて頂きます」

 ぎゃーぎゃーと言い争いを始める定晴と、海藤さんを母さんが止めた。
 母さん、ナイスプレー。
 それらの光景を七海は、まるで仲がいい兄弟のように眺めていたが、社会に出ると切実な言い争いだったとわかる日がくるかもしれないな。
 とはいえ、俺も今や関係ない身の上。そう思いつつも七海のように穏やかな表情で眺めていた。

 うんうん、たまには仕事の事を忘れてゆっくりするのがいいさ。

 六人並んで座る縁側では、涼し気な風鈴の音が鳴り響いていた。





 まったりと六人で喋りながらスイカを食べると、たくさんあったかのように思えたスイカはあっという間になくなった。
 人数が多かったこともあるが、海藤さんがお腹を空かしていたので多めに食べてくれたお陰だろう。

「ん~~、いい感じに休憩ができましたね。さあ、ダークネスカイザー先生。原稿の続きをやりましょう」

 英気を養った海藤さんが立ち上がって、そう言い放つ。
 しかし、定晴からの返事は何もない。

「……あれ、ダークネスカイザー先生?」
「定晴いないんですか?」

 海藤さんの様子を訝しんで立ち上がると、七海の隣に座っていた定晴は綺麗にいなくなっていた。

「父さん、定晴は?」
「ん? そう言えば少し前にトイレに行くと言ったきり、戻ってきてないな」
「まさか……!」

 父さんの不穏な言葉に、海藤さんが玄関へと駆け出していく。
 気になったので俺も付いていくと、そこには四つん這いになって崩れ落ちた海藤さんがいた。
 並んでいる靴を見ると、定晴の白いスニーカーだけが綺麗に無くなっていた。
 父さんの言葉とこれを見ると、結論はもう言うまでもないだろう。

「もう、やだ……」

 うん、仕事を辞めた奴よりも、作家の方がよっぽど厄介だろうな。

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